8月からこの11月まで、怒涛のイベント続き。
まだまだ続きはしますが、京都市から外へ飛び出しての活動はひと段落。
いろいろ記録として残しておきたいのですが、順番を気にせずぼちぼちと。
で、「残す・伝える」ということならば、やはりこのことを早期に。
今年も「仙台市PTAフェスティバル」のお手伝いと、東北の”今”を見せてもらいにいきました。
土曜日早朝の飛行機で仙台空港に向かい、1日目はレンタカーでの視察です。
2年前は当時の仙台市PTA会長に案内していただきましたが、今回は私が前回の行程を軸に案内。
そして、案内しながら、私自身がこの2年間の変化と変わっていないところを感じています。
今回はハンドル握ってるので写真は少なめですが。
まずは空港の展望から空港の様子を。
タブレットで空港に水が入ってきたときの様子も見ながら、その恐ろしさを目の前の風景とリンクさ
せます。
以前タペストリーがあった辺りに当時の様子や復興の様子がパネル展示されていました。
そして柱に「津波到達高さ」を示すものが。
レンタカーに乗り高速の入り口へ
前回はまだ瓦礫置き場になっていたあたりはすっかりきれいになっており、面影はありません。
高速で仙台市内を抜けるあたりも、海側は多くの更地がありますが、市内側は普通の町並み。
海側も、高速に沿うあたりは新しい家が次々に建っているようです。
高速を降り、石巻の市街地へ。
前回見かけた仮設住宅の列は見かけられず、おそらくこのあたりだったろうと思うあたりは新しい家
がニュータウンのように連なっていた。
きれいな学校も見かけたが、これも前回は校庭一杯にプレハブが建っていたところじゃないかと。
(正確な位置はわからないんで、憶測混じりですいません)
比較的被害が少なかった内海のあたりを通り、最初の目的地の女川町へ。
待ちの入り口あたりに「女川マリンパル」が。
お昼時なので駐車待ちの列ができるほどの賑わい。
これはもともと港にあった施設ですが、被災したので内陸で復興しています。
そこを過ぎると、前回と同じく家の基礎部だけが残ったエリアに。
がけ側の柵もそのままのところがちらほら。
そして目の前に現れる、倒壊したビル。
今もそのまま残されていた。
前回は近くに車を止めて見学したが、今は整地工事真っ最中で停めるのがはばかられたのでそのまま通過し、仮設住宅の設置場所になっていた高台の総合体育施設へ向かう。
その通路でもある前回瓦礫置き場になっていた地域はすっかり瓦礫が取り除かれきれいになっていた。
仮設住宅はまだ残っていて、多くの方が生活されていた。
仮の役場もここに設置されている。
駐車場に車を止め町並みを見る。
広大な更地…それ以上でもそれ以下でもない。
もう一方の高台である「女川町地域医療センター(旧町立病院)」へ向かう。
ナビの指示の道が通行止めなので、脇の道へ…
が、それは女川中学校へ向かう道だった。
まったく予定してない行動だったが、そこに設置された石碑と出会うことができた。
「女川いのちの石碑」そこに彫りこまれていた言葉が突き刺さる。
「ここは、津波が到達した地点なので、絶対に移動させないでください。
もし、大きな地震が来たら、この石碑よりも上へ逃げてください。
逃げない人がいても、無理矢理にでも連れ出してください。
家の戻ろうとしている人がいれば、絶対に引き止めてください。」
2年前の様子はこちらをご覧ください
後日写真を追加する予定です
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