PTAの「指導者研修会」なるものに参加してきた。
市内でいくつかの支部に分かれているうちの南支部としてのイベント。
研修会と名はついているが、その時々の担当校が講師を依頼して行うもので、講演を聞いて終わり。
分科会や座談会になれている私にはちょっと物足りない気がするが…
しかしこれも特権で、PTA役員だからこそ講演会に参加することが出来る。
今回は「おおいし すすむ」先生による「大人のための読み聞かせ会」
絵本を通じて子育てをする側が学ばしてもらうことがたくさんあるというお話だった。
そのほとんどは、カウンセリングなどを通じて、また今までの保護者会やPTA活動でいろんなお母さんやお父さんと関わってきた中で感じさせていただいていることを、再確認や新たな視点で教えてもらうものだった。
過去に「親子コミュニケーションのちょっとした心がけ」としてこのブログでも取り上げている話でもある。
そのうちいくつかをもう一度取りあげてみる。
○子どもは親の真似をして学ぶ
私も親が率先して「ありがとう」ということをしないで、子どもに「ありがとうといいなさい」と押し付けても無理だということを言ってきた。
買い物でつりせんを受け取るときに「ありがとう」
ファミレスで注文したものを持ってきてくれたら「ありがとう」
そうすることではじめて、子どもはなにかしてくれたときに「ありがとう」を言えるし、そうすることが当たり前で、恥ずかしいことじゃないと学ぶんだと思う。
今回おおいし先生は、また別の視点でこのことを教えてくださった。
「みなさん、最初から日本語をしゃべってましたか?日本語学校で学んでからしゃべるようになりましたか?」
そう、周りで家族が日本語でしゃべっているから、それを身体で学んで身に着けていったのだ。
親が関西弁だからあたりまえのように関西弁でしゃべってる。
悲しい話だが、親が乱暴な言葉遣いしか出来ていなかったら、子どももそれが当たり前になって乱暴な言葉遣いをするようになる。
直せと言われても、それが当たり前で学んできたのだから。
「靴をそろえたり、そんな些細なことでも親の姿を見て初めてできるようになるんです」
子どもに「ああしろ、こうしろ」という前に、わが身を省みることが大事かもしれない。
○心の声を聞いてあげる。
これはとても大事なことだけど、そのためには普段からの関係作りが大事になってくる。
「言っても大丈夫」と思える関係を作らずして、「ほら言ってごらん、やれ言ってごらん」と責め立ててもそれは無理ってもの。
話を聞くということを学ぶのはとても大事だ。
そのことを、おおいし先生が体験した、小学校での子どもとの関わりを題材にした絵本があるそうで、それを紹介していただいた。
先生は、その子どもの日記を通じて、自分の間違った関わりに気づいていかれた。
「いつも怒った顔をしている」
「一方の言い分だけ聞いて決め付けている」
なかなか聞けない心の声を、その子の日記を通じて知る。
そういう日記をつけさせて、聞かせてもらうという関係が作れたから知りえた心の声。
いろいろ手段はあるものだなと。
○まず伝えたいことを受け止める。
これも先生の経験談から。
よくこける子がいたそうだが、こけて痛がってるときに「そんなん大丈夫、痛がらんとき、泣かんとき」と対応された。
でも一向に泣き止まない。
あるとき、おばあちゃんから「痛いの痛いのとんでけ~」とされたことを思い出された。
一度「痛い」ということを引き受けてあげる…
そう、子ども訴えは「私は痛いと思っていることを分かって」ということで、他人の判断で「大丈夫」とされることではない。
こっちは大丈夫と思っていても、本人は「痛い思い」なのだ。
痛さへの対応よりも、気持ちを受け取って欲しいのだ。
痛がっていることを認めて、受け止めて、「そうか痛いんやな」と。
これはまさに、ミニカンで学ばせていただいていることだ。
他にもいろんな事例を、時には体験談で、時には絵本を読むことで教えてくださった。
ちょっと「?」と思う部分もあったが、それはまた別の機会に。
いろいろ絵本を紹介してくださったが、先に書いた先生と生徒の関わりをモチーフにした絵本が素敵だと思った。
どこかで見つけたらぜひご一読を。
「おこだでませんように」くすのきしげのり作 小学館