レポートを書くために、必死に課題図書を読んでいた。
本日も、人間学特講のレポートを書こうかと思ったのだが、先送りにすることとした。書こうと思えば書ける。しかし、今は書く必要はないと思えてきたのだ。
正直、武蔵野大学大学院は、私の性格に合わないと思っていた。スクーリングに行っても、知り合いも少ないし、発表の場もないし、つまらなかった。
しかし、レポートのためとは言え、短期間にかなりの関連する図書を読みあさった。その中で、おぼろげながらわかってきたことがあった。それは、MBAコースのように発表してナンボの世界もあれば、今、この世に生かされていることを、独り考える世界もあるということだ。
そう、いわば自分を中心とした天動説的な考えから抜け出せないから、座学を愉しむことができないのだ。この広い地球、あるいは宇宙を考えた場合、所詮、私という存在はチッポケなもので、取り組んでいる生涯学習なんぞ、とるにたらないものである。にもかかわらず、不平不満を垂れるとはおこがましいこと限り無し。「己の分をわきまえろ!」ということである。
やっと、吹っ切れたのだ。悟りの入り口が見えてきたのかもしれない。
ここ1週間で、「グリーフケア」「ターミナルケア」「老年学」「死生学」そして「人間学」のレポートを作成する目的で「人の死」について書かれている文献を読みあさってきた。数百件の「死」に関する文章を、一気呵成に見てきたわけだ。
そう、「愛する人の死」だけでなく、己が死ぬこと、いや、己の死に際について研究してきたわけだが、結局、死は恐るものではないことがわかった。
いかに、よりよく学ぶか、そして、よりよく命を削っていくかを追究してきた自分にとっては、死とは特別なもので、最後の総決算のように考えていた。無論、そのような考え方もできるのだが、そんなに大上段に構えなくても、人として生まれた以上、いずれは死んでいく。それを自然なものとして捉えることの大切さを教えてくれたのが、「人間学」といえるだろう。
いくつも感銘を受けた文章はある。ただ、それをここで取り上げるのは、あまりにも安っぽすぎる。また、私が書くことで、本来の趣旨をねじまげてしまうかもしれないので止めておく。
学位や単位はどうでもいいので、一から「人間学」を学びたくなってきた。いや、学ぶべきだと思えるようになってきた。「生きることとは何か」「どうして私は命を受けたのか」「なぜ私なのか」「どのように死ねばいいのか」等々、考えるべきことは山ほどある。そのためにも、今まで読んできた流れとは、まるっきり異なる文献を読みたくなってきた。
なぜ、私は生かされているのか・・・そういうことを考えつつ、今日は、就寝することとさせてください。
最後に、人間学万歳!
本日も、人間学特講のレポートを書こうかと思ったのだが、先送りにすることとした。書こうと思えば書ける。しかし、今は書く必要はないと思えてきたのだ。
正直、武蔵野大学大学院は、私の性格に合わないと思っていた。スクーリングに行っても、知り合いも少ないし、発表の場もないし、つまらなかった。
しかし、レポートのためとは言え、短期間にかなりの関連する図書を読みあさった。その中で、おぼろげながらわかってきたことがあった。それは、MBAコースのように発表してナンボの世界もあれば、今、この世に生かされていることを、独り考える世界もあるということだ。
そう、いわば自分を中心とした天動説的な考えから抜け出せないから、座学を愉しむことができないのだ。この広い地球、あるいは宇宙を考えた場合、所詮、私という存在はチッポケなもので、取り組んでいる生涯学習なんぞ、とるにたらないものである。にもかかわらず、不平不満を垂れるとはおこがましいこと限り無し。「己の分をわきまえろ!」ということである。
やっと、吹っ切れたのだ。悟りの入り口が見えてきたのかもしれない。
ここ1週間で、「グリーフケア」「ターミナルケア」「老年学」「死生学」そして「人間学」のレポートを作成する目的で「人の死」について書かれている文献を読みあさってきた。数百件の「死」に関する文章を、一気呵成に見てきたわけだ。
そう、「愛する人の死」だけでなく、己が死ぬこと、いや、己の死に際について研究してきたわけだが、結局、死は恐るものではないことがわかった。
いかに、よりよく学ぶか、そして、よりよく命を削っていくかを追究してきた自分にとっては、死とは特別なもので、最後の総決算のように考えていた。無論、そのような考え方もできるのだが、そんなに大上段に構えなくても、人として生まれた以上、いずれは死んでいく。それを自然なものとして捉えることの大切さを教えてくれたのが、「人間学」といえるだろう。
いくつも感銘を受けた文章はある。ただ、それをここで取り上げるのは、あまりにも安っぽすぎる。また、私が書くことで、本来の趣旨をねじまげてしまうかもしれないので止めておく。
学位や単位はどうでもいいので、一から「人間学」を学びたくなってきた。いや、学ぶべきだと思えるようになってきた。「生きることとは何か」「どうして私は命を受けたのか」「なぜ私なのか」「どのように死ねばいいのか」等々、考えるべきことは山ほどある。そのためにも、今まで読んできた流れとは、まるっきり異なる文献を読みたくなってきた。
なぜ、私は生かされているのか・・・そういうことを考えつつ、今日は、就寝することとさせてください。
最後に、人間学万歳!