第1回の学習会が終わりました。
ご参加のみなさま(予想以上の12名)ありがとうございました。
結果のところからいうと、この継続は難しいな…というもの。
いや、継続していくのが無理ってことじゃなく、簡単にはいかないだろうなってこと。
翻せば、次回からはよーく考えて進めようと。
そういうことを体感したのが、今回やってみて一番の収穫ですね。
おそらく、私がやろうとしている中身は変わらないものですね。
「聞き方・伝え方」を意識して、実践を通じて気付いてもらいたいってこと。
あとは、持って行き方。
事前に打ち合わせをしている世話役の方々とは、ここの基本…このことを学習していこうと言う意思の所はすりあわせ済みですから問題なし。
逆に、そういう方に合わせて私の中のベクトルが出来上がっています。
しかし、実際に参加された顔ぶれは多彩。
そこをどう工夫して、ひとりひとりを大切にしていくかがわたしの課題になりますね。
まぁ、そこのところでの腹は決まってますから、私の芯だけブレなければOKです。
その芯のひとつは「私が上手く出来なくても、ここにいる人たちの成長力を信じる」ということ。
数年前なら全部私がひっかぶって、「なんとかしなくちゃ」ってなるところです。
そこで、表の部分で大事にしたのは「ゆっくりと」ということ。
時間の制限はあるけど、ここは意識して。
まぁ、かなりエネルギーを消費しましたね。
(ということは、まだ無理してるところがあるんですね)
そんなことを意識の留めながら進めて行きました。
まずはお仏壇にお礼の後、2分間の黙想をします。
(これを黙祷と言ってしまい、後で指摘されちゃいました 笑)
今の気持ちをまじえて皆さんの自己紹介。
ついで趣旨説明。
初めてお目にかかる方も居られますし、前回の支部法座はお休みされた方もおられます。
上手く通じるかどうかは置いておいて、ここはわたしの思いを出させていただきます。
今まではここで(できるだけわかって欲しいから)多くを話しすぎるのですが、今回は簡潔に。
伝わらないところはあとで聞いてもらおうと言うことで。
次に、「聞き方・伝え方」をテーマにすることだけをルールにして、あとは参加の皆さんの「何がしたい、してほしい」をじっくりと聞かせていただきます。
おそらくこちらから「これこれをしていきましょう」と講義して実践を勧めていくほうがみなさん楽かもしれません。
しかし、今回はあえて、私のほうからは出していかないと言うスタンスで。
ここにじっくり時間をとってよかったと思います。
こういう時間の経験者の方はそれなりに、初めての方は不安や手探りなところを、多くの方が思いを出してくださいました。
それを板書にまとめながら、私はできるだけ(提案に応えたいのを押さえながら)受け止めていくことに徹します。
「どんな思いでも出してもらっていいですよ」という空気を少しは受け止めてもらったんじゃないでしょうか。
もっと時間があれば、ここででてきたものをじっくり参加者で分かち合いながら進めることもできたと思います。
(以前参加したフィールドワークで経験したやり方ですね)
今回は、そのあたりはわたしが受け止めて進め方を任せてもらうと言う方向で。
一旦休憩をいれて、まずは「聞き方・伝え方」を実践的にやっていこうと言うことで、「聞き手・話し手・観察者」の三人組をつくって、まずは役割だけ決めて自由に(時間だけは厳守)時間を使ってもらいました。
そのあとで、感じたことなどを皆さんに出していただき、それを板書していきます。
ちょっと後の時間も気にしながらですが、できるだけゆっくりと。
みなさん、いろいろ話してくださり、黒板も一杯になるくらいです。
「講義的なものもしてほしい」ということを事前に聞いていましたので、ここで皆さんの言葉を使って、「聞き方」のことを少し話しさせてもらいます。
先に講義していたら、おそらく「私の言葉」で進めますから、それぞれの気付きではなく「教えられたもの」になりがちでしょう。
ですから、こういう形を取りました。
時間はかなりかかってしまいますが。
そして、もう一度三人組で実践。
ここの分かち合いに時間が取れればもっと良かったんでしょうが…
これが失敗だったと思うんですが、「出来るだけ多くの方の希望を取り入れる」というスケベ心が、終盤駆け足にしてしまった事が反省点ですね。
最後に30分だけ座談の時間を取りました。
初めて京都支部の集まりに来られた方も居られますし、学習会からはなれたところでお話を聞きたいということもありましたから。
結果としては、ほんの30分でも座談の意義はあったと思います。
逆に、「聞き方・伝え方」として最低限こういうことは話せればな、と思っていたことの多くが積み残しのままです。
継続して学習していこうという主旨ですから、ここは欲張らずにいけばいいんでしょうが。
と、文章にしてみて、今日のレポートとしてはかなり伝わりにくいものになりましたね。
まぁ、私自身の振り返りと言うことで、ご容赦願います。
次回、どういう顔ぶれになるかで、今日のことが問われてくるかもしれませんね。
どういう形になっても、その時のことでやっていけるということだけは、わたしの中でスッキリと見えています。
つくづく、「法座」とか「カウンセリングのワーク」だとか、参加する方の意識がハッキリしている集まりは楽だなと…(自分の未熟をさしおいてなにいってんだか…苦笑)
