韓国の報告書の出典である、長崎在日朝鮮人の人権を守る会『原爆と朝鮮人』については、ここに詳しい紹介があります(リンク)。
それによれば、『原爆と朝鮮人』は、第1集(1982年)から第7集(2014年)まで、7冊刊行されたようです。
そして、韓国の報告書が引用している、端島で死亡した朝鮮人の「死亡診断書」は、1986年に刊行された第4集に載っているとのこと。リンク先によれば、1925年~1945年に同島で死亡した朝鮮人、中国人、日本人の合計は1,295 人、うち朝鮮人は122人、中国人が15人です。
端島については、2011年に社会評論社から『軍艦島に耳を澄ませば―端島に強制連行された朝鮮人・中国人の記録』刊行され、『原爆と朝鮮人』の主要な内容が収録されています。
同書は、2016年に[増補改訂版]が出ており、新しい資料が収録されたり、数字が修正されたりしています。
同書から、端島に関する数値を引用すると…
端島の人口は、
明治時代、2700~2800人。
1919年、3500人。
1945年、5300人。
朝鮮人に関しては、
1943年、朝鮮人500人来島(1973年10月25日付朝日新聞長崎版)
1944年9月、朝鮮人100人来島(1974年4月29日付長崎新聞)
中国人に関しては、
1944年6月、204人来島。
したがって、1944年度の炭鉱労働者は、
日本人1162人、
朝鮮人500人、
中国人205人(華北労工協会の指導1名を含む)
1925年から1945年に端島で死亡した全日本人、朝鮮人、中国人の、胎児(死産)から老人までの死亡診断書、火葬認許証交付申請書によれば、死亡者は、
1925~1945年、日本人1162人、朝鮮人123人、中国人15人。
※2016年[増補改訂版]で、朝鮮人が1人多く修正されたと思われる。
1944年の各人数(日1603人、朝500人、中105人)に対する15歳から60歳男性の死亡率は、
日1.93%、朝2.4%、中3.9%(中国人は半年間)。死亡者の実数は、日30人、朝12人、中4人。
死亡率は、
1942年までは日本人のほうが朝鮮人よりも高かったが、
1943年、日1.14%、朝1.8%と逆転。
1944年、日1.93%、朝2.4%、中3.9%
1945年、日1.81%、朝2.4%、中3.05%(朝鮮、中国人は秋までしか島にいなかった)
※45年の朝鮮人数を600人とすれば、2.0%
死亡率を比較すると、
1943年、日本人に比べ、朝鮮人は1.8倍、
1944年、日本人に比べ、朝鮮人は1.2倍、中国人は2倍
1945年、日本人に比べ、朝鮮人は1.3倍、中国人は1.7倍
※45年の朝鮮人数を600人とすれば、1.1倍
つまり、太平洋戦争(1941年開戦)が熾烈化して以降、朝鮮人や中国人の死亡率が日本人を上回っていることがわかります。
朝鮮人の死亡者123人の死亡原因について見ると、病死が60人、事故死が63人。
事故死の内訳は、窒息(24人)、外傷に起因する死亡(15人)、圧死(9人)、変死(頭蓋底骨折、脳損傷、爆傷など計6人)など、炭鉱事故に起因すると見られるものが多い。このほか、溺死(4人)、戦災(1人)、空襲(1人)、自殺(1人)など。
編者は、事故死のうち20人ぐらいは、日本人によるリンチの可能性があると述べています。また、溺死4人は、逃亡しようとして海に飛び込み溺れたものと推測しています。ただ、端島炭坑は、海底炭坑で、出水事故の記録もありますから、必ずしも逃亡ではなかったんじゃないでしょうか。
編者である「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」は、明らかに日本政府を糾弾する立場に立っていますが、資料の扱い方は厳密であり、信頼性は高いように思えます。例えば、死亡率の計算に当たっては、女性、子ども、死産などを除外して、死者数の水増しを避けています。
では、この資料を土台にした韓国の報告者や報道はどうか。
聯合ニュース 2012年10月4日
1944~1945年に、端島に動員された朝鮮人は多ければ800人、
死亡が確認された朝鮮人は122人
800人の根拠は不明です。43年以降に600人の朝鮮人が来島する以前、たとえば1918年に70人の朝鮮人坑夫が端島に来たという資料(小説『軍艦島』巻末の川村湊の解説文)もあり、死亡統計でも42年以前に相当数の死亡記録があることから、600人以上の朝鮮人坑夫がいたことがわかるので、800人という数字もありえるかもしれません。
しかし、死亡者数122人というのは、1925年から1945年の累計で、女性、子どもも含まれた人数です。800人中122人が死んだかのような記述は、誤解を招く表現です。
ハンギョレ2013年8月15日
1937年以降、端島に強制連行された韓国人は500~800人、
1925~45年に端島で亡くなった韓国人は122人、
窒息・外傷・変死などが圧倒的、
44~45年の韓国人の死亡率は12.3~13.9%(日本人は4.7~5.5%)
122人が1925年~1945年の累計であることを示している点はいいでしょう。
しかし、
44~45年の韓国人の死亡率は12.3~13.9%(日本人は4.7~5.5%)
の根拠は不明です。『耳を澄ませば』にあるように、44、45年の日本人と朝鮮人の死亡率は、
1944年、日1.93%、朝2.4%
1945年、日1.81%、朝2.4%(または2.0%)
です。
また、「窒息・外傷・変死などが圧倒的」は捏造です。事故死とほぼ同数の病死がいました。
中央日報、2015年5月14日
朝鮮人600人が連行、
600人中122人、5人に1人が死亡、
死因は、92人中、病気28人、窒息・溺死24人、事故17人
600人中122人(5人に1人)が死亡というのは、上記の理由からおかしい。
死因の母数が92人で、「耳を澄ませば」と異なりますが、病気をちゃんと挙げています。しかし、窒息や溺死も事故死の一部ですので、「事故」と別立てにするのも変です。
中央日報2017年7月3日
1945年の終戦時に(日本人、韓国人合わせ)約5000人が住んでいた。
1943~45年に、約800人の韓国人が働いていた。
韓国人122人が、事故死、窒息死、圧死などで死んだ。
死因については捏造。
なお、
朝鮮日報2015年4月3日
朝鮮人が強制動員された7施設の5万7900人中、99人(安否不明を含む)が死亡。
の根拠は不明です。これが正しければ、朝鮮人の死亡率は0.2%になります。
以上、映画『軍艦島』が根拠にしているであろう、韓国の報告書、それを報じた新聞記事にいかに多くの捏造があるかがわかりました。
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