コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

真カ研月例会 6月

2010-06-18 11:53:50 | 真宗カウンセリング

ロジャース氏の「セラピーによるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件」輪読も本文に入っていきます。

今回は私がレジュメ担当。
事前に内容を何度も読み込んでいると、学習会の本番で得しますね。
わからないところ、理解しがたいところが先にはっきりしてますから、皆さんの話のどこがポイントになっているかを把握しやすい。
と、毎回担当するごとに思っているのですが、次の月になると予習もせずにぶっつけ本番で学習会に挑んでしまっているという体たらくですが。

論文の主題となる「必要にして十分な条件」というのは有名なものだが、ここには六つの条件が示されている

1.2人の人が心理的な接触を持っていること
2.クライエントは不一致の状態にあり、傷つきやすく、不安な状態にあること
3.セラピストはその関係の中で一致しており、統合していること
4.セラピストは、クライエントに対して無条件の肯定的配慮を経験していること
5.セラピストは、クライエントの内的照合枠を共感的に理解しており、この経験をクライエントに伝えようと努めていること
6.セラピストの共感的理解と無条件の肯定的配慮が、最低限クライエントに伝わっていること

今回私が担当したのは、この六つが「必要にして十分」であり「他のいかなる条件も必要ではない」というロジャース氏の力強い宣言と、第一・第二条件の解説部分。

実は今まで「必要にして十分な条件」として話題にするときは、セラピストの三条件「自己一致・肯定的配慮・共感的理解」の三つを中心にしてきた気がする。
もちろん、この三つはとても大事だ。
しかし、今回レジュメ担当してみて、その前段階の二つにも非常に重要な要素が含まれていると感じた。

「1.2人の人が心理的な接触を持っていること」
考えてみれば「カウンセリングの状態」という時点で、2人が向き合い、相手の存在を知覚しているので、この条件はわざわざつけなくても成立していると思われる。
しかし、それが「当たり前」と流していけるかというと、「この条件が整っているからこそ成り立つ」ということを意識することはとても流して済ませられるもんじゃない。
たとえば、無理やりつれてこられてカウンセラーの前に座らされたクライエントがいるとして、カウンセリングに否定的で受け答えもおざなりだったとしても、「前にカウンセラーがいる・前にクライエントがいる」と潜在的にでも意識しているならば、これ心理的な接触をもっているのじゃないだろうか。
テレビの中の人物や、妄想の相手ではない、お互いに存在を知覚している相手がそこにいる。
これは「当たり前」ではないんじゃないだろうか。

心のどこかでいつも誰かとつながっていたいと願う(そのくせ表に出る態度では拗ねたり、攻撃したり)私にとって、そこに存在としていてくれることは「在り難い」ことだということをもう一度押さえなおす意味で、この条件にはハッとさせられた。

「2.クライエントは不一致の状態にあり、傷つきやすく、不安な状態にあること」
これもカウンセリングが始まっている時点で、クライエントは何かしらの問題を持って「不安」だってことは当たり前のように思われる。
しかし、この「不一致の状態にある」ということをもう一度しっかり認識することで、表に出てこない(表出する出来事に一致していない)問題があるということを押さえなおして、相対することはとても重要なことだと。

自己一致・不一致ということについても、なんとなくわかっているようで、いざ誰かに言葉にして伝えようとするとうまくいかない。
自分の中で「あぁ、一致してる」「うーん、不一致だ」とはなんとなくわかるようにはなってきたのだけど。

そのあたりを、この第二条件を学びなおしたことで、ちょっと深まった気がする。
といっても相変わらず自分の状態をどう表現すれば良いかは難しいけれど、「不一致の状態・不安がある状態を明白に近くされる必要はない。潜在知覚されるだけで十分」という言葉によって、「何がある」かを詮索しなくても「何かがある」とうっすら感じるだけでこの条件は満たされる。
心の状態を探るときに、「快晴…だけど、なんとなくうすーい雲があるような…」でOK。
まぁ、本当に快晴の人もいるかもしれないけれど、「そう思い込みたい」って人もいるだろうし、その「思い込みたい」という心を「なんかすっきりしない」って感じで味わっているならば、立派な「不一致」だ。

ここで「不一致」ということを意識することで、第三条件の話が大きな意味を持ってきそうだ。
(そこは次の担当者さん、お願いします)


今回輪読した全体像のなかで
「簡潔な記述が、論文を読み終えたときには、もっとずっと意味の深いものになるようにと希望している。」
というロジャース氏の語りかけがあった。
六つの条件をさらっと流してしまうけれど、簡潔な言葉だからこそ、そこに込められた意味をじっくり意識することはとても大事だろうなと。
序盤の二つでこれなんだから、3条件に至るとどこまで深いのやら…

仏法と同じで、わかったつもりはいくらでも訪れるけれど、本当のものはどこまでもどこまでも深いんだなぁ。


あと、ここには書けないけれど、参加者の生身の体験のところで「学び」の出来事を深めていけるって言うのは、とても味わい深いですねぇ。
真カ研の会員限定ですが、会員の方はぜひ予定をやりくりしてご参加を。
また、興味のある方はぜひご入会を。
詳細は真カ研HPにて
http://dbpca.web.fc2.com/