ブラジルに出張している間にニュースを見逃していましたが,ロシアの作家ソルジェニーツィン氏が亡くなっていたのですね。(記事→①,②)
かつてソ連の軍事独裁政権に対し,筆一本で立ち向かい,個人としては初めて「国外追放」された,闘う文学者でした。ソ連崩壊後,ロシアへの帰国を許され,最後はロシア最高の国家賞を受賞するまでに評価されました。(→リンク)。
私の青春時代の一時期に「ソ連ウォッチャー体験」をしたことを以前書いたことがあります(→リンク)が,あらためて考えると,このときの体験は,私のその後の政治的イデオロギー(というほど大袈裟なものじゃないが)に少なからぬ影響を与えたようです。
あの時期,仕事の必要から,ソ連に関する本を手当たり次第に読みました。ソ連の体制分析の本に始まり,経済,軍事,宗教,文学,美術…。対象はあらゆる分野に及びました。
とりわけ大きな影響を受けたのはソルジェニーツィンの作品群,特に『収容所群島』です。
スターリン時代の暴虐,人権蹂躙,言論弾圧…。これらは決してスターリンという暴君の個人的資質に帰されるものではなく,共産主義というイデオロギーに本質的に内在している暴力性であることを知りました。
この読書体験によって,私は共産主義が心底嫌いになりました。もともと私の世代は70年安保の「政治の季節」が過ぎたあとに大学生活を送り,政治をやっているのはアナクロという感覚がありました。文学青年だった私は,政治にほとんど関心がなかったのですが,一連の著作活動でノーベル賞を受賞しながら国外追放になったソルジェニーツィンを知り,またそれを日本に翻訳紹介し,個人的にも作家と懇意にしていたロシア文学者の木村浩氏から,ソ連体制についてのさまざまな裏話を聞くにつけ,私のソ連・共産主義嫌いは動かぬものになりました。
ソルジェニーツィンはスターリン時代に収容所に入れられ,文字通り命懸けでソ連体制と闘いました。一方,木村浩氏も,ソルジェニーツィンの翻訳を一手に引き受けることで,KGBに尾行されたり(木村氏談),ソ連のビザがおりなくなったりした。「闘う文学者」の姿を目の当たりにした思いです。
その後,私は転職してコリアン・ウォッチャーになったのですが,ミニスターリニズムというべき,金日成/金正日体制は最初から嫌悪感をもって接しましたし,共産主義に対する鋼鉄の壁となって,共産化の防波堤になってくれた軍事国家韓国,特に朴正煕大統領に対しては,シンパシーを感じていました。
北朝鮮を告発する手記は多数あります。しかし,ソルジェニーツィンほどには注目されない。やはりアメリカやヨーロッパから遠いからでしょうか。そしてこの数年の韓国の親北政権。ドイツの医師が孤軍奮闘していました(→リンク)が,韓国はきわめて冷淡。
ソルジェニーツィン氏の死を悼むとともに,韓半島にも「闘う文学者」が出てくることを望みます。
かつてソ連の軍事独裁政権に対し,筆一本で立ち向かい,個人としては初めて「国外追放」された,闘う文学者でした。ソ連崩壊後,ロシアへの帰国を許され,最後はロシア最高の国家賞を受賞するまでに評価されました。(→リンク)。
私の青春時代の一時期に「ソ連ウォッチャー体験」をしたことを以前書いたことがあります(→リンク)が,あらためて考えると,このときの体験は,私のその後の政治的イデオロギー(というほど大袈裟なものじゃないが)に少なからぬ影響を与えたようです。
あの時期,仕事の必要から,ソ連に関する本を手当たり次第に読みました。ソ連の体制分析の本に始まり,経済,軍事,宗教,文学,美術…。対象はあらゆる分野に及びました。
とりわけ大きな影響を受けたのはソルジェニーツィンの作品群,特に『収容所群島』です。
スターリン時代の暴虐,人権蹂躙,言論弾圧…。これらは決してスターリンという暴君の個人的資質に帰されるものではなく,共産主義というイデオロギーに本質的に内在している暴力性であることを知りました。
この読書体験によって,私は共産主義が心底嫌いになりました。もともと私の世代は70年安保の「政治の季節」が過ぎたあとに大学生活を送り,政治をやっているのはアナクロという感覚がありました。文学青年だった私は,政治にほとんど関心がなかったのですが,一連の著作活動でノーベル賞を受賞しながら国外追放になったソルジェニーツィンを知り,またそれを日本に翻訳紹介し,個人的にも作家と懇意にしていたロシア文学者の木村浩氏から,ソ連体制についてのさまざまな裏話を聞くにつけ,私のソ連・共産主義嫌いは動かぬものになりました。
