先に述べたとおり、大学評価・学位授与機構の小論文試験が本日開催された。
この結果、また、2,000人ほど、学士の学位を取得する人が増えることだろう。無論、日本において、学位を出せるのは機構のほかに大学もあるので、毎年、膨大な数の学位が発行される。
私が保有する学位は修士3つに学士が12である。うち、機構の学位が10ということとなっている。あわせて15の学位だが、日本で発行される学位の数から比べると微々たるものである。ただ、自分で言うのもなんだが、一人で取得した学位としては、多いほうではないかと思っている。
無論、学位の価値は数ではない。昔は大博士という学位もあったが(実際に授与されていないものの)、今の日本では博士が最上位の学位となっている。その研究はピンからキリまであるのだが、やはり甲乙つけがたいものである。
「博士×1」と「学士×10」では、やはり博士のほうに軍配を上げたくなるのだが、「博士×1」取得の人口と「学士×10」取得の人口とでは、希少性においてという前提なら「学士×10」取得の方がレアであろう。
私の場合、学士であろうと、何の学位であろうと、「なぜ彼が複数取得したのか?」ということに興味が湧くのである。
特に、機構の学位を複数取得する「奇才」は、一体、何を考え、その行動を起こしているのであろうか・・・1つで十分であるはずの「学士の学位」を立て続けに取得するモチベーションは一体何なのだろう?
自分としては生涯学習の証の蓄積であるが、そもそも、学位自体が研究対象であるし、それとは別に、天邪鬼な性格と、ちょっとした収集癖の結果なのかもしれない。
また、常に戦闘モードに入っていないと、底無しに怠惰な生活に浸りきってしまう「ぐうたらな性格」を自覚しているからかもしれない。
とはいえ、学位を取得し続けることは、それだけ、専門性を構築していくことにつながるし、何かあった場合、その学位が役に立つかもしれないのである。何度も言っていることだが、「せめて修士があれば・・・」と言われてから、修士を取得するまでの時間は、学士取得者の場合でも、最低2年かかってしまう。学生募集のタイミングによっては3年かかる。人生の何十分の1が、その時点で経過してしまっている・・・
学ぶ余力が少しでもあるなら、その学んだものを形に変えておく。そうしたことの積み重ねが、いつの間にか、15の学位、232の資格になったのだと思っている。
この結果、また、2,000人ほど、学士の学位を取得する人が増えることだろう。無論、日本において、学位を出せるのは機構のほかに大学もあるので、毎年、膨大な数の学位が発行される。
私が保有する学位は修士3つに学士が12である。うち、機構の学位が10ということとなっている。あわせて15の学位だが、日本で発行される学位の数から比べると微々たるものである。ただ、自分で言うのもなんだが、一人で取得した学位としては、多いほうではないかと思っている。
無論、学位の価値は数ではない。昔は大博士という学位もあったが(実際に授与されていないものの)、今の日本では博士が最上位の学位となっている。その研究はピンからキリまであるのだが、やはり甲乙つけがたいものである。
「博士×1」と「学士×10」では、やはり博士のほうに軍配を上げたくなるのだが、「博士×1」取得の人口と「学士×10」取得の人口とでは、希少性においてという前提なら「学士×10」取得の方がレアであろう。
私の場合、学士であろうと、何の学位であろうと、「なぜ彼が複数取得したのか?」ということに興味が湧くのである。
特に、機構の学位を複数取得する「奇才」は、一体、何を考え、その行動を起こしているのであろうか・・・1つで十分であるはずの「学士の学位」を立て続けに取得するモチベーションは一体何なのだろう?
自分としては生涯学習の証の蓄積であるが、そもそも、学位自体が研究対象であるし、それとは別に、天邪鬼な性格と、ちょっとした収集癖の結果なのかもしれない。
また、常に戦闘モードに入っていないと、底無しに怠惰な生活に浸りきってしまう「ぐうたらな性格」を自覚しているからかもしれない。
とはいえ、学位を取得し続けることは、それだけ、専門性を構築していくことにつながるし、何かあった場合、その学位が役に立つかもしれないのである。何度も言っていることだが、「せめて修士があれば・・・」と言われてから、修士を取得するまでの時間は、学士取得者の場合でも、最低2年かかってしまう。学生募集のタイミングによっては3年かかる。人生の何十分の1が、その時点で経過してしまっている・・・
学ぶ余力が少しでもあるなら、その学んだものを形に変えておく。そうしたことの積み重ねが、いつの間にか、15の学位、232の資格になったのだと思っている。