画像の本は、私がリスペクトしてやまない「宮子先生」が書かれた著書である。
といいつつ、内容的には、もう何度か、どこかで読んだことのありそうな本である。宮子先生の書かれた本は、入手困難な古いものを除けば、すべて読んでいる。その中で、同じテーマの文章を読んだのではないかと思っている。
とはいえ、そんなことはどうでもよいのである。一度読んだ本を、再度読んではいけないというルールはないし、良い本は何度も読めばいいのである。
その昔、わたしも凡夫であり、本の読んだ冊数を目標にしていたことがあった。まあ、愚かなこと。冊数を競って何になるのだろう。今は、その程度の悟りは啓けたつもりであるが、ついつい、年間何百冊やら、1千冊以上読んでいることを書いてしまうこともあり、まだまだ、俗人の域を抜けきることができない。
さて、著者の宮子先生は、何度も書いてしまうのだが、私が明星大学大学院を目指すきっかけとなった御方である。何の面識もないのに、メールを送ってしまうという、当時の自分の厚顔無恥を思い出すと、本当に、赤面してしまう。
されど、そのきっかけがあったからこそ、産業能率大学大学院を修了した後に、明星大学大学院に行かねばという気持ちになれたのも事実。彼女が、その後の大きな目標であったし、同じ教育学修士を取得できたのも、彼女のおかげだと感謝している。
宮子先生は作家であると同時に、博士課程の院生でもあり、まさに、これから口頭試問を受けられる。博士と修士は雲泥の差があり、再度、追いかけることは、今の私には困難極まりない。
でも、やはり、私は学び続ける人が好きなんだな。だからこそ、そんな学び続ける方の書いた本は、是非とも読んでみたいと思うのだろう。
といいつつ、内容的には、もう何度か、どこかで読んだことのありそうな本である。宮子先生の書かれた本は、入手困難な古いものを除けば、すべて読んでいる。その中で、同じテーマの文章を読んだのではないかと思っている。
とはいえ、そんなことはどうでもよいのである。一度読んだ本を、再度読んではいけないというルールはないし、良い本は何度も読めばいいのである。
その昔、わたしも凡夫であり、本の読んだ冊数を目標にしていたことがあった。まあ、愚かなこと。冊数を競って何になるのだろう。今は、その程度の悟りは啓けたつもりであるが、ついつい、年間何百冊やら、1千冊以上読んでいることを書いてしまうこともあり、まだまだ、俗人の域を抜けきることができない。
さて、著者の宮子先生は、何度も書いてしまうのだが、私が明星大学大学院を目指すきっかけとなった御方である。何の面識もないのに、メールを送ってしまうという、当時の自分の厚顔無恥を思い出すと、本当に、赤面してしまう。
されど、そのきっかけがあったからこそ、産業能率大学大学院を修了した後に、明星大学大学院に行かねばという気持ちになれたのも事実。彼女が、その後の大きな目標であったし、同じ教育学修士を取得できたのも、彼女のおかげだと感謝している。
宮子先生は作家であると同時に、博士課程の院生でもあり、まさに、これから口頭試問を受けられる。博士と修士は雲泥の差があり、再度、追いかけることは、今の私には困難極まりない。
でも、やはり、私は学び続ける人が好きなんだな。だからこそ、そんな学び続ける方の書いた本は、是非とも読んでみたいと思うのだろう。