コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

ミニカン研修会 3回目・4回目

2010-06-04 05:38:02 | ミニカウンセリング
5月末の決算書提出期限やこまごました仕事に追われ、ブログねたはありながらサボっていました。
いやいや、ぼぉーっとしてる時間もあるわけですから、その気になれば更新できたはずですね。
なんだかんだ言い訳しながら、自分を正当化しようとしちゃってる姿がありありです。

せっかく”記録”としてもこのブログを利用してますので、遅れている分をまとめて。

忙しいといいながらもミニカン研修会は参加させてもらってます。
(忙しいという言葉についてもひとねたあるんですが、それはまたの機会に)

先週の25日には3回目がありましたが、この日から蓄語録の録音がはじまるので、検討はまだなし。
そこでペアを変えながら短い目の実践が2回行われました。

私はお二人の方相手に仕事がらみの話題と子どもを通じての話題を。
この日に関心のあった二つの出来事を別々の方に話したんですが、話しているうちに話題は同じような部分に収束していきます。
私の中の「あまり向き合いたくない部分」にどうしても近づいていってしまう。
意識しないようにすればするほど、その部分は「こっちを見て」と存在感をちらつかせます。

ある意味、ミニカンを通じて、カウンセラーさんがしっかり聞いてくださっていることで私の中に「安心感」が生まれるがゆえに、開いていけることで心の奥底にダイブしていけるんでしょう。
普段の生活では押し殺されている…あるいは生活に追われてかまっていられない部分。
そんな部分がちらちらと見えてきます。

この日もちらと見えはしても、やはり「あまり向き合いたくない」という気持ちも同時にはっきりしてますから、困っている私がいました。
が、「ミニカン実践は時間が限られている」という打算的な感覚から、残り時間数分だけ「相手してみよう」と踏み込んでみました。
こわごわ話題に触れてみますが、「向き合いたくない」ということは言語化できても、その扉の奥にあるものが黒い霧に包まれたままはっきりしてきません。
暗闇ではなく、黒い霧の中で手探るしてる感じです。
なにか端っこに触れたような気もしましたが、いまはそれが何だったか思い出せません。
ただ、予想通り「時間です」の声にその作業を中断できたことで「ホッとした」という感覚は残ってます。

と、これは私個人の中で起こったことですが、ミニカン実践として感じた部分は、やはり「聞いてもらえる」という関係が成り立ったことで「安心」が生まれます。
その「安心」は、「どんな私が現れても大丈夫」という感じにつながります。
さらにその「どんな私」というのは「今、ここの、ありのままのわたし」で居られることになります。
今回の打算的・限定的なアプローチは本来の「ありのまま」とは少し違ったものですが、「ちょっと触れてみようかな」と動けたのは、その動きたいという気持ちに対しては「ありのまま」でいられた結果でしょう。
この感じを体験できるのは素敵な時間だと思います。


このミニカンの後、月末に決算書提出を終えるのですが、それまでの数日は追われていたのでゆっくり振り返っていることはありませんでしたね。
しかし、最後の書類を提出する役所の前に立ったとき、急に気分が落ち込んできました。
「これでひと段落」ということに気が緩んだんでしょう。
その「触れたくない」の黒い霧から手が出てきてつかまってしまう感覚です。
言葉にすると「いらない子なんだ」という感覚。
役割や立場から離れたり、関わっていたことが終わったりなくなったりすることが「その役割を望まれていない?」という意識に固まってしまいます。
今はそういう言葉にして書き込んでますが、この時点から数日はぼんやりとした「黒い霧」でしかありません。

その辺を今週のミニカンでクライエント役のときに話してみるかも…と思っていましたが。

で、今週のミニカンは4回目でした。
いよいよ蓄語録検討が始まります。
世話役をのぞく参加者の中ではベテランになるIさんがカウンセラーで、Mさんの話を聞かれています。
Mさんの話題は、不思議なことに私の中の「不安」な部分にシンクロします。
まぁ、そういう私個人のことは置いといて蓄語録をみながら聞いていました。
カウンセラーさんの「力まない関わり」で、クライエントさんがなんども同じところをなぞりながらひとつの気づきに深まっていかれる様がつかみ取れます。
実践で経験をつむのも大事ですが、他の方の事例をみなで検討しながら学ぶのもとても大事ですね。
人の姿を通してわが身が知らされます。

いよいよ後半は実践でしたが、今回はフルメンバー参加なので人数が奇数。
ということで、私がペアから外れてタイムキーパーということになりました。
例の「向き合いたくない」ものを考える機会が失われ、正直ホッとしてました。
本当は「向き合いたくない」ということがますますはっきりしてきたんで、わだかまりは残るのですが。
今は「ホッとした」の方が強いんですね。

消えてなくなることはないんで、次のクライエント役のときに「どうしたいか」にしたがって見ましょう。

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