本当、こんな大雪で交通も万全ではない状況なのに、モチベーションの高い人はたくさんいるものですね!
感動しました。本当に、多くの受験生の方々が「聖地」ともいえるこちらの会場に集まっていました。
とはいえ、時間帯が違うからかもしれませんが、2月2日と比べると、人数は減っているように思えます。雪の影響が大きいのかもしれません。
残念なのは、「東北福祉大学」のブースが、大雪のため、「欠席させていただきます」と表示されていたこと。でも、出席予定で欠席となっていた大学は、ここだけだったようです。
気になるのは、やはり母校のブースなのですが・・・産能はお客さまが数名しかいませんでした。一方、明星はそれなりに盛況。本当、よかったです。
多くの方が訪れるのは、本当に良いことだと思うのですが、さて、この中から何名の方が実際にアクションをおこされるのだろう。せっかく、あと一歩、前に出るだけで、新たな自分に出会うことができるはずなのに、ここまでで、立ち止まってしまう人の多いこと・・・
しかし、自発的意思ではなく、誰かに無理やりやらされたとしても、なかなか、学びの醍醐味っていうのは見つけられないし。そう、イヤイヤやっても身につかないのと同じで、結局、ムリしてやると、時間の浪費にしかならないかもしれないし・・・
難しいところなのですが・・・逆の観点から言えば、実際、通教生となった方の多くが、新しい価値観を身につけ、そして、中には、更なる高い世界を目指して、大学から大学院に進学する学生もいるし、あるいは、転職や、コース転換、転勤等で目を出す人もいるのが、面白いところといえるでしょう。
私の場合、なんというか、「悟りの境地」にまで到達したような気がします。まだまだ、上の課程等あるのですが、中道というか・・・高すぎもせず、低すぎもせず、そのレベルにおいて、学びを継続することに「生涯学習」の真意を悟ったといえるのでしょうか?
学位を取ったから「えらい」という思いもないし、「転職」といったアクションも取らず、ただ、栄誉や金銭も度外視して、学びたいことを、学べる教育機関で、学び続けるのみの姿勢を貫いているだけ。逆に、還暦を迎えて大学に入学する人や、仕事・育児・家事といった多忙の中、大学院に挑戦する人の方を尊敬してしまうし、すごく立派なことだと涙してしまう。
我々人間には、潜在的に、DNAに「学びたい」というデータが組み込まれてしまっているのです。だから、他の動物とは違い、進化し、文明を開き、叡智を伝播するすべを、生まれながらにして持ち合わせているのです。だから、その本能にしたがって学ぶだけ。
なんせ、赤ちゃんを見ていてもわかるように、人間って好奇心の塊なのですから。本当は、「学びたい」というのが、人間の本質なのです。でも、「お金がない」とか「時間がない」とか「仕事が忙しい」とか「睡眠時間を増やしたい」とか「遠隔地だから」とか「つまらない」とか「学校の先生が嫌い」とか・・・まあ、出てくる出てくる!なんやかんやと、エクスキューズを言い立てて、やらない自分を正当化してしまうのです。だって、面倒くさいし、遊ぶ時間減ってしまうし・・・
とはいえ、やっぱり学ぶことに好奇心があるから、この聖地、エルタワーには、毎回1,000人を超える来場者が訪れるのです。
ゆえに、エクスキューズになるような、雑念を払い、真に自分の学びを見つめるなら、何かコースはあるはずなのです。無論、それは、科目履修生かもしれないし、放送大学と言った、この合同説明会に参加していない教育機関かもしれないし。
「通信制の大学なんて、他の人に言うのも恥ずかしい」という人も結構おられるそうで、「卒業証書に通信の文字は入りますか?」とう質問も多いそうです。でも、それって、何のために学んでいるのでしょう?「通信か、通学か」って他人に説明するとき以外、無意味な識別といえます。自己の学びにおいては、通信であろうと、通学であろうと、全く同じ。何を気にしているのかよくわかりません。
あるいは、大学のブランドにこだわるあまり、「慶應義塾大学」とか「法政大学」とか「中央大学」とか、学びたいことより、通学課程の偏差値を基準に選択してしまう。「いったい、この人は何が学びたいのか?」と、ついつい、思ってしまうこともよくあります。
無論、「慶應義塾大学」に学びたいものがあるのなら、その選択は妥当性があるのですが、スクーリングもなかなか参加しづらいカリキュラムである上、履修単位数に制限もあることを理解しておかないと、入学したけど、卒業メドが全く立たず、途中で退学ってことになりかねません。
くれぐれも、何のために学ぶか=他人のためではなく、自分のために学んでいるのだということを考慮に入れ、これからの学習のスタイルを決断いただければと思っております。
