コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

3.11 の思い

2019-03-11 13:23:53 | PTA

3.11ですね

私のPTA活動と東北震災はいろんなところでつながっています

ちょうど私がPTA役員になったときに起こった震災
翌年度支部の理事として全市の理事会に参加することとなり、震災後に支援に行ったPTAの先輩方の話を聞くことになります
単に自分の学校のPTA会長をこなせばよいという考えから、「絆」という言葉を通じて「子ども”たち”のために」という意識に変化しました

ちょうど、PTA全国大会が京都で行われるお手伝いをしたこともあり、PTAだからこそできる東北への支援もいろいろ行われました

それ以前から「PTAフェスティバル」を通じて仙台市とも交流があったことで、仙台にお伺いして「仙台市PTAフェスティバル」のお手伝いもしましたし、その際に被災地を案内してもらいました

モニター画面越しに見た震災が、空気感を伴って肌で感じることにもなりました


ここからは、PTA現場を離れ少し時間が経ったことで、やっと言葉にできる話です
(そういうことをいつか書ければよいなとブログリニューアルしたのはもうだいぶ前ですが)


仙台市のPTAフェスティバルには「政令指定都市PTA」のつながりで多くのPTA協議会がお手伝いに来られており、「ともに前に進もう」という意識でつながりを持ちました
私にPTAのことを教えてくださった先輩方の熱い思いもよく聞かせていただきました
この思いを後につなげていくことが私の役割だと…

しかし、私が全市の役員を受けた代でこの活動が途絶えてしましました
もちろん、形を変えて「絆」はつながっていますが

他都市などは同じ方が数年続けてTOPになられたり、数年いっしょに活動した方がのちにTOPになったりします
しかし、基本1年で全市の会長が交代する京都です
それぞれのひとの考え方、やり方があるのは当然ですから、なにもかも前年踏襲というわけにはいきません

また当時の行政側の担当者が影響力のある先輩と距離を取りたがり、いろいろ変えようとしたことも影響します
(酔うと余計なことや暴言を吐くタイプの担当者ですから、その先輩に影響されてる私はいろいろ言われました。まぁ、酔った勢いなので本人は覚えてないでしょうが、酔っても意識が残るタイプの私は全部覚えてます)

でも、その翌年に私がTOPを引き継いだりすれば、元に戻す提案もできたことでしょう
が、家庭事情や個人的なことで辞退することとなります(そのあたりもいつか話せる日がくるか…)
そのことだけは今も心残りです

昨年、久々に東北の地を訪れることができました
PTAとしての関わり、気持ちの中ではひと段落つけました

でも終わってはいません
次は身近なわが子らに伝えていくこと
出来れば、現地に連れて行ってやること

「忘れないでください」
仙台の方に託されたメッセージを伝えていきます

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