あー・・・
また
連休は
かくのごとく
無為に
怠惰に
過ぎていく・・・
B'zの古い曲を聴きながら、朝も早くから起きている。寝たのが早いので、4時には起きていた。コーヒーはやめにして、コーヒーゼリーを食べながら書いている。ちょっと、古い時代の思い出が・・・
当時、私は2つ目の支店で働いていた。1992年ごろかしら?そのときの取引先の娘さんが「B'zのおっかけ」で、B'zの名前だけは知っていた。
でも、どんな曲を歌っているかも知らなかったし、興味もなかった。でも、彼女が目を輝かせながら、B'zの自慢話ばかりするものだから、1枚CDを買ってみることにした。アルバムは、全く、私と共鳴しない曲のオンパレードだったが、1曲だけ、気に入った曲があった。
「だからその手を離して」
この曲ってB'zが歌っていたのか!という、意外な驚きと、歌いやすいリズムに感動したのを覚えている。
当時、車は「カセットテープ」で音楽を聴くシステムになっていたので、自分で作ったオリジナルテープにこの曲が入っていたと思う。
ちょうど、窓を全開にして、246(にーよんろく=国道246号線)を飛ばしながら歌うにはちょうどいい曲だった。銀行員としての激務に耐えながらも、結構、深夜の246を走行していた「若かりし時代」があったことを思い出す。
勉強もせず、仕事オンリーだった時代。仕事が終わった頃には独身寮の食事の時間も過ぎていたので、同僚と外食。私は飲まず、同僚を横浜方面に送って、その帰り、「246」は「カラオケボックス」となる。
まあ、非常識かつ不健康な生活を送っていたものだ。まさに「不良行員」の鏡。本と車に全ての稼ぎを投下していた時代だ。だから、結婚前にたくわえがなく、親と家内に「多大な支援」を賜ることとなった。
で、今でも家内に頭が上がらないし、家内よりえらくなろうという気持ちすら起こらない。家の中では家内が上司である。
そう考えると、わたしはかなり「更生した」といえる。
きっと、15年前の私しか知らない人は、その豹変振りに面食らうことであろう。当然のごとく、当時の私は「遊び人」の部類にカテゴライズされる最低ランクの行員であった。最初の支店で銀行というところを見切ってしまい、絶望したことが、わたしからやる気を奪った。
2ヵ店目に転勤した私は「いつでも辞めてやる」そんな気持ちだった。上司も、組織論を学んだ立場からすると、リーダーにしてはならないような人々であった。ただ、同期が非常にいいやつだった。若手の同僚もこんな私を見捨てはしなかった。
だから、働き続けることができた。
しかしながら、2ヵ店目も上司との折り合いが悪く、たった2年半で去ることとなる。次の転勤先は人生の墓場ともいえる「どん底」の部署だった。
まあ、こんな話をし続けても仕方ないのでそろそろ止めることとしますが、人生何があるかわからないし、わからないからこそ、続けることができるのだと思います。
「邯鄲の夢」
そのことわざのとおり、人生が見通せてしまうと、生きる気力も湧きません。だって、それ以上の人生は訪れないわけですから。
勉強だけが努力じゃない。外に出て見識を深める努力も必要なわけです。だから、一日を振り返って、「昨日の自分より成長した!」と思えれば、それでいいじゃないですか。
そして、「明日は、今日の自分より成長してやろう!」という気持ちを持って眠りにつきたいものです。
また
連休は
かくのごとく
無為に
怠惰に
過ぎていく・・・
B'zの古い曲を聴きながら、朝も早くから起きている。寝たのが早いので、4時には起きていた。コーヒーはやめにして、コーヒーゼリーを食べながら書いている。ちょっと、古い時代の思い出が・・・
当時、私は2つ目の支店で働いていた。1992年ごろかしら?そのときの取引先の娘さんが「B'zのおっかけ」で、B'zの名前だけは知っていた。
でも、どんな曲を歌っているかも知らなかったし、興味もなかった。でも、彼女が目を輝かせながら、B'zの自慢話ばかりするものだから、1枚CDを買ってみることにした。アルバムは、全く、私と共鳴しない曲のオンパレードだったが、1曲だけ、気に入った曲があった。
「だからその手を離して」
この曲ってB'zが歌っていたのか!という、意外な驚きと、歌いやすいリズムに感動したのを覚えている。
当時、車は「カセットテープ」で音楽を聴くシステムになっていたので、自分で作ったオリジナルテープにこの曲が入っていたと思う。
ちょうど、窓を全開にして、246(にーよんろく=国道246号線)を飛ばしながら歌うにはちょうどいい曲だった。銀行員としての激務に耐えながらも、結構、深夜の246を走行していた「若かりし時代」があったことを思い出す。
勉強もせず、仕事オンリーだった時代。仕事が終わった頃には独身寮の食事の時間も過ぎていたので、同僚と外食。私は飲まず、同僚を横浜方面に送って、その帰り、「246」は「カラオケボックス」となる。
まあ、非常識かつ不健康な生活を送っていたものだ。まさに「不良行員」の鏡。本と車に全ての稼ぎを投下していた時代だ。だから、結婚前にたくわえがなく、親と家内に「多大な支援」を賜ることとなった。
で、今でも家内に頭が上がらないし、家内よりえらくなろうという気持ちすら起こらない。家の中では家内が上司である。
そう考えると、わたしはかなり「更生した」といえる。
きっと、15年前の私しか知らない人は、その豹変振りに面食らうことであろう。当然のごとく、当時の私は「遊び人」の部類にカテゴライズされる最低ランクの行員であった。最初の支店で銀行というところを見切ってしまい、絶望したことが、わたしからやる気を奪った。
2ヵ店目に転勤した私は「いつでも辞めてやる」そんな気持ちだった。上司も、組織論を学んだ立場からすると、リーダーにしてはならないような人々であった。ただ、同期が非常にいいやつだった。若手の同僚もこんな私を見捨てはしなかった。
だから、働き続けることができた。
しかしながら、2ヵ店目も上司との折り合いが悪く、たった2年半で去ることとなる。次の転勤先は人生の墓場ともいえる「どん底」の部署だった。
まあ、こんな話をし続けても仕方ないのでそろそろ止めることとしますが、人生何があるかわからないし、わからないからこそ、続けることができるのだと思います。
「邯鄲の夢」
そのことわざのとおり、人生が見通せてしまうと、生きる気力も湧きません。だって、それ以上の人生は訪れないわけですから。
勉強だけが努力じゃない。外に出て見識を深める努力も必要なわけです。だから、一日を振り返って、「昨日の自分より成長した!」と思えれば、それでいいじゃないですか。
そして、「明日は、今日の自分より成長してやろう!」という気持ちを持って眠りにつきたいものです。