生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

機構ニュース第116号より

2013年02月09日 11時48分22秒 | 大学評価・学位授与機構
大学評価・学位授与機構の学位を取得できない立場だと、ついつい、機構の情報に疎くなる・・・

とはいえ、3連休では、機構に関するレポートを書かないといけない状況で、2月19日までにレポートが出せないと、即、留年が決定する。現在の執筆文字数0文字・・・あいかわらず、追い込まれないとやらない性格であり、そんなぐうたらな自分を辟易する。

されど、このような環境に身を投じない限り、学習することは困難であり、致し方ない。というか・・・追い込まれずに、自発的に、レポートや論文といった成果物を作成できる人間がどれくらいいるだろうか?そもそも、多くの日本人が、本当の意味での生涯学習をしていないのだ。余暇レベルの生涯学習を含めれば5割台だが、欧米で生涯学習と評価されない部類を除けば、どれだけの人々が生涯学習に身を投じているのだろうか・・・

まあ、生涯学習を決定するのは個人であり、生涯学習の成果は個人に還元されるのだから、生涯学習は自己責任の範疇でしか進展しないといえよう。なんせ、私がいくら学習しても、あなたに成果が跳ね返ることはないのだから。また、ハイキングやゲートボールを生涯学習と考えてもかまわないが、その結果に対する評価も、すべて自分が受け止めなければならない。自分の心の中で、「リフレッシュできたぞ!」と思うことが、貴重な時間を投下して得られる珠玉の成果と考えられるなら、それは意味のあったものであろう。しかし、時間はつぶれた(=消費した)けれど、何も残らなかったという自己判断をするのであれば、それは、本当に生涯学習といえるものだろうか?あえて、対価や成果は不要というのなら、その判断も自己責任なので、私には何も言う権利はない。

大きく脱線した話を元にもどす。いつの間にか、機構ニュース第116号がアップされており、興味深い情報が還元されていた。

面接試験、小論文試験、ともに、昨年10月比受験者減となっていた。面接試験は168人⇒158人、小論文試験は2,379人⇒2,327人ということである。せっかく、大学に行かずに、学士の学位を取得する方法があるにもかかわらず、その制度を活用する人が減少傾向というのは残念である。あるいは、大学進学率が上昇したことで、短大・専門学校卒ではなく直接大学に行くルートにシフトしたのか・・・いや、わずか、面接10人減、小論文52人減ではなんとも言えないか。

で、2月の学位審査会は13日ということなので、13日に結果発表が送付されるという流れになるんだろうな。本当に、あと1週間ほどで、結果が判明するのだから、受験生2,585人の方にとっては、待ち遠しいことでしょう。例年9割以上の方が合格しているので、かなりの確率で合格できるはずです。欠席した方を勘案すれば、受験者で不合格は5%未満ではないだろうか?

そして、不合格の方は、受験する前から概ね決まっている。それは単位数であり、あるいはレポートの出来・不出来である。だから、普通に受験できた方は、苦しくても、合格を信じて待つしかない・・・

多くの方々に吉報が届くことを祈念しております。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

他力本願のすすめ

2013年02月09日 11時18分17秒 | 読書
「高学歴ワーキングプア」等、このブログでも水月先生の著書を紹介してきた。

で、いつの間にか、こんな本を出版されていたようだ。「他力本願のすすめ」という意味深なタイトル。「他力本願」とは、我々(浄土)真宗門徒には、金科玉条ともいえる響きがある。

水月先生自身、浄土真宗本願寺派で得度を受けておられるので、他力本願をすすめることは当然であろう。で、この本を読みすすめると、時々「う~ん?」と首をかしげるところもあるが、真宗というものを学んでいない人向けに、水月先生なりに、解釈して、説明しているのだろうという風に思うこととした。

それはそうと、今は、教鞭をとられていないんですね・・・まえがきのp.3に「今は事務職員をしている」とかかれ、九州の大宰府にある「学校法人筑紫女学園」という小さな学園に勤めているそうだ。

博士を取得しても教鞭をとることのできない社会。それこそ、高学歴ワーキングプアとして、最高学歴の博士が希望の仕事を見つけることができない残念な社会。それが今の日本の現実であり、大きな社会的損失ではないだろうか。

水月先生は、毎年1冊のペースで書かれるとのことなので、次回作を期待しております。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グロービス!

2013年02月09日 09時07分46秒 | ちょっと立ち止まって・・・
通勤電車に乗って、いつも残念に思うこと・・・それは、座れた人が、その瞬間から生産的なことをあきらめてしまうことである。

立っているときには、分厚い資格の本を広げていた人が、目の前の席が空き、座ったとたん、本を片手にグーグー寝てしまう・・・なんともったいないことだろう。座りさえしなければ、少なくとも目的地に着くまでの間、学習することができたのに・・・残念なことである。


さて、昨日、たまたま座ることができたのだが、隣の男性が、熱心に、何やらパンフレットを熟読している。自称「通信教育のスペシャリスト」である私は、それが、大学院の入学案内だということが一瞬にして把握できた。でも、どこの大学院かわからない。パンフレットの豪華さ、書いてある派手なPR文から、相当学費のかかる大学院だと理解したが、1ページめくったところで「グロービス」ということが理解できた(笑)

大学名がわからない状態にもかかわらず、パンフレット2ページで「グロービス経営大学院の入学案内」と判断できる自分のスキルに苦笑してしまった!

