コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

「規範」という言葉で感じること

2011-05-17 13:09:15 | PTA

 

先の日曜日には日曜礼拝の「花まつり」、月曜にはPTA関連でいくつかのミーティングがあり、相変わらずネタには事欠かないのですが、じっくり書き込んでる時間がなかったりします。

 

そんなミーティングの中で出た言葉であり、今年の市P連の目標でもキーワードになったものが「規範」というものでした。

 

この「規範」ということからいくつか、いろいろな深さで感じることがあります。

 

 

まず、「子どもに手本となる」というところでは、このブログでも「挨拶の見本を普段から親が示す」ということや、「子どもの言動は一番の手本の親の模倣である」ということで取り上げてます。

(よければこちらをご覧ください)

「挨拶しなさい」としつけるなら、普段から挨拶する姿を親が見せることが大事ですし、子どもが汚い・きつい言葉遣いをしているならば、自分がそういう言葉を子どもに投げかけたいませんかってことですよね。

 

今日は、そこからもう一歩進んだところで、最近感じることを書いてみます。

 

「ルールを守る」というのは、親から子どもに伝える大事なことの1つですよね。

で、そういう自分はちゃんとルールを守っているかということを振り返ってみて欲しいんです。

 

例えば、横断歩道で「赤信号は止まって待ちましょう」ということがあります。

これは誰でも知ってる当たり前のことですね。

子どもが小さい頃は、親に手をつながれながら、しっかりと信号の前で止まっていますよね。

ふざけて車道に身を乗り出そうものなら、危ないとしかる。

 

そんなとき、車が途切れたから渡ってしまう大人がいます。

こどもが「あっ、赤やのに渡ってる」というと、「あかんのになぁ」と答えますよね。

では、子どもと一緒にいないときはどうでしょう。

家の近所など、どこかで知ってる人が見てるかもしれないと思うとちゃんと信号を守るでしょうが、「誰も見ていない」というとき…ちょっと自分を振り返ってみてください。

 

よく大阪の人間性で笑い話にされますが、周りが渡りだしたら「なんとなくOK」として渡ってしまいませんか?

これは大阪に限ったことじゃないですよね。

 

そんなとき子どもが「赤なのに渡っていいの?」と聞いて来たらどうするでしょうか。

「そうだね、ごめんね」と思いとどまって、多少周りの迷惑になってもルールを守りますか?

「止まってると他の人の迷惑だから…」と、ルールよりも実情を大事にしますか?

「ここは特別なの」と言ってルールに特例をつけたりしてしまいませんか?

 

子どもにとっては「特例」なんてことは話がややこしくなるだけで、ルールはルールとして守ることを見本として見せないと駄目ですよね。

 

いや、他人を批判しているのではなく、自分自身の体験から来ることなんです。

 

あるとき、車を運転していました。

次男は男の子らしく、車のことにどんどん興味がわいてきます。

私もそんな息子との会話が楽しく、運転しながらいろいろ教えます。

車の信号には、歩行者よりもややこしい部分があります。

前の信号が「青」だから右折すると、目の前の信号は「赤」ですよね。

子どもにはそれが理解できないらしく、「赤なのにすすんだ」と言います。

まぁ、これはこちらに落ち度はないので、なんとか説明しようとしますが、「赤は停まる」というルールを大事にしている息子には難しいようです。

また、信号は「赤」なのに、矢印がでて右折する交差点が京都には多くあります。

それどころか最近は「赤」のまま、まっすぐと左折の矢印が付いて車が動き出し、やがて右折の矢印がでて青にならないまま「黄」から「赤」で終了…

まぁ、子どもが運転しないからいいんですが、「ルール説明がややこしくなります」

 

まだ、これは大人も「間違った行動」はしていないので後ろめたくはないのですが。

運転していて、信号の次に興味を示すのに標識があります。

「停まれ」の標識のところは、危ないから一旦停止。

「青に矢印」は一方通行で、車はこちら向けしか通れない。

子どもは興味があるもんですから、どんどん吸収します。

 

「数字が書いてあるのは、この数字以上スピード出したら駄目」

当然、こういうことも教えます。

それを聞いた息子は、スピードメーターを見て「60になってる」と指摘します。

心にブレーキをかけて、標識の「50」を守るようにしますが、交通の流れから行くとちょっと危なかったりします。

さらには、高速道路で遠出するとき、早く目的地について遊ばしてやりたいとついつい…

子どもは当然指摘します。

「メーターが80以上になってる」

こちらは子どものためにと…

そんなときつい言ってしまします。

「ここは”特別”で、危ないから他の車と同じスピード出してるの」

もう、最悪ですね。

「事情があればルールを破ってもいい」という見本を示してしまいました。

 

まぁ、これらは子どもの手前としてのものですが、それ以外の「社会的規範」ということは大丈夫ですか?

 

近年問題になっていることに、飲酒運転があります。

痛ましい事故があり、社会問題になり、本来は「規範意識」で解決すべきのところを「罰則強化」という手段を使ってまでも、「ルール遵守」に動いています。

しかし、この手のニュースが出ない日はあるでしょうか?

綱紀を守る先頭に立つべき公務員や有名人、挙句の果ては取り締まる警察組織や消防組織に属する人が違反して事故を、下手すれば殺人を犯しているのが現状です。

 

自分だけは大丈夫。

今日は特別。

 

こういう気持ちの下には、ちょっとしたルール違反は目をつぶろうという意識があります。

まずは、子どもためにも、「赤信号は停まる」という見本を示すところから「規範意識」を振り返ってみませんか?