昨年受講し、「地域若者サポーター養成講座」の第一期生となったのですが、今年も第二期がスタートするにあたり、今日サポーターの交流会がありました。
ニートの状態を何とかしようとするための支援がメインなんですが、まだまだ問題は山積みです。
そのために、行政だけではなく、地域地域にサポーターを置くことによって継続的に「一歩を踏み出していこう」というものです。
一番の目的は、そういう主旨を理解している「受け入れ企業」が多く現れ、暖かく迎え入れてくれることなのですが…
現実は、十分に就労できていた人でさえ職を失っていく現状。
昨年の講習受講時にはまだ「一歩踏み出せば未来が変わって行くかもしれない」とおもわれていたのに、年末には派遣切りが問題になり、年が明ければ正社員の雇用も削減されるという。
以前、ハローワークに勤める方のお話も聞いたのですが、なかなか大変な状況のようです。
そうなると職場に出る以前に、何かに傷つき、恐れて、「コミュニケーション」の一歩を踏み出せない若者たちはどんどん居場所をなくし、家にこもってしまいます。
で、そういう現状と、そん中でも動き出したプロジェクトのお話、そして参加者それぞれの取り組みや考えを交換してきました。
残念ながら、参加者は少なかったのですが…
私の関心はやはりカウンセリングを通じての「いま・ここ・わたし」を受け止めていくことから、引きこもっているひとりひとり、そしてその周りの方の関わりの部分です。
そういう意味では、参加されていた「サポートステーション」の方のお話にぐっと引き寄せられました。
それは「がんばれ」という言葉をめぐってのお話です。
私自身、なんどかこのブログで話題にしていますが、本人なりに「がんばっている」人に対して、その到達への期待や価値観の違いから「がんばれ」と言うことへの問題定義です。
出来ていない事があるときに、その「できない」ということを認めてあげずに、「できるはず」というこちらの価値観で持って「がんばれ」と言ってしまう…これは「いまのままじゃ駄目」ということにつながります。
もちろん、声をかける側にはそんなつもりは無く「応援」ということなんでしょうが…
なかには、そういう応援の声を受けて、嬉しく感じる人もいますし、一概に「がんばれ」が駄目だとは思いませんが、こと「ニート」と言われる人にとっては「がんばれ」といわれるのは困る事が多いのだと思います。
この問題を考えるときに、支援する人たちにこういう意識があるかどうかは大きな問題だと思いますし、サポートステーションの方からこの話を聞けたのは私にとって大きな安心でした。
どうしても引きこもる子に対して、親や周りの人も困惑していますから、どうにか「変わってほしい」という願いを持っていると思います。
それは下手をすると、「その子」の問題にしてしまう。
じつは、親や周りの側にも問題はあり、変わるべきところは一杯あります。
変わるべきとかくと、かなり強い言葉になり、親の側を責めるような言葉に取られてしまうかもしれませんが、「親の側にも問題があることをまず認める」というだけのことです。
それは責められることではなく、そのことで「いっしょに変わっていこう」という気持ちにつながればいいと思います。
私は、今回サポーターにとして登録され、活動していく中で、ひとつはこういう制度・サポートセンターという場所・取り組みがあることを何らかの形で少しでも知らしめていくことが役割だと思っています。
そしてもうひとつ、上に書いたような親や周りの方に心がけを持ってもらうことを伝えていければと思っています。
それはなにも新しいことを始めるではなく、このブログで「親子コミュニケーションの心がけ」としてつづっていることを繰り返していくだけのことでしょう。
このサポーター制度の具体的な取り組みのひとつに「ギタープロジェクト」というのがあります。
自分で何かやってみたいと一歩踏み出せる子たちにとって、とても大事なプログラムです。
こういうものがいろんな趣味のことで、広く行われていけば、何かひとつ達成してみたいという人に大きなきっかけを与えられるでしょう。
しかし、その前段階で、一歩を踏み出せず、傷つき、恐れている人たちが一杯います。
どうしても、そちらのほうに気持ちが行っているなと、今日交換会に参加してあらためて思いましたね。
このブログや「聞き方・伝え方」の集まりを進めていく事が、こういう制度につながっていけば…いや、続けることでつながっていくだろうなと。