それにしても美辞麗句が並んでいた。まあ、私の修了した産業能率大学大学院も、それなりに、セールスポイントを書いていたが、隣で遠目に見ていても、なんだか、入学したくなる一品だった。

これ見よがしに、偶然、私の鞄に入っていた「武蔵野大学大学院通信教育部募集要項」を広げてやろうか!と思ったが、大人げないのでやめておいた。グロービスの入学案内と比べると、カラーでない本学の案内は、かなり見劣りするものである。それに、修了後のメリットもOB1人のトークだけ。これでは、ビジネスマンは寄ってこないだろう。

グロービスは標準終了年限2年間での学費の合計は2,930,000円、一方、武蔵野大学大学院(通信制)は、スクーリングをミニマムにした場合の2年間の学費は640,000円である。私の修了3つの大学院の合計の学費で、やっとグロービスが1回修了できる計算となる。どちらがいいのかは判断できないし、する必要もない。それは、学習することを選択した人の自己責任だから。

MBA2年で3百万も払うとなると、学ぶ方も真剣であろう。「絶対、元を取ってやる!」というマインドが、向上心に火をつけるのかもしれない。そして、終了後、上手に転職すれば、数年もかからぬうちに学費は回収できるだろう。

私のように転職しない人間にとって、学習への投資は、あまり意味のないものである。人間を「資産」と考えるなら、学費を投資することで、その分、資産価値は上昇するものの、転職しない限り、大きく給与が変化することはないため、利益が増えることは少ない。それが「入社後学歴は評価しない」という、日本的学歴社会の現状であり、投資に見合ったリターンがないのである。そして、転職しない限り、学習投資でつけた知識も、徐々に陳腐化し、あるいは忘却され、それこそ減価償却が始まってしまう。学び続けない限り、5年もたてば、残っているのは「学位記」という紙切れだけになってしまう。

とはいえ、私の学習の目的は「生涯学習」であり、その研究がライフワークなのである。だから、リターンは求めないし、学費は「投資」ではなく、多くの皆さんが「タバコ」や「ゴルフ」、「レジャー」等に支出する「消費」なのである。「消費型生涯学習」だからこそ、転職サイトの常連になるわけでもなく、投資を回収することに邁進する必要もないわけである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

塞翁が馬・・・

2013年02月09日 08時37分10秒 | ちょっと立ち止まって・・・
今、ちまたではPM2.5の話題でもちきりである。

微小粒子状物質。中国は大気が汚染され、その影響は、風に乗って、海を越え、日本にまで届いている。日本の報道が偏向し、過熱していたとしても、やはり大変状況にあるのは間違いないだろう。

その昔、私は一時期長期出張という形で中国で働いていた。期間は合計して3か月。わずかな期間といえば首肯せざるをえないのだが、たとえ3か月といえども、「海外勤務がしたいから」と言って銀行に就職した立場からすれば、夢が叶った瞬間だった。

世の中で、仕事で海外に行く機会があることが少数派であることを考えれば、この経験は貴重なものだと感じる。大連は天国だったが、上海は地獄。そんな思い出が走馬灯のように頭を駆け巡る。

その後、「海外勤務」の社内公募にも申し込んだが、結局、国内での勤務を続けている。本部だったり、支店だったり、あるいは子会社だったりと、これまた、「王道」ではなく「邪道」の人生と言えるのかもしれない。まあ、「邪道」ゆえに、通常のサラリーマンでは不可能ともいえる通信制大学→夜間大学院→通信制大学院→通信制大学院→通信制大学院+通信制大学+通信制短大という、あからさまに邪道な、学習を続けることができている。

よく考えてみれば、このような、学習歴を構築できたのも「塞翁が馬」といえるのかもしれない。もし、社内の公募に合格し、中国で働いていたら、当然、大学や大学院に行こうなんて思わないだろう。異郷の地に適応することで精一杯。脇目を振る余裕もないだろうが、それが、キャリア形成に大きく寄与するはずだった。

しかし、もし、北京で働いていたら、今ごろ、大気汚染に悩み、子ども達の健康を心配していたことだろう。日本が安全というわけではない。今でも、我々はゼロではない放射能汚染の影響を潜在的に受け続けている。ひょっとしたら、海外のことは大きく、国内のことは小さく、そう「針小棒大の情報操作」により、不必要な不安をあおられることで、逆に、本当に心配しなければならないことから目をそらされているのかもしれない。

とはいえ、今の現状から逃れることができるわけでもない。もし、将来の不安があったとしても、運命として現状を受け入れるしか選択肢はのこされていないのだから。また、これも「塞翁が馬」といえるのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする