昨日のアップで傾聴の基本から外れたやり取りについて触れたが、「基本重視」で学んでいるミニカン(ミニカウンセリング)研修会ではその効果が現れている。
この研修会では参加者同士がペアを組み、あらかじめ録音しておいた「逐語録音」を起こし、「逐語録」を作成して、研修会の時間でみなで検討する。
この週は、今年度初めてミニカン研修会に参加された方がカウンセラー役として話を聞いたときのものを使用した。
カウンセラーは初めてなので一生懸命基本に即したカウンセリングを行ってくださった。
もちろん、最初から完璧なものは出来ず(というか、完璧なセッションなんて実現可能か?)上手くいく部分、足りない部分などがある。
むしろ、そういう部分をはっきりさせて学び成長していく機会だから、「こうする方が良いんじゃないか?」ということがわかるほうが良い。
そんな中、二つの印象的な場面があった。
逐語の言葉をそのまま外部で使用するのはルール違反なので、似たようなシチュエーションに変えておく。
「最近慣れてきたんで、時間が上手につかえてきて、楽になってきました」
「時間が上手につかえたんですね」
「うん、そうですねぇ…上手に…、あぁ、楽になったんですよ」
これは時間が上手に使えたことを訴えていると大事にしたところ、クラエントもうひとつしっくり来ず、自分の言葉とカウンセラーの繰り返しを受け止めて、「上手につかえた」ことより、そのことで「楽になった」ことの方が訴えたかったことだと気づき、再びその言葉を協調している場面です。
最初から「楽になった」ということを受け止めきれていなくても、カウンセラーの想像や理解ではなく、クライエントの言葉をそのまま繰り返すことで、クライエント自身ももう一度今の自分で振り返って、話題の時点ではなく「今・ここ」の時点での感情に到達できる例ですね。
「なんか、相手の話を誤解して」
「誤解して」
「うーん、誤解というか…自分の思いで決め付けてたんですね」
これは「誤解」というキーワードを繰り返すことで、クライエントがその言葉を自分の耳で聞きなおすことで、より正しい言葉に深めている場面です。
カウンセラーが先走りして、想像して、「(流れから行けば)この言葉のほうがよりしっくり繰るんじゃないか」と思っても、クライエントの言葉をそのまま繰り返すだけで、自らの内省でもって焦点が当たっていく。
そうすると、仮に到達点が同じであっても、与えられた言葉ではなく、自ら湧き出た言葉なので深みが違いますし、このあとの成長の糧になると思います。
もうひとつは大事なキーワードを繰り返すことが出来なくて、クライエントが無意識に何度も何度も繰り返して行く場面。
「なんかお互いに、なんかトラウマに…」
「トラウマに…」
「んーなんかそういうトラウマに過敏になってるというか…過敏になってる関係かなぁ…過敏になってる」
うまいこと、クライエント自身が確信していける過程なんですが、一度「過敏になってる」という言葉を繰り返してあげれれば、「そうなんです」と確信してその続きの話題に入っていけるんですね。
このように、無理にカウンセラーが先回り・想像しなくても、クライエントの言葉をそのまま繰り返すだけで、気づきは深まっていく。
なにも言葉を形で「オウム返し」しているのではなく、そこにはクライエントの「自由に思考を遊ばせる」邪魔をしないという配慮が入っており、逆に言えばカウンセラーの言い換えは邪魔をする場合もあるということ。
そして、その「繰り返し」がはまってなくても、クライエントが自分で内省してより正しく伝える言葉を選ぶし、はまっていれば「そうそうそう!」と話題が進んでいく。
それぞれ最終的に
「楽になったんですね」
「決め付けてたんですね」
「過敏になってるんですね」
と、内省の到達点を繰り返してあげれば良い(それでまだしっくり来なければ、再び自ら言葉を捜す)
それは、カウンセラーがクライエントを大事にする「受容」そのものであるし、よりよい関係が構築されていく。
カウンセラーがクライエントの気づき・成長を信じている姿。
もちろん、それはクライエントのペースでの気づきであり、成長であるから、時間がかかる。
逆に言えば、時間を惜しむから早く進めようとカウンセラーの思いが混じった言いかえをしてしまう。
(良かれと思ってはいるんでしょうけど)
まず、基本的な傾聴ができた上で、ケースバイケースの「促進術」が出来るかもしれないが、基本抜きでは怖いことになりそうで、前回のアップとなった気がする。
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