感動しました。本当に、多くの受験生の方々が「聖地」ともいえるこちらの会場に集まっていました。
とはいえ、時間帯が違うからかもしれませんが、2月2日と比べると、人数は減っているように思えます。雪の影響が大きいのかもしれません。
残念なのは、「東北福祉大学」のブースが、大雪のため、「欠席させていただきます」と表示されていたこと。でも、出席予定で欠席となっていた大学は、ここだけだったようです。
気になるのは、やはり母校のブースなのですが・・・産能はお客さまが数名しかいませんでした。一方、明星はそれなりに盛況。本当、よかったです。
多くの方が訪れるのは、本当に良いことだと思うのですが、さて、この中から何名の方が実際にアクションをおこされるのだろう。せっかく、あと一歩、前に出るだけで、新たな自分に出会うことができるはずなのに、ここまでで、立ち止まってしまう人の多いこと・・・
しかし、自発的意思ではなく、誰かに無理やりやらされたとしても、なかなか、学びの醍醐味っていうのは見つけられないし。そう、イヤイヤやっても身につかないのと同じで、結局、ムリしてやると、時間の浪費にしかならないかもしれないし・・・
難しいところなのですが・・・逆の観点から言えば、実際、通教生となった方の多くが、新しい価値観を身につけ、そして、中には、更なる高い世界を目指して、大学から大学院に進学する学生もいるし、あるいは、転職や、コース転換、転勤等で目を出す人もいるのが、面白いところといえるでしょう。
私の場合、なんというか、「悟りの境地」にまで到達したような気がします。まだまだ、上の課程等あるのですが、中道というか・・・高すぎもせず、低すぎもせず、そのレベルにおいて、学びを継続することに「生涯学習」の真意を悟ったといえるのでしょうか?
学位を取ったから「えらい」という思いもないし、「転職」といったアクションも取らず、ただ、栄誉や金銭も度外視して、学びたいことを、学べる教育機関で、学び続けるのみの姿勢を貫いているだけ。逆に、還暦を迎えて大学に入学する人や、仕事・育児・家事といった多忙の中、大学院に挑戦する人の方を尊敬してしまうし、すごく立派なことだと涙してしまう。
我々人間には、潜在的に、DNAに「学びたい」というデータが組み込まれてしまっているのです。だから、他の動物とは違い、進化し、文明を開き、叡智を伝播するすべを、生まれながらにして持ち合わせているのです。だから、その本能にしたがって学ぶだけ。
なんせ、赤ちゃんを見ていてもわかるように、人間って好奇心の塊なのですから。本当は、「学びたい」というのが、人間の本質なのです。でも、「お金がない」とか「時間がない」とか「仕事が忙しい」とか「睡眠時間を増やしたい」とか「遠隔地だから」とか「つまらない」とか「学校の先生が嫌い」とか・・・まあ、出てくる出てくる!なんやかんやと、エクスキューズを言い立てて、やらない自分を正当化してしまうのです。だって、面倒くさいし、遊ぶ時間減ってしまうし・・・
とはいえ、やっぱり学ぶことに好奇心があるから、この聖地、エルタワーには、毎回1,000人を超える来場者が訪れるのです。
ゆえに、エクスキューズになるような、雑念を払い、真に自分の学びを見つめるなら、何かコースはあるはずなのです。無論、それは、科目履修生かもしれないし、放送大学と言った、この合同説明会に参加していない教育機関かもしれないし。
「通信制の大学なんて、他の人に言うのも恥ずかしい」という人も結構おられるそうで、「卒業証書に通信の文字は入りますか?」とう質問も多いそうです。でも、それって、何のために学んでいるのでしょう?「通信か、通学か」って他人に説明するとき以外、無意味な識別といえます。自己の学びにおいては、通信であろうと、通学であろうと、全く同じ。何を気にしているのかよくわかりません。
あるいは、大学のブランドにこだわるあまり、「慶應義塾大学」とか「法政大学」とか「中央大学」とか、学びたいことより、通学課程の偏差値を基準に選択してしまう。「いったい、この人は何が学びたいのか?」と、ついつい、思ってしまうこともよくあります。
無論、「慶應義塾大学」に学びたいものがあるのなら、その選択は妥当性があるのですが、スクーリングもなかなか参加しづらいカリキュラムである上、履修単位数に制限もあることを理解しておかないと、入学したけど、卒業メドが全く立たず、途中で退学ってことになりかねません。
くれぐれも、何のために学ぶか=他人のためではなく、自分のために学んでいるのだということを考慮に入れ、これからの学習のスタイルを決断いただければと思っております。