コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

絵から感じるもの と 会議のコミュニケーション

2009-05-31 01:13:59 | 日常雑感

今日は小学校の休日参観とPTA総会に参加してきました。
今年新入学の次男ですが、そろそろ学校に慣れてきて「落ち着かない」授業風景を心配していましたが、しっかり成立していました。(学校や学年によってはかなり大変だと聞いていますので)
3年生の長男のクラスも結構落ち着いていて、いい感じでした。

私は参観に行くとき、掲示してある絵などを見るのが好きです。
心理学を深く学んだことはないのですが、入門書やそういうテーマを扱ったコミックなどを読んで、浅い知識は持っています。

1年生は「目標」のようなことを絵日記のように書いているのですが、その絵が興味深いんです。
一人だけの姿を描いた絵や、複数の姿を書いた絵。
笑っている絵や、無表情の絵、どこか悲しそうな絵。
中心に人がいる絵や、端っこにしか人が居ない絵。
ここでは分析するつもりはありませんが、それぞれに意味があったりします。
もちろん、まだ人格が形成しきっていない子どもの絵ですから、まだ未完成のものもあるでしょう。

うちの子の絵は、3人が笑顔で手をつないでいる絵でした。
ちょっとホッとした私がいます。

3年生は靴の絵です。
写実的に描いている絵もあれば、乱暴に見える絵もあります。
私が子どもの頃は、まず下書きをして、その線からはみ出さないように苦労していました。
下書きに凝るもんですから、色付けの時間がなくなり、しかもはみ出すことを恐れるので、やたらと時間がかかるわりに仕上がりきりませんでした。
しかし、私の息子の絵は、私とは違い、むしろ下書きを超えてエネルギーがあふれています(親ばかだと思って読んでください)
もしかしたら、ただ乱暴なだけかもしれませんが、私には写実的に書くよりも、彼の靴がそこに”存在”している絵に映ります。
嬉しさあまって、嫉妬したりもします。

その後、総会に参加したのですが、じつは初めての参加だったりします。
長女の頃から考えると、11年目なのですが、今まで保育園のほうの役員をしていたこともあり、避けていた感じがあります。
それが参加する気になったのは、今年の役員さんが結構顔見知りの人が多かったこと…これが原因だと思ってました。
しかし、いざ参加してみてわかったのですが、今までは平日の夜などにされていたものを、今年の役員さんが「出来るだけ多くの方に参加して欲しい」ということで、休日参観に合わせて開催されたということなんです。
私も保育園役員の時代に、総会に参加する人が少ないことを、何とかならないかと苦労していました。
(だからお返しに参加しようと思ったのもあります)
そのほかにも、いろいろ改善・工夫されているようでした。

が、改革というのは難しいもので、「何故ここがかわったのですか?」という質問がいろいろ飛び交っていました。
おそらく、いままで頑張ってこられた方が、変わっていくことにいい感情を持たなかったことがあるのかもしれません。
というのは、私自身の経験で、自分がやってきたことが変わっていくことに寂しさを覚えることが多いから。

じっと聞いていたのですが、快く思っていない方は、現状からさかのぼって、決定方法、連絡の仕方、あげくは規約にあるかどうかとか、暗黙のルールなども問題になってきます。
対する役員さんは、委任状システムや、説明会を開いたこと(しかし参加者が少なかった)を前面に出し、「手順を踏んだ」ことを主張されます。

まるで、いままで私があちこちでやってきたことを再現されているようで、そのころは渦中にいて気づかなかった逆の立場の人の思いなんかも俯瞰して見ることが出来ましたね。

こういう会に出て思ったのですが、言いたいことを感情的に言うことで満足するのならばいざしらず、やはり相手に「受け止めて欲しい」という気持ちが強いんでしょうね。
「受け止め」抜きで、主張のぶつかり合いになると、時間ばかりかかるだけでなく、そこに別の人の主張まで混ざりだして収集がつかなくなります。
今日の会の不幸だった点は、ちゃんと議長さんがいて「ご質問などございませんか」と切り出したときには誰も動かず(もうちょっと待って欲しかった感もありますが)、議長が引っ込んだ後、役員だけが前に残った状態で質問が飛び出し、役員側もそのまま受け出したことですね。
進行者と答弁者がいっしょですから、整理する人が居らず、質問者の意図が押さえられないまま回答が始まる。
ひとつの問題が一段落しないまま、別の意見が動き出す。

これってコミュニケーションワークの大事な部分ですね。
一見自由な座談やエンカウンターが成り立つのは、司会者やファシリエーターが、一人一人を尊重して、時間はかかってもひとつひとつ受け止めながら進んでいくところにあります。

話の内容よりも、そういう進み方に業を煮やした(この言葉って本来の意味は何なんだろ)私は、我慢しきれずに間に割って入っちゃいました。
目立たないようにしようと思ってたんですけどね。

最初から上手に仕切って円滑にするのだけが良いとも思いません。
ぐだぐだでも、言いたいことが言えるってのは素晴らしいことですから。
ただ、どこかで収集をつけないとね。

こういう会議をする人たちが、コミュニケーションワークのほんの入り口でも経験してくれれば、なんて思います。
いろんな会議が、そのちょっとしたことを知らないで、時間とエネルギーを無駄にしてると思いますから。