生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

明日は入学試験!

2014年02月22日 20時54分43秒 | 武蔵野大学大学院
さて・・・いよいよ明日が、武蔵野大学大学院の二次選考の日です。

常人が行わない学びを追求し、一度、修士の学位を得た武蔵野大学大学院人間学研究科に舞い戻る計画です。何故、一度修了した人間学研究科という修士課程に再度入学を試みるのか?実は、2年前修了したのが「人間学専攻」であり、今回目指すのが「仏教学専攻」なのです。

ようやく、人間研究の最終フェーズに届いたかな?という気持ちになっております。MBAとして人的資源管理を、教育学修士として社会人教育を、人間学修士としてキャリア形成を、学術修士(人間発達科学プログラム)として学位研究を・・・といった感じで、人間中心の研究を続けてきたのですが、やはり、人間とは行き着くところ、最後は「死」であり、それを支えるのが宗教だと思っています。ですので、仏教学がひとつの終着点といえるのかもしれません。

人間、どれだけ学んでも最後は死んで灰になります。人間、どれだけお金を儲けても墓場までしか持っていけません。内閣総理大臣として名誉を得た人々も、概ね最後は指弾され、その地位を維持するのは困難です。持ち上げられてきた社長が、明日には犯罪者として逮捕される世の中。あるいは、安全安全といわれたエネルギーが、最高レベルの殺人装置となり、何の罪も無い人に襲いかかります。

いったい、この何も信じられない世の中、明日の自分がどのようになるのか何の保証もない世の中において、どのように生きていけばいいのか?その迷える人々を導いてくれるのが宗教だと思っています。信教の自由は憲法で保障されており、何を信じてもよいとされています。しかし、日本人は意図的なのか、宗教というものに、極力触れないようコントロールされています。

それが証拠に、一般の公立学校で学習してきた人々で、「学校で宗教を学びました」という人はどれだけいるのでしょう。あるいは、死生学といった「死ぬこと」について学習してきた人はどれだけいるのでしょう。

あまりにも「宗教」や「死」について学習することがタブー視される世の中だからこそ、ガン等命にかかわる病気にかかわった瞬間から、生きる意味を見失ってしまうことがあるのです。というか、「死」に対して、どのように立ち向かえばいいのか、全く免疫がないわけです。それは、逆に、「生きる」ことについて、あまりにも日本人は無頓着だということに他なりません。

生きることの大切さ、自分が生かされているということの不思議さ、あるいは自然も含めてすべてが自分と繋がっている共生への感謝、そういった、諸々の偶然の蓄積こそが、何らかの大きな力の作用であり、その力こそが宗教というものではないかと思っています。そして、真宗大谷派に属する私としては、その大きな力の源こそが「阿弥陀仏」と置き換えることで、すべてがうまくつながるわけです。

「阿弥陀仏」は別名「無限の光を持つ仏」として「無量光仏」とも呼ばれます。そう、光がなければ、人類を含め、地上の生命がすべて消え去るのであり、そう考えると、「光」というものは宗教を差し置いても非常に大切なものと考えることができます。無限の光は、すべての人々、あらゆる世界の生きとし生けるものに、その慈悲の恵みを与えています。ゆえに、その恵みに感謝することが宗教の基本ではないかと思っています。

生かされている不思議を認識すれば、その不思議ゆえに、粗末に命を断ち切ってはいけないと思うでしょうし、自分が勝手に生きているのではなく、不思議な力の配慮により、生かされていると思うなら、無為に時間を浪費することの罪悪感と、何か有益なものに時間を投下したいと思えてくるのではないでしょうか。

ここまでは、宗教というものに素人の私が勝手に行き着いた考え。それをより深く学びたいから、仏教学を専攻する。自分のアイデンティティのよりどころを見つけるために、2年間、仏教を中心に宗教を学びたいと思うわけです。その学びの中で、また、新たな「人」に対する考え方が生まれてくれば儲けもの。それが発見できなくても、決してムダにはならない学習だと思っています。で、今の私の心は、画像のように澄み渡っています。
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Next3月号!

2014年02月22日 20時47分07秒 | 産業能率大学
さて、到着したNext3月号!