ソルジェニーツィンはスターリン時代に収容所に入れられ,文字通り命懸けでソ連体制と闘いました。一方,木村浩氏も,ソルジェニーツィンの翻訳を一手に引き受けることで,KGBに尾行されたり(木村氏談),ソ連のビザがおりなくなったりした。「闘う文学者」の姿を目の当たりにした思いです。
その後,私は転職してコリアン・ウォッチャーになったのですが,ミニスターリニズムというべき,金日成/金正日体制は最初から嫌悪感をもって接しましたし,共産主義に対する鋼鉄の壁となって,共産化の防波堤になってくれた軍事国家韓国,特に朴正煕大統領に対しては,シンパシーを感じていました。
北朝鮮を告発する手記は多数あります。しかし,ソルジェニーツィンほどには注目されない。やはりアメリカやヨーロッパから遠いからでしょうか。そしてこの数年の韓国の親北政権。ドイツの医師が孤軍奮闘していました(→リンク)が,韓国はきわめて冷淡。
ソルジェニーツィン氏の死を悼むとともに,韓半島にも「闘う文学者」が出てくることを望みます。
あのころはインターネットそのものが新鮮で,仮想空間の中で「なかよし」を作ったり,「仇敵」を作ったりというのも,それまでにない刺激でした。彼らは今どうしているのだろう。
ブログにしろ,ウィキペディアにしろ,人は一銭にもならないことに,なぜこうも情熱を傾けられるのでしょうか。
ボランティア精神? 虚栄心?
ネットが世論を形成するのは,愉快でもありますが,危険でもあるのは,ネットが大統領選を左右した韓国の場合(ノムヒョン)を見ても感じます。
今、梅田望夫さんの「ウェブ進化論」(2006)を読んでします。
この人、既存マスメディアと
インターネットやブロガーの関係についてついて語っています。
彼の例えによれば、すべての人々の総体が10mの柱でたとえられるなら、
この上の1mmの最上層が、選ばれた既存メディアの
人たちで、この人たちの発言が、今まで世の中を動かしていた。
しかし、インターネットの出現により大多数の大衆が衆愚といわれても
500万人、1000万人、2000万人の良質なブロガーがいて(この数の見積り数もすごいですが)、
やがては、総体の本意を世論を形成する、と。
すこし楽観的過ぎるのかもしれませんが、
長期的にはそうなるように私も思います。
この本の中でも語っているのですが、極端に二極化された欧米に比べて
日本における教養ある中間層の厚みとその質の高さは圧倒的だと思います。
ともかく、良質な方々の貴重な発言に注目していこうと思います。
「昔から」というのは掲示板時代を含むのでしょうか。
その当時も今も,メジャーな場で,実名で意見するほどに,準備も心構えもできていないので,匿名の掲示板やブログで,気楽に書き続けています。
最近は別の国に関心が移りつつあり,コリア関係の情報収集も怠りがちなので,このブログもいつまで続けられることやら。
ブックマークの「タイ語ができタイ」が私の第二ブログです。
研究者の中にはきちんと資料に基づいた主張をする人もいるのですが,たいていはステレオタイプの中に埋もれてしまいます。
最近も金九の「義挙」について,こんな記事が出ましたが…
金九はこれを誇りに感じていたのか、『逸志』に「快男児らしい行動」「国家の大きな恥を洗い流すために行ったこと」「この身を犠牲にして万人を教訓した」と書いている。また、「(殺害した)倭奴の名前は土田譲亮といい、職業は陸軍中尉だ」と説明している。しかし著者は、「これまでに確認可能などの資料にも、陸軍中尉という記録はない。日本公使館の報告書や朝鮮の官吏の報告書、独立新聞の事件報道は、一様に土田を“商人”と記している」と語った。それだけでなく、金九も土田が陸軍中尉ではないことを知っていた、と主張する。
http://www.chosunonline.com/article/20080928000011
たぶん定説にはならないでしょう。
昔から、犬鍋氏て何者 ? ていう興味がありました。
今日のエントリー、正確には昨日ですか、それとリンクで、
知りたかったことが、ひとつだけわかった気がしました。
さて私は、ソルジェニーツィンの作品では『収容所群島』ぐらいしか
知らず、追悼の趣意すべてを理解できるわけではありません。しかし、
イデオロギーの虚しさ、ときとして、その破壊性を
若い人に理解してほしいと思うのです。
で、犬鍋氏にはもっとメジャーな場で、発言してほしいのですけどね。
日本側にも軽率な発言で今回辞任した中山氏みたいな人もいますが・・
でも、言いたい事を互いに議論しあえる事は、更なる理解を深めるためにも大事な事ではないでしょうか?
今回は、過去の意見も読ませていただき、これらの問題の根の深さを勉強させていただきました。有難うございます。