生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

「王朝貴族のおまじない」

2010年10月24日 21時29分56秒 | 読書
人間学を学習つもりで図書館で本を探していた際、見つけた本である。

スピリチュアルって、いかがわしくて嫌いだったのだが、その手の本も、人間学においては、まともに、参考文献となっている。

その系列なのだろうか、同じ分類番号147にあった本。「おまじない」って、漢字でかけます?「お呪い」なのです。そう、「呪い(のろい)」と「呪い(まじない)」は同じ漢字なのです。

このブログでも、以前書いたかもしれませんが、「山で急に空腹になって、歩けなくなったら、「米」という字を手に書いて舐めればよい」といったのもまじないの一種。事実、この本にも、ケースによって、男性の場合、左手の掌に「鬼」やら「岡」やら「命」やら書くことによって、救われるケースが列挙されている。

それにしても、一番最初に書かれているのが・・・・

 「百鬼夜行に遭遇したら」

という場合の呪文・・・最近では、なかなか、百鬼夜行に遭遇することはないと思うのですが。。。

とはいえ、その際に唱える呪文は「難い早 会が弄りに 醸める酒 手酔ひ足酔ひ 我酔ひにけり」だそうです。

百鬼夜行はともかく、実用的な呪文も多数あります。「死んだはずの人を見かけたら」「馬がお腹を壊したら」「人魂を見たら」等々・・・

でも、「蛇に咬まれそうになったら」という際に唱えるおまじない・・・唱えている暇があったら、逃げた方がいいと思うのですが?
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人間学とは・・・

2010年10月24日 07時10分27秒 | 武蔵野大学大学院
このブログでは「人間学」といいながら「死生学」が語られたりしている。

私は武蔵野大学大学院人間学研究科の学生であるが、本学人間学研究科においては、必須の5科目がある。

・人間学特講
・死生学特講
・老年学特講
・ターミナルケア特講
・グリーフケア特講

これ以外にも2年次になると、選択科目で「心理系」や「仏教・思想系」「保健・福祉系」の科目も学ぶのであるが、上記の5分野を私なりの人間学として取り上げていきたい。

当初、人間学だが、結局、キャリアについての論文をまとめることとなるため、人間学もMBAも大差ないと「誤認」したことが今回の失敗の発端である。無論、論文はキャリアでまとめるが、学修の軸足は、あくまでも人間学である。

1冊でも多くの本を読み、また1コマでも多くの授業が受けられればと思っている。
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「生の幸い、命の煌き」

2010年10月24日 06時24分04秒 | 人間学
この本は死生学の参考文献である。

何気なく手に取ったこの本が、私を人間学へといざなった。感じるところは多々あるのだが、取り上げたいのはpp116‐117。以下に記載したい。

内容としては、著者が知り合いのシスター(アリス)から聞いた、アグネスという女性が「ベティー・イーディーの本」を読んで人生が変わったことについて書かれている。

>私たちのこの世の人生は成長のために与えられている。この世のすべての体験が益と
>される。この世で味わう苦痛は、じぶんの霊的な成長のために与えられるのである。
>私の人生に起こることすべてが、意味を持ち、私の成長を促してくれるのである。
>とくに、私の目を開かせてくれたのは、この本の次の一節です。

>「道に飛び出して、酔っ払いの車にひかれて死ぬことを選んだ人がいたとします。
>そんなひどい話があるかという気もするのですが、神の純粋な知識のなかでは、
>ひかれて死んだ人の霊は、いずれ起こるはずだった悲惨な事故から、その運転手を
>自分が救ってあげたとわかっているのです。人をひいた運転手は、その一週間後に
>また酔っ払って、十代の若者の群をはねて、無用の痛みや苦しみにあわせてしまうかも
>しれなかったのです。でも、この運転手はそうはならずにすみました。人をひいた罪で
>刑務所に入っていたからです。ひかれた人はこの世で自分の目的をこれで遂げることが
>できました。永遠の観点から見れば、若者たちは無用な苦しみをま免れ、運転手は成長
>を体験する出発点につかされたことになります。この世で、一見なんの脈絡もなさそう
>な体験をするようなときでも、きちんと導かれていくからです」

>この本によって私の生き方は変わりました。私は苦しみの意味を理解し、許す力を与え
>てもらったからです。そして生きる根源は『愛』につきることがよくわかりました。
>息子を失った苦しみが、ここまで私を成長させてくれたのです。あの世にいる息子とも、
>今は喜びのうちに一致しています。

一般的には、愛する人を事故で失った場合、怨みや悲しみ、無念さで、悲嘆に明け暮れることだろう。しかし、ここに書かれている考え方においては、死ぬこと自体、意味を持っていると言えないだろうか。例え、受け入れ難い、残酷な死であったとしても、神の知識の中では、そのことに意味がある。それによって、変わる未来があり、いかなる場合においても、決して、死は無意味なものではないという考え方。

また、その死に関わることで、自分自身の成長が成されるという点も、今までの私には考えられないことであった。

死を、恐れ、忌み嫌い、避けるのではなく、真正面から見て行きたい。そして、人間というものについて、もっと正しく理解したい。そう思った一冊でした。
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