自由が丘産能短大の最終号できたのか、あるいは入学したばかりの産業能率大学の最新号としてきたのか?封筒にG1 D0と書いてあったので、産業能率大学の最新号として到着したのでは・・・と思っています。

産能大学と自由が丘産能短大に同時で在籍していたのですが、このNextになる前、産能大学はGain、自由が丘産能短大はDevelopmentと雑誌が別々だったのです。ですので、G=Gain、D=Developmentの略ではないかと。ですので、G1ということは、大学在籍を基準に発送されたと思っています。

とはいえ、見るべきところは短大の卒業手続ぐらい。まだ、大学については、特段、始動していませんから。
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本を借りに・・・

2014年02月22日 16時51分59秒 | 放送大学
放送大学多摩学習センターに本を借りに行きました。

本当なら、先週の土曜or日曜に到着の連絡が来てもよかったのですが、例の大雪で到着が遅れたようです。平日は取りにいけないので、本日学習センターで15冊借りてきました。

大学院で10冊、学部で5冊貸し出ししていただいたのですが、大学院・学部とも、修了/卒業が決まったため、15冊借り入れは今回が最後と思われます。その旨、図書室の係の方にもお伝えさせていただきました。実際、2年間で、大学院の学生証で186冊、学部の学生証で96冊、都合282冊の本を貸し出していただきました。本当に、いつも10冊、15冊と借りていく学生の対応をするのも大変だったことでしょう。なんせ、本の貸し出し以外に、ブースの手配等々、いろいろなお仕事が山積していますから。

そんな私に対して、「いくらでも借りていただいて結構ですよ」と親切な言葉を掛けていただきました。これからも、学部の戦利履修生は続けていくつもりですので、ありがたいお言葉に甘えさせていただき、都度、専門書を借りに行こうと思っております。

やはり、生涯学習に取り組んでいく上で、放送大学の学習センターのそばに引越しして正解だったと思っています。そして、多摩学習センターの係の方々の心温まる応対にいつも感謝しております。
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本日の機構!

2014年02月22日 13時44分14秒 | 大学評価・学位授与機構
放送大学に届いた本を借りに行く途中の機構!

まだ、雪がところどころに残っています。
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「TOEFLなど英語外部試験 大学出願の条件に」

2014年02月22日 12時29分00秒 | ちょっと立ち止まって・・・
ちょっと古いけど、2014年2月20日(木)の日経新聞朝刊38面に踊った記事!

東京海洋大は海洋学部の2016年度入試から、TOEFLなど外部の英語能力テストで一定以上の成績を取ることを出願の条件にすると発表した。一般入試だけでなく、推薦やAO入試などすべてを対象とするそうだ。大学の話では、出願条件にするのは全国初らしい。

とうとうここまで来たか!と思ったのだが・・基準スコアは一般入試の場合、TOEFLは435点以上、TOEICは400点以上、英検は準2級以上などとするそうだ。どうだろう?なんだか、受験すればなんとかなりそうな点数のような気もしないではないのだが。

無論、英語がダメで、他の科目で挽回しようと思っている受験生にとっては青天の霹靂ともいえる改正だろう。とはいえ、一貫しないのが、今回の変更は「海洋科学部」のみで、「海洋工学部」は対象外とされるところ。「文学部(英文科)」と「工学部」で、英文科のみ出願条件とういのなら納得感があるものの、そもそも、海洋科学部は英語必須の学部なのだろうか?詳細がわからないので、無責任なことはいえないのだが、少々違和感を覚えてしまう。

やり方としては、「基準の英語資格を保有している学生は試験免除」という方法もあるのだが、英語ができる学生にとっては得点源が免除されても仕方ないか?

資格を活用して、入試を多様化するのは、個性的な人材を獲得する手段にはなりうる。ただ、その向かうべき姿と、公平間が担保できないというのなら、それは、受験生にとって、改悪以外でしかなりえないのである。
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火山!

2014年02月22日 10時23分09秒 | その他
今朝の日経新聞朝刊21面より。

富士山、いつか噴火する?という記事があった。静岡、山梨、神奈川の3県と国などでつくる富士山火山防災対策協議会は、1707年の宝永噴火のような大噴火を想定し、火山灰による3県の避難対象者を最大47万人と推計する避難計画をまとめたとある。

そうか・・・300年ぐらい前に、富士山は噴火しているんですよね。あの白き尊き富士山が、何を対象に、その怒りの火柱を上げるというのか・・・正直、地殻変動や地震等の地球の動きが原因なのですが、何かと結び付けたくなるのが人間の心理の弱いところ。人間が正しく生活していても噴火は起こるし、好き勝手していても、いずれ、将来、いつかは噴火することとなるのでしょう。

で、この紙面にはクイズがありまして・・・

Q.世界には約1500の火山があります。このうち約何%が日本にありますか。次から選びなさい。
 0.07%  0.7%  7%  17%

いや~結構、私にとっては難しい出題となりました。家内も次男も即答即正解だったのですが・・・答えは下に記しておきます。













答:7%=110も火山があるのです!
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『パパも大学院へ』

