本日は休暇をいただいているので、自宅でコーヒーを飲んでいるところです。
5つ目の修士課程で、合格は慣れっこのように見えますが、正直、今回の合格を非常に喜んでいます。本学にしてみれば、私は異端児。今までも、他大学で揉めたことがあり、異端の学習者は排斥されることが多いことを知っています。他大学の時は、「当該大学卒業生」「大学院修了生」「当該大学以外の大学卒業生」「科目履修生」「卒業者の親族」とカテゴリー総なめみたいだったため、単位認定と必要経費において、何度照会してもコロコロと変わってしまった。挙句、「本部に来い」という感じのメールに激怒し、入学できなかった経緯があります。
事務サイドも、やれ、単位免除や、二年次単位の一年次履修やらで、面倒な学生の入学となることでしょう。入学説明会では「2専攻履修は初めてのケース」との話がありましたから。
そんな異端の学生を迎えてくれることを、本当にありがたく思います。それでなくとも、通信制の大学院は学費が通学制の35%という安価な経費で実現しており、ローコストで運営を行う必要があるにもかかわらず、一括に事務を処理する上でネックとなるカテゴリーの学生を受け入れてくれたのですから。
それにしても、よく続くものです。今回の学習を2年で修了すれば、10年間修士生活を過ごしたこととなります。別に修士にこだわるつもりはないのですが、博士だと「テーマ」がない上に、「指導教官」がいないことがネックとなります。無論、コストもかなり膨れ上がることとなりますし。大学でもいいのですが、学生が多いので先生との距離が遠くなってしまう。それで、大幅に安ければいいのですが、今回2年間で武蔵野大学大学院に支払うコストと、産業能率大学に3年次編入して払うトータルコストは、そんなに大差があるわけではありません。入学金免除と12単位免除が大きいです。
子どもが大きくなるにつれ、今まで以上に学費がかかります。そのやりくりの中、「コスト」と「学習の質」を勘案し、加えて、「通いやすさ」「図書館利用の利便性」「人間に関する学習であること」等々、いろいろな条件を加味して、進学先を選ぶわけです。実際、お金があれば、研究科長が声を掛けてくださった大学院に修士課程から入りなおして、博士を目指すことも選択肢にあがってくるのですが、高額すぎて、ちょっと手がでないわけで・・・
すべての望みが叶うわけではないし、それこそが諦観というものだと思っています。今、自分に出来る一番適切な学習をすることが、一番の幸せだと思っています。その結果が、5回の修士の横展なんでしょうね。
人間、制限がなければ、いくらでも安易な方向に流される「弱い一面」を持ち合わせていると思います。だから、必死に自律心を保っておかないと、三日坊主に終わって、いつまでたっても目標を達成することはできません。特に、私は弱い。弱すぎる人間だからこそ、大学といったもので縛ってもらわないことには、計画的な学習は困難なのです。
きっと、仏教学専攻に入学しても、ギリギリのタイミングでしか、レポートや成果物を完成させることはできないでしょう。でも、ゼロよりかはましだと割り切って、納期に間に合うよう、緊迫した学習をすると思います。
無論、最初からそのようになると思わず、出来るだけ前倒しで頑張りたいと思います。でも、いつもそれができていないので、どこまで頑張れるかが勝負だと思っています。