久しぶりに大塚のミャンマーレストラン、シエルに行きました。
半年前に行ったとき、店を閉めるかもしれないと聞いていたので、心配していたのです(→リンク)。
行ってみると、嫌な予感が当たって、違う名前の店になっていました。でも、ミャンマーレストランのようなので、そのまま店に入ると…
店には若い女性が一人でいました。
「ミンガラーバー(こんにちは)」
「ミンガラーバー。このお店、変わったんですね?」
女の子がどぎまぎしながら言います。
「あの、今、いないです」
「えっ? ああ、ママさんが? どこに行っているの」
「あの、近いです」
日本語がよくわからないようで、要領を得ません。すると、女の子は携帯でどこかに電話をします。
「少し待ってください。来ます」
「オウカッター・ラー・フマー・ラー(社長が来るんですね)」
「ホウッケ(そうです)。ミャンマー・ザー・ピョー・タッテー・ノー(ミャンマー語できるんですね)」
「ネーネー・ベー(少しだけ)」
ビールを注文し、女の子を相手に初歩的な会話を試みました。ミャンマー語と日本語のチャンポンで話した結果、女の子は日本に来てまだ2か月であること。ヤンゴン大学(ヤンゴンの大学かもしれません)を出て、ヤンゴンの日本語学校に通い、N5(日本語能力試験のいちばん下のレベル)をとったこと。この店で働き始めてまだ二週間で、土曜日と日曜日だけアルバイトをしていること、などがわかりました。
そのうちママさんが帰ってきました。前のママさんとは別人です。
「いらっしゃいませ」
「お店が変わりましたね。いつからですか」
「去年の12月です」
「前の社長はどうしたんですか」
「さあ。今はミャンマーに帰っていると思います」
「ママさんは、日本、長いんですか」
「13年です。13年いても日本語が下手です。前の仕事であまり日本語使わなかったから」
「いや、上手ですよ」
「旦那のほうがうまいです。日本に25年います」
25年前と言えば、90年代前半。やはり、88年の民主化運動で弾圧されて日本に亡命してきたのでしょうか。在日ミャンマー人はそのパターンが多い。
「ヤダナボンってどういう意味ですか」
「町の名前です。マンダレーのほうの」
チェー・オー・シー・チェ(汁なし麺)を食べながら、また女の子とのおしゃべりを始めました。
女の子は26歳であること。女の子のお母さんは中国から来た華僑で、お父さんがミャンマー人。彼女はお母さんから習って、中国語ができるそうです。大学を出たから、英語もできるでしょう。ミャンマーの大学は英語のテキストを使って英語で授業を受けることが多いそうですから。
ママさんが、別のテーブルに、今買ってきたばかりの寿司を並べ始めました。
「今日は、親戚が遊びに来るんです」
「お寿司が好きなんですか」
「はい。あの、ちょっと魚の名前教えてもらえますか」
「いいですよ。これはマグロ、これは穴子」
「アナゴですか」
ママさんはメモします。親戚に聞かれると思ったようです。
「卵とエビはわかりますよね。これはイカ、これはイクラ、こっちはたぶんタイ」
携帯が鳴りました。
「ちょっと、駅まで迎えに行ってきます」
また女の子と二人で取り残されました。
「昼間は日本語学校に通っているの?」
「はい。午後、1時から5時までです。午前中も働きたいです」
「コンビニがいいんじゃない。最近は外国人アルバイトが多いよ」
「日本語へただから、まだ難しいです」
「そうかもしれないね。勉強がんばって」
ママさんの親戚が到着しました。
妹さんとその旦那さん、子ども、旦那さんのお母さん。
日本語はできないようなので、ミャンマー語で挨拶すると、うれしそうに返してくれました。
ビールがなくなったところで、席を立ちました。
「何曜日が休みですか」
「休みはないです。賃料が高いんで、稼がなくちゃ。またぜひ来てください」
お客さんは少ないようだけれど、ママさんにも、アルバイトの女の子の日本語の勉強も、ぜひがんばってほしいです。
帰路、スマホでヤダナボンを調べると、ミャンマー第二の都市マンダレーの昔の名前でした。ミャンマーがイギリスに植民地化される前の最後の王朝の首都。ヤダナボン・ネピドーが正式名称で、宝の都という意味だそうです。
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