コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

京都支部学習会 12月

2009-12-22 04:40:35 | 「聞き方・伝え方」学習会
日曜日は京都支部の学習会。
今月は遠方からの参加者は居られなかったが、大阪から学習会は初参加の方が。
別の場所でいろいろとお悩みを打ち明けておられたのだが、意を決して寒い中バイクで参加してくださった。

毎回参加のレギュラー組が6名、プラス大阪からお一人の計7名と少なめではあったが、逆に十分目が届く感じ。
最初に黙想の後、今の感じをたずねる。
このやり方にも慣れてこられ、それぞれが自分の身体感覚や湧き出る感じを言葉にしてくださる。
また逆に集中できないのならばそれを正直に表明してくださる。
「いま・ここ・わたし」を「そのままありのまま」ということが染み渡っていく感じがして、まったくの手探りからスタートした私自身が引っ張ってもらえる感じがする。

ちょっとしたワークも用意してみたが、その持ち出し方に失敗し「テストじゃないですけど、自分の今の聞き方を見つめてみるワークをするか、いつも通り実践してみるか…」と言う言葉に、「まだテストは怖い」という気持ちを起こさせてしまった。
ということで、ペア二組と3人組がひとつの三つに分かれて「聞き手・話し手」の実践。
私はフリーにしておいてもらい、実践中に順番にお邪魔して観察役。

今までは、人数を合わせるためにどこかに入ってましたが、慣れた人がいない組にはとても不親切だったろうなと思い、今回は自由に動き、その代わり感じたことを後の分かち合いで話させていただく形に。

型にはまった聞き方というのはやはり難しいんでしょうが、それでも少しずつ意識して「聞き方」が上手になられています。
なので、もう一度基本の聞き方「うなづき」「つぶやき」などを確認し、なぜそうするかの意味を少しお話しました。
これも、実践した上で皆さんが「こういう場合は」「こういう気持ちのときは」などと積極的にたずねてくださるので、それにお答えする形で。

言葉は違いますが「相手の尊重」ということを今回はお話できたと思います。

そのあと、一人「話し手」をお願いして、私が「聞き手」になって実践の見本を。
ちょうど「放す」のが良いんじゃないかと思っていた方に、話してもらいました。

問題・課題を持っておられ、そのことを話されるのですが、私は具体的な内容はそれとして聞きながら、問題に対する「気持ち」を返すことに徹します。
私が問題の中身を解決したり、指針を与えたりすることは一切ないですから、その方の持っておられる問題は解決していないでしょう。
しかし、「話が出来た」ことで楽になられ、問題との向き合い方・距離感に変化が起こったようでした。

このことはちょうどいろんなご縁で「真宗カウンセリングって?」ということを問いかけられていた私にとってのひとつの確認にもなります。

宗教的な、あるいは生活的な「問題解決」を促すものではなく、やはり「育ちあう」というところだと思います。
宗教的に悩んでいるから「真宗カウンセリング」ということではなく、問題解決はその方の”歩み”であり、こちらは寄り添うこと。
それが相手の方の「尊重」ですね。

この辺は、またあらためて言葉にして行きたいと思います。

来年はいろんな行事の関係で、土曜日に行うことが増えそうです。
とりあえず、1月は23日の土曜日です。


今日は夜に真宗カウンセリング研究会の先生と、来年の予定や案内パンフの打ち合わせをしました。
おかげで、いろんな流れ、動きに関わらせてもらえそうです。

出していくもの・入ってくるもの…
とても面白いですね。