生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

実用ボールペン字講座!

2016年01月16日 16時02分51秒 | 生涯学習
「生涯学習のユーキャン」の「実用ボールペン字講座」!

申し込んだところ、本日、教材が届きました。その金額31,000円。今ならキャンペーンで4本セットのペンを頂くことができます。


私は悪筆なのですが、今回、この教材を申し込んだのは家内です。どれだけ情報化が進んで、何でもプリンタで印刷できる時代ですが、やはり手書きの味わいというものがありまして、綺麗なボールペン字は魅力的と言えます。どれだけ上達するのか、他人事ながら楽しみです。
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二重学位

2016年01月16日 09時32分48秒 | ちょっと立ち止まって・・・
「二重学籍」という言葉があるが、ふと「二重学位」という言葉が頭をよぎった。

ちょっと、書き間違え。「二重学位」ではなく「二十学位」であった。そう、いま私が保有する学位の数がちょうど20となっている。詳細は以下の通りである。

【学歴】(学校)
①1990年3月 某国立大学経済学部経済学科卒業
②2006年3月 産能大学経営情報学部経営情報学科(通信教育課程)卒業
③2008年3月 産業能率大学大学院経営情報学研究科経営情報学専攻(MBAコース)修了
④2010年3月 明星大学大学院人文学研究科教育学専攻(通信教育課程)修了
⑤2012年3月 武蔵野大学大学院通信教育部人間学研究科人間学専攻修了
⑥2014年3月 放送大学大学院文化科学研究科人間発達科学プログラム修了
⑦2014年3月 放送大学教養学部心理と教育コース卒業
⑧2014年3月 自由が丘産能短期大学能率科(通信教育課程)卒業

【学歴】(大学評価・学位授与機構)
⑨2006年8月 大学評価・学位授与機構 学士(文学/心理学分野)取得
⑩2007年2月 大学評価・学位授与機構 学士(経営学)取得
⑪2007年8月 大学評価・学位授与機構 学士(教育学)取得
⑫2008年2月 大学評価・学位授与機構 学士(商学)取得
⑬2008年8月 大学評価・学位授与機構 学士(社会科学)取得
⑭2009年2月 大学評価・学位授与機構 学士(社会学/社会学分野)取得
⑮2009年8月 大学評価・学位授与機構 学士(学芸/科学技術研究分野)取得
⑯2010年2月 大学評価・学位授与機構 学士(教養/地域研究分野)取得
⑰2010年8月 大学評価・学位授与機構 学士(経済学)取得
⑱2012年2月 大学評価・学位授与機構 学士(文学/歴史学分野)取得
⑲2014年8月 大学評価・学位授与機構 学士(学芸/国際関係分野)取得
⑳2015年2月 大学評価・学位授与機構 学士(工学/社会システム工学分野)取得

もし、機構の試験が合格するとその時点で21学位となって「二十学位」を名乗れなくなってしまう。結果が確認できるまで、残り1カ月を切ってしまっている。あるいは、機構の試験に不合格であったとしても、武蔵野大学大学院を修了することができれば、21学位となって「二十学位」を名乗れなくなってしまう。修了式まで、残り2カ月ちょっとである。

学位も資格も数ではない。学んだ事実こそが尊いのであるが、時に、数は有言・無言のパワーを発揮する。その昔、私も「資格を100以上持っています。」と言えば、それだけで奇人変人扱いで、驚かれたものである。

取得した資格の内容を確認する以前に、数だけで、いとも簡単に一般の素人さんは驚かれるわけである。まあ、資格の道の達人やセミプロぐらいのレベルになれば、個々の中身を精査したうえで、総合的な学習投下エネルギーを算出し、その難易度を把握し、評価するわけである。

やろうと思えば、1年も使わずに資格を100程度取得することは容易である。雨後の筍のごとく、増殖