2014年02月22日 08時53分38秒 | 生涯学習
表題の本を読みました。

今でこそ、法科大学院、会計大学院、教職大学院等々、専門職大学院も増加し、大学院人口もそれなりに増えてきたのですが、この著者が入学された1998年は、きっと、社会人が大学院に行くことは「狂気の沙汰」と思われたことでしょう。

私のような凡人のサラリーマンでも、8年連続して、4つの大学院を修了できるような、社会人が学びやすい時代。この著者は自分が大学院に行った日数を情報として丁寧に還元してくださっています。

ゼミ受講日・・・85日(12%)
研究会・懇親会・・・36日(5%)
自主的な登校日・・・120日(17%)
非登校日・・・471日(66%)

そう、約2年間、712日中241日、熊本大学大学院に通学していたのです!3日に1日は大学院。正直なところ、筆者の2年目は大学院の非登校日が多いです。逆に、1年目は1週間のうち6日も大学院に登校していることもあるほど、充実したキャンパスライフを送っておられたように見受けられます。

私自身、放送大学大学院にゼミとして参加したのは・・・6回ぐらいだったでしょうか?回数は少なくとも、朝から夜遅くまで10時間以上は続く会(飲み会含む)ですし、私以外では「宿泊」までして連日受講された方もいるようです。1回参加すれば、数回分の価値はあるものと思っています。でも、やはり、この著者ほど、大学院にエネルギーを投下していないのは事実です。

それでも、大学院に在籍し、生涯学習に勤しむことができる時代となったと考えた方がよいでしょう。何十年も前の大学院とはスタンスも、考え方も変化してしまった。当時の修士の方が今の博士より価値があるケースも多く、ゆえに、最終学歴が修士(or博士課程単位修得済満期退学)という先生も多いのでしょう。その後の研究成果を見れば、修士であったとしても、博士以上の実績を残されている先生方は多数おられます。

逆に、これほど、修士が取りやすい環境にもかかわらず、あるいは高校生の半分以上が大学に進学する時代にもかからわず、大学院に行かないのはもったいない気がしてなりません。

たとえば、「100万円くれたら200万円やろう」と言われたたとします。無論、いかがわしい詐欺まがいの団体から言われた場合、その話に乗ってはいけません。でも、信頼のおける機関がその話を持ってきたら、どう思いますか?交換して欲しいと思うのが普通です。それと同じことを私はしているつもりです。国立大学にしろ、私立大学にしろ、放送大学にしろ、本来、支払っている学費ではとてもじゃないが、現状の学習環境を提供することはできません。国が助成金や補助金等手当てして、運営が成り立っています。つまり本来200万円もする学習を100万円で売ってやろうという構図となります(本来の金額は受ける助成金の金額や過去から蓄積している大学の資産により変化しますが)。

お金を払ってお金がもらえるという仕組みではないのですが、それ以上の価値の消費しているのは事実。出所は税金です。ゆえに、社会人で大学等に行かないということは、ミスミス税金のみ支払って、その税金の流れ着く先のサービスは享受していないということとなります。

海外では、もっと、「学費が安い=税金部分が大きい」ため、ずっーと学生を続けていくほうが価値が高いということで、社会人にならず、モラトリアムを決め込む学生もいるといった話を聞いたことがあります。度合いが低いものの、日本でも私学助成金やOBの寄付、大学資産の運用益等々勘案すると、自分の支払ったもの以上の価値が返ってくることとなります。

まあ、逆転の発想っていうものでしょうか。

ゆえに、学生を続けていると、「税金ドロボー」といわれそうなのですが、自分の払った税金部分もありますし、加えて、これは国民に平等に与えられた権利を実行に移しているだけですので、ご容赦いただければと思います。
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「学籍情報」と「学位情報」

2014年02月22日 07時58分34秒 | 放送大学大学院
システムWAKABAの「学生カルテ」をチェックしてみる。

「学籍情報」の欄に、「卒業(修了)見込」に「2014年3月31日」が入っている!加えて、「学位情報」欄も、「取得年月日」に「2014年3月21日」が先日付にもかかわらず明記され、加えて、学位記番号も、ちゃんと入っているではないか!

これは大学院、教養学部ともにデータが反映されており、それぞれ学位記の番号が判明しているのである!

