私の宗教観の根源は浄土真宗
親鸞聖人の教えだ
一口に浄土真宗といっても、その立場によって受け取り方は様々
家の宗派が浄土真宗
本願寺といえば浄土真宗
親鸞聖人の教えが浄土真宗
また、その関わり方も様々で
家が代々浄土真宗だから、そのまま浄土真宗で法事を行っている
浄土真宗の作法で先祖を供養してもらっている
浄土真宗の寺に生まれたから、僧侶を相続している
本願寺という「浄土真宗を商品」とするフランチャイズ組織で生計を立てる
学問として浄土真宗という教学を学ぶ
生死の問題を考え、宗教に答えを求めたとき浄土真宗だった
サークルに勧誘されて、生きる目的が浄土真宗だと教えられた
これだけではないが、私が出会っただけで様々な関わり方をしている人がいる
どれが正解でどれが間違いということはない
それぞれが「その関わりしかしらない」状況なら、そこを突くのは争いにしかならない
実際、元気なころの私は、違いの「正しい浄土真宗」をかざしてずいぶん不毛な時間を過ごしたものだ
今の自分でこのことを俯瞰するならば
様々なご縁を通じて阿弥陀様に出会っている
という感覚だろうか
もう一面では
他の人はどうでもいい、私がどう関わるか
と覚めているともいえる
長くなったので続きは次回に
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