コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

ミニカン研修会 2回目

2010-05-20 23:51:57 | ミニカウンセリング
まずは前回に引き続き、ミニカンの進め方、逐語録の取りかた・作成の仕方などを学習。
当たり前のように行っているミニカウンセリングの、その意義や大事にしているところをもう一度資料を基に教えてもらうことで、来談者中心の考え方をももう一度再確認させてもらえた。

その後、今回の逐語録発表の担当者と担当日を決めて休憩。
今回は参加者が偶数なので、世話役は逐語録への絡みはなし。
その分、毎回の検討をしっかりさせてもらおうと思う。

後半はペアを組んで実践。
初参加のうちお一人が欠席だったので、残りの二人の初参加者にはM先生とSさんがペアを組んで、私は昨年から継続参加して居られるMさんと。

何度も実践を経験してこられたと言うことはとても大きなことで、”旧知”という安心感だけではなく、安心して聞いてもらえるということを感じさせてもらえるだけの力量が備わっている。

話の内容は触れないが、ふっと浮かんだ話題から話をしていくことで、勝手に「今話したいこと」につながっていく感じがある。
すごく自由でいさせてもらえる…
この感覚はカウンセラーの聞き方で与えられるものだと思う。
もう一方では、この時間だけではなく、ここにいたるまでの様々なお育てによる「経験」が、私の中から余分なもの・構えを省いてくれている感じを味わう。

ただ、ひとつだけ余分なものが常に片隅で存在を主張している。
それは「いつかは触れなければ」という思いと「触れたくない」という両方の思いに結びつく。
自由に話したいことに乗っかりながらも、そのちょっとした不自由が現れは消える。
今回は時間が短いと言うことが分かっていたので、深くその「触れたくないもの」に関わらないだろうという計算の上で、少しだけその話題に近づいてみる。

遠巻きに言葉にしてみる。
その話題に触れることに痛みを感じる。
怖さも感じる。
結局、「そいつが存在している」ことを感じたところで時間になった。
ちょうど良かった気がする。

ミニカンの心地よさは、油断を誘う。
ついつい、自由の雰囲気に乗って、無防備になっていく。
今は、その無防備になっていくことにも自由でいられるし、それをとどめようとする動きにも自由でいられる。

最後の分かち合いで、少し心の動きを言葉にしてみたら、最後に先生から「無理しないでいいですよ」と一言いただいた。
自分では自由と思いながら、どこかに無理があったのか…
その言葉が温かく感じられたし、同時に素直に「無理」という言葉も受け入れられた。

毎週、定期的に自分と向き合う時間があるということは、とてもうれしいことだ。

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