この3日間、自由参観だったので一昨日と今日、少しではあるが観にいった。
一応息子らに「どの授業を見に来て欲しい?」と確認はしたが、こちらの仕事都合でそうそう合わせてはいられない。
(次男などは、「一日中観てて」などと…)
そんなかで、できるだけ観たいなと思ってたのが「英語」の授業。
今年から5年生6年生に組み込まれたものだ。
で、先ほど観てきたが、これが実に楽しい。
ゲーム形式で、英語に”慣れ親しむ”ことに主眼が置かれてるのかな。
会話に使われる「Stand Up」とか「Come Here」「Head Down」なんかを自然に学んでいけるのも良いと思うけど、それにプラスしてゲームに使う題材が「感情の言葉」なのが良いと思った。
9枚のカードを使うが、「Angry」や「Hungry」、「Happy」や「Sleepy」などをイラストで表現(多分手書きだと思う)してある。
子どもらは、そん感情を身振り手振り交えながら、言葉として発していく。
二つ目のゲームは、3枚黒板に張ったものから、代表者がサブカード(黒板に張っているものと同じもの)を隠しながら選び、生徒がどのカードが選ばれたか当てるゲーム。
ただ当てるんじゃなくて、まずは代表者が「How Are You?」と尋ね、生徒が「I'm ○○」とその感情をジェスチャー交じりで答える。
そして、生徒の方から「How Are You?」と尋ねて、代表者が「I'm ○○」と答えを発表し、正解ならそのまま立って、間違ったら座る。
これを難解か繰り返して、最後まで代表者の選んだものを当てていた人が「Winner」
「以心伝心」ゲームということだそうで、Winnerは「”Isihindenshin”Master」として次の代表者になる。
文法的な理解は後回しで、感情をジェスチャーで表す…コミュニケーション的にも大事なことの学びだねぇ。
私の世代だと、英語の勉強といえば「文法」から始まって、日本語で意識したものを文法的に正しく英語に変換するもの。
また、単語のスペリングを正しく記憶していくもの。
あまり楽しかった覚えがない。
それよりも、Beatlesを聞き出して、そのタイトルが意味するものを覚えていく方が楽しかったし、「Yesterday all my troubles seemed so far away」とかいう歌詞で言い回しを覚えていくのが楽しかった。
そこから連動していって、「Seem」なんかだったらRod Stewartの「Seems Like A Long Time」が理解できてくるし、そういう「Like」の使い方が分かったらBob Dyranの「Like A Rolling Stone」が「転がる石が好き」じゃなく「転がる石のように」ってのが分かっていった。
最初から「Like~」の用法は…なんて習ってもねぇ。
(と、英語が苦手ないいわけですが)
と、話がそれたが、子どもらは実に楽しそうに英語に親しんでいた。
帰り際に職員室に立ち寄って、教頭先生がいたんでその感想を伝えたら、ちょうど作成中のプリントをいただいた。
6月にある保護者研修会の案内だが、「国際化」という文字がある。
この英語の授業を見ていたら、英語が特別なものだという「垣根」は子どもらは薄いだろうなと。
むしろ、親たちが「外国」というものを特別視していて、大きな垣根を作っている。
「子どもはその姿を見ていますから、まず親がグローバルな視点を持って欲しい」という先生の言葉に、まったく同感だったし、理解的に「垣根をなくす」ことよりもまず、垣根の向こうにいると思っている人たちと触れ合って、理解しあって、同じ生命だということに気づいていければ…。
これは、人種的なことだけでなく、あらゆる”垣根”に通じることだけどね。
みんなちがって、みんないい
6月には、支援学校PTAの方との交流もあるし、この研修会もあるし、またいろいろと”知己”の機会がいただける。
火曜日・水曜日に多くあるのがちょっと困ってるんところだけどね。
あと、参観といえばもうひとつ感じたこと。
次男の方の授業を観ていると、多くの子どもが手を上げて質問に答えてる。
先生が「まだ答えていない人に」と言ってつぎつぎ当てていくが、そのうち一度答えた人もあたる。
そのときに「○○さんは、もういっぺん答えてるからずるい!」と声が上がる。
うーん、そこに嫉妬するほど自分が当てられて答えたいんだなと。
まだ3年生だからかなぁ…
自分が子どもの頃は、どう”当てられないように手を上げる”かに苦心してたような記憶が(笑)
ともあれ、子どもらが楽しそうに授業受けてる姿を見れてうれしかった。
先生方、ありがとうございます。