ニューエクスプレス・フィリピノ語の冒頭の解説に、タガログ語がフィリピノ語と呼ばれるようになった経緯が書いてありました。
フィリピノ語は、フィリピンの国語であり、英語とともに公用語とされています。長い間、スペインやアメリカの統治下にあったフィリピンで、国語制定の動きが始まったのは1930年代に入ってからです。その際、数多くあるフィリピンの言語の中で国語の母体として選ばれた言語がタガログ語でした。タガログ語が選ばれたのは、スペイン統治時代から政治や経済、文化の中心地であったマニラで使われていた上に、良く研究されていたからです。
当初国語はピリピノ語と呼ばれていましたが、1987年の新憲法の下、国語の定義が「タガログ語のみでなく、国内の他の諸語や外国語が持つ要素を幅広く取り入れて母体としてゆく」と変更されました。このことにより、タガログ語にはなかったfがアルファベット文字に取り込まれ、名称もPilipinoからFilipinoに変更されました。
タガログ語は、最初ピリピノ語、1987年にフィリピノ語と呼ばれるようになったのですね。
国語の名称はこのようにしてピリピノ語からフィリピノ語に変わりましたが、名称が何であれ、言語としての実体は、常にタガログ語でした。では、なぜ最初から国語の名称をタガログ語にしなかったのでしょうか? それはタガログ語以外の言語を母語とする人々の反発を招かないためでした。中でもセブアノ語を母語とする人々の数は、タガログ語を母語とする人々と同じぐらい多く、両者間の確執が激しかったからです。
アメリカ統治時代に徹底した英語教育が行われ、今も大学教育や官公庁、ビジネスの世界では国語よりも英語が使われています。フィリピンにおける国語化は、民族主義の高まり、フィリピン人のアイデンティティの問題と深く関わった形で進められてきました。最近では民族主義が高まった70年代から80年代にかけて国語化が急速に進みました。
このあたり、やはり多民族・多言語国家であるインドネシアと比較すると興味深い。
帝国の文法 5~インドネシア
インドネシアの場合は、言語的な多数派であるジャワ語を国語とせず、あえて少数言語であるマレー語を国語に選ぶことで、国民の統合を図りました。一方、フィリピンは多数派のタガログ語を採用。名前をフィリピノ語にしただけで実体はタガログ語だとしたら、「確執が激しかった」セブアノ語話者たちの気持ちは収まったのでしょうか?
そのあたりのことは、今後、おいおい調べていこうと思います。
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