ご参加のみなさま(予想以上の12名)ありがとうございました。
結果のところからいうと、この継続は難しいな…というもの。
いや、継続していくのが無理ってことじゃなく、簡単にはいかないだろうなってこと。
翻せば、次回からはよーく考えて進めようと。
そういうことを体感したのが、今回やってみて一番の収穫ですね。
おそらく、私がやろうとしている中身は変わらないものですね。
「聞き方・伝え方」を意識して、実践を通じて気付いてもらいたいってこと。
あとは、持って行き方。
事前に打ち合わせをしている世話役の方々とは、ここの基本…このことを学習していこうと言う意思の所はすりあわせ済みですから問題なし。
逆に、そういう方に合わせて私の中のベクトルが出来上がっています。
しかし、実際に参加された顔ぶれは多彩。
そこをどう工夫して、ひとりひとりを大切にしていくかがわたしの課題になりますね。
まぁ、そこのところでの腹は決まってますから、私の芯だけブレなければOKです。
その芯のひとつは「私が上手く出来なくても、ここにいる人たちの成長力を信じる」ということ。
数年前なら全部私がひっかぶって、「なんとかしなくちゃ」ってなるところです。
そこで、表の部分で大事にしたのは「ゆっくりと」ということ。
時間の制限はあるけど、ここは意識して。
まぁ、かなりエネルギーを消費しましたね。
(ということは、まだ無理してるところがあるんですね)
そんなことを意識の留めながら進めて行きました。
まずはお仏壇にお礼の後、2分間の黙想をします。
(これを黙祷と言ってしまい、後で指摘されちゃいました 笑)
今の気持ちをまじえて皆さんの自己紹介。
ついで趣旨説明。
初めてお目にかかる方も居られますし、前回の支部法座はお休みされた方もおられます。
上手く通じるかどうかは置いておいて、ここはわたしの思いを出させていただきます。
今まではここで(できるだけわかって欲しいから)多くを話しすぎるのですが、今回は簡潔に。
伝わらないところはあとで聞いてもらおうと言うことで。
次に、「聞き方・伝え方」をテーマにすることだけをルールにして、あとは参加の皆さんの「何がしたい、してほしい」をじっくりと聞かせていただきます。
おそらくこちらから「これこれをしていきましょう」と講義して実践を勧めていくほうがみなさん楽かもしれません。
しかし、今回はあえて、私のほうからは出していかないと言うスタンスで。
ここにじっくり時間をとってよかったと思います。
こういう時間の経験者の方はそれなりに、初めての方は不安や手探りなところを、多くの方が思いを出してくださいました。
それを板書にまとめながら、私はできるだけ(提案に応えたいのを押さえながら)受け止めていくことに徹します。
「どんな思いでも出してもらっていいですよ」という空気を少しは受け止めてもらったんじゃないでしょうか。
もっと時間があれば、ここででてきたものをじっくり参加者で分かち合いながら進めることもできたと思います。
(以前参加したフィールドワークで経験したやり方ですね)
今回は、そのあたりはわたしが受け止めて進め方を任せてもらうと言う方向で。
一旦休憩をいれて、まずは「聞き方・伝え方」を実践的にやっていこうと言うことで、「聞き手・話し手・観察者」の三人組をつくって、まずは役割だけ決めて自由に(時間だけは厳守)時間を使ってもらいました。
そのあとで、感じたことなどを皆さんに出していただき、それを板書していきます。
ちょっと後の時間も気にしながらですが、できるだけゆっくりと。
みなさん、いろいろ話してくださり、黒板も一杯になるくらいです。
「講義的なものもしてほしい」ということを事前に聞いていましたので、ここで皆さんの言葉を使って、「聞き方」のことを少し話しさせてもらいます。
先に講義していたら、おそらく「私の言葉」で進めますから、それぞれの気付きではなく「教えられたもの」になりがちでしょう。
ですから、こういう形を取りました。
時間はかなりかかってしまいますが。
そして、もう一度三人組で実践。
ここの分かち合いに時間が取れればもっと良かったんでしょうが…
これが失敗だったと思うんですが、「出来るだけ多くの方の希望を取り入れる」というスケベ心が、終盤駆け足にしてしまった事が反省点ですね。
最後に30分だけ座談の時間を取りました。
初めて京都支部の集まりに来られた方も居られますし、学習会からはなれたところでお話を聞きたいということもありましたから。
結果としては、ほんの30分でも座談の意義はあったと思います。
逆に、「聞き方・伝え方」として最低限こういうことは話せればな、と思っていたことの多くが積み残しのままです。
継続して学習していこうという主旨ですから、ここは欲張らずにいけばいいんでしょうが。
と、文章にしてみて、今日のレポートとしてはかなり伝わりにくいものになりましたね。
まぁ、私自身の振り返りと言うことで、ご容赦願います。
次回、どういう顔ぶれになるかで、今日のことが問われてくるかもしれませんね。
どういう形になっても、その時のことでやっていけるということだけは、わたしの中でスッキリと見えています。
つくづく、「法座」とか「カウンセリングのワーク」だとか、参加する方の意識がハッキリしている集まりは楽だなと…(自分の未熟をさしおいてなにいってんだか…苦笑)