日曜日は華光日曜礼拝の「はなまつり」
花御堂もお飾りをされ、お釈迦様に甘茶をかけてみんなでお祝い。
子どもたちによる献灯・献花・献灯のあと散華、おつとめをして、ちかいの言葉。
早めに集まった子どもたちが、何度も何度も練習して行う。
うちの子は二人の息子が「献灯」と「ちかいの言葉」担当だ。
ご法話は本職M先生。
花祭りの「花」と華光の「華」を通じて、「泥中の白蓮華」である仏様の「おこころ」
そして、「こころ」はどこにあるのかというお話。
4月は学生が卒業・就職したり、帰省や職場の変化などでボランティアの先生が入れ替わる時期でもある。
今年も数名の移動があったため、私も子どもの分級のお手伝いに。
園児と小学1・2年生の組を受け持った。
まぁ、この年代は静かに話を聞かせるまでが9割の仕事。
ばらばらに好き勝手するのが当たり前で、1箇所に集めるとちょっかいの出し合い。
当然その辺は織り込み済みで、どなって静かにさせるなんて野暮なことはしない。
こういうときはまず大声を出させる。
その代わり静かにすることもさせる。
具体的には、先生が手を上げてるときは「好きに叫んでよし」、先生が手を下げたら「その場で静かにする」
つまり、ゲームにしてしまう。
これで、声を「出すとき」と「出さないとき」を作ってやる。
で、何度か遊んだ後、「静かにした状態」のときに話しかける。
まぁ敵もさる者で、何度かやってるうちに飽きてしまうし、効力が無くなる。
そうしたら今度は手を水平にしたときは「声は出さずにスローモーションで先生に近づいてくる」なんて新しいルールも加えて、新鮮さを(少しでも)出す。
まぁ、そんなこんなで何回かに分けて自己紹介を交えて「どんなお話だった?」ということを全員に確認。
「忘れた」や「わからん」っていうのも多いけど、「おしゃかさまのおはなし」「こころのおはなし」などとキーワードにふれてくれる子らもしっかりいる。
ご法話の中の「宿題」でもある「こころはどこにある」「どんな感じ」「色で表すなら」ということも試してみるが、反応するのは一部の子。
みんなが遊ぶ中、一部の子でもこうやって先生の話が響いているのがすごいことだ。
「赤」「肌色」「ぴんく」と最初はあったかい色。
「悲しいときも同じ?」とたずねると
「青」「水色」「透明」と答えが返ってくる。
単純にハートのイメージで赤系の色を答えてるだけじゃなく、変化を感じているのは「見つめている」作業をしてるんだろうなぁ。
これを読んでるみなさんもぜひ、いま「心はどこにある?」「どんな感じ?」っていう自分の感覚にたずねる作業をしてみて欲しい。
おやつの時間まで先生役をして、大人の分級座談へ参加。
しかし、途中から入って流れに乗っかる前に、「特別ライブ」のお誘い。
こっちも楽しみだったので、分級座談は中断してライブ見学。
ライブ後再び分級座談に戻ったが、ある方のライブ評によって気分は最悪。
確かに音楽には好みがあるし、「自分の好みじゃない」ということを表明するのは自由だけど、自分の好み以外を否定して「駄目」と相手を攻撃することは「自由にしていい」ことじゃない。
ましてや「ここは自分の思いを自由に言っていい場所でしょ」と本気か皮肉か分からないけど、自分本位の「自由」を振りかざされると「安全な場」を目指しているものが崩されてしまう。
と、実はこの時点で私自身が「自分の求めてる価値」を基準にして、それに沿わない人に「困って」しまっている。
「困っている」ところまでは私の感覚だし、それを表明すればよかったんだろうけど、気持ちはその人を「攻撃」「排除」に向かってしまっていた。
なんのことはない、「気分を害した」感情に巻き込まれて、同じことをしているのだ。
いやぁ、ころころと変わる「こころ」に出会い、そんなドロドロのところに真っ白な華を咲かせてもらえる、そんなことにあらためて出会わせてもらえました。
「はなまつり」のことはかりもん氏もブログにされてますのでどーぞ。
花御堂の前で「ちかいのことば」を読んでる、腕だけ映ってるのが我が息子です。
こちらこそ、お世話になりました。
>小学1年生といっても、まだまだ幼いですが…
そうですねぇ。でも、やっぱりなんとなく「小学生」っていうなにかがあふれてる気もします。
>あとの件もね。いろいろな面で同感ですわ。
ありがとうございます。そういってもらえるとほっとする感じもあります。
私も件の方とはいつか話をすることがあると思います。ただ、こちらから動く感じは今は無く、「流れでそうなれば」って感じですかね。
今はそういう距離感があるなってことと、逆にその方を通じていろいろ足元を見せてもらってるなと。
また、担当、お世話さま。翌日、ナナが、「保育園のお友達、ぜんぜん変わってなかったわー」って、当たり前やー。まだ卒園して、1ケ月たってないんのにね。小学1年生といっても、まだまだ幼いですが…。
あとの件もね。いろいろな面で同感ですわ。でも、ぼくは触れませんでした。いつか、ネットではなく、きちっと言葉にしてみたいと思っています。