コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

真カ研 月例会 5月

2009-05-21 00:01:00 | 真宗カウンセリング
昨晩のミニカンに引き続き、今日は月例会でした。

めずらしく早い目に家を出ることが出来、自転車で会場の龍谷大学深草校舎へ向かいます。
車で行くときは職員らの門を通るのですが、今日は自転車なので体育館横の自転車置き場へ。
そこの向かいはサークルの部室がある建物です。
思い起こせば、龍谷大学へ通っていた頃の半分以上の時間はそこの部室で過ごしていた私です。
(今から思えば、とてももったいないことをしてましたね)
その後、正門から入り、図書館のほうへ向かいます。
私が学生だった頃の学舎とは全然違う風景です。
ただ、図書館前の池はまだあり、ライブをしては池に飛び込んでいた記憶が…

などと述懐しながら会場へ入りました。
いつもより多目の参加者。
今月から新しいテキストになるので、ちょうどいい機会だったのもあるでしょう。
最近会員になった方が参加して下さってます。

久しぶりに最初の分かち合いから参加することができました。
その後、新しいテキストの説明。
今年は「人間論」ロジャース著より、「第3章 十分に機能している人間」の部分を輪読していきます。

今日は「はしがき」と「問題」という部分まで進みましたが、今までになく”挑発的”なロジャース氏の言葉が現れていました。
そこには「権力や、人間を大事にすることに否定的な人には、断固した態度をとる」人だったということがあるようです。
自分のもっている「人間観」に断固たる芯があり、そこがぶれないんですね。
そういう力強さを感じました。

私はどうしてもカウンセリングに対して「テクニック」という部分を入り口にしていますが、その元に「条件」があり、「人間観」があるということを改めて教えていただき、今後輪読が進むにつれてその「人間観」が浮き彫りになってくるだろうなという予感をいただきました。

同時に、人間の中でのかかわりのところでは、社会の常識や価値観に左右されてしまうこともありますが、そこに究極の、絶対のものがあれば、それを通して見せられる「我が身」という「人間観」がハッキリしてくるんだろうなと。
「わたしがわたしである」という言葉の前に、どうしても自分を肯定できず、「その”わたし”という事すらわからない」不安がいっぱいある。
しかし、そこに「仏の目から見たわたし」という究極の価値観をいただくとき、自己肯定も自己否定も超えた、「あるがままのわたし」がはっきりとして来るんだなと。

ロジャース氏を通して、また仏願をとおして、それらがこの「わたし」に収束しているのを感じます。

日曜の法座から、ミニカンを通じて、今日の月例会。
”出逢い”ですね。

南無阿弥陀仏