まだ、学位記を手にしていないが、確実に修了+卒業が刻一刻と近づいていることが実感できる。そういえば、卒業式2014年3月21日まで、もう、1月を切ったのですね。本当に、うれしく思っております。
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2013(平成25)年度第2学期大学院単位認定試験の成績等について

2014年02月22日 03時57分45秒 | 放送大学大学院
2013年度2学期に、大学院で取得した科目は1科目のみ。

でも、それは「研究指導」の科目であり、修了する際の、唯一の必須科目。8単位分を評価「A」ということで認定いただきました。

これで、ようやく、本当に、放送大学大学院を修了できるんだと感慨深く思っております。今回の挑戦は「放送大学大学院」と「放送大学」を同時に修了/卒業することにひとつの意義を感じております。とあるSNSの放送大学のグループに、無事、同時修了/卒業できた旨を報告したところ、学長先生から「そんなことができるんだ。」と驚きのコメントを頂戴しました(笑)

我々、放送大学生は、この学長先生のフランクさ、フットワークの軽さに好感を覚えるのですが、学生の立場として、学長先生を驚かせることができたことが、ひとつの達成感といえるのかもしれません(笑)。

一般的に、この日本においては、ひとつのことに集中することが尊ばれます。「その道一筋」という言葉が、前向きな言葉として取り上げられることが、その価値観をあらわします。そして、複数のことに手を出すことは「虻蜂取らず」とか「八方美人」とか「二股をかける」とか・・・まあ、悪い意味の言葉が多いのではないでしょうか?

私は、どちらかというと、限界まで自分を追い込むことでしか学習に取り組めないタイプの人間なので、今回も、三重学籍というおろかな挑戦に挑んでしまったわけです。その結果が、研究指導の「A」評価となったのかもしれません。もうワンランク上なら、修士論文集の「オープンフォーラム」に掲載されたかもしれないのに・・・そう思うと残念な気持ちにもなってしまいます。

とはいえ、私が見て欲しいのはそこではないのです。「普通の銀行員」が「教職者が多いプログラム」で「学位」に関する論文を書き「A」評価を取得したことが、最大の成果だと思っています。「B」や「C」ではなく「A」だったこと。個人的には、「評価は何でもいいから修了させてください!」という気持ちだったのですが、それなりに評価いただけたことに感謝しております(ひょっとしたら、研究指導は事実上「○A」と「A」の2つしか評価基準がないのかもしれませんが)。しかし、私がしたかったことは、「凡人のサラリーマンでも、仕事と違う分野で論文が作れたことの証明」なのです。

つまり、仕事に関係なく、興味を持っていさえすれば、何かしら大学院で研究できることを証明したかっただけなのです。私の挑戦は、「常識をぶち破ること」です。いわば、社会人の方々が、何かしら「理由」や「いいわけ」といった「エクスキューズ」を付けて、生涯学習を見送っている現状の「反例」となることに挑戦しているのです。そのため、可能な限り「学びの限界」に近い状況に追い込み、その限界を振り切ることに生きがいを見出しています。

「常識を超越することの驚き」=「実はそんな大変なことじゃなかったという実証」=「忙しいサラリーマンでもこの程度の学習ならできるという保証」を演じているに過ぎません。無論、睡眠時間もままならないような、ブラック企業に勤めているのなら、命の保全を優先すべきです。でも、そうでなければ、忙しくても、何とかなるものです。

生涯学習の常識を突き崩す活動に、これからも精進していければと思っています(といっても、経済的制約も厳しいのですが・・・)。
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2013(平成25)年度第2学期教養学部単位認定試験の成績等について

2014年02月22日 03時32分42秒 | 放送大学
放送大学より成績の結果が届きました。

既に、システムWAKABAで確認しているので、なんら目新しさはないのですが、総単位数合計271を目の当たりにすると、10年近く放送大学教養学部で学び続けてきた「力」というものを実感します。

学籍番号の先頭の数字は入学年度を示します。「042-XXXXXXX-X」ということで、2004年度第2学期から入学したこととなります。今は、既に2014年。ですので、そろそろ10年ということとなります。途切れることなく、選科履修生、科目履修生、全科履修生を続けてきたことが、271単位を生み出したと思っています。

教員でもない、自由業でもない、本当に、ただのサラリーマン。そのサラリーマンにしか過ぎない私でも、「継続して学ぶ」ことで、学力といる「力」を持つことができるわけです。これこそが、「時間」の偉大さです。他者が私と同じ程度の学習をしたとしても、約10年間、追いつくことができないのですから。

そして、私の初めての、放送大学全科履修生での学習のストーリーは、これで終結するのですが、10年分の学びを一挙に成果に還元できたようで、うれしく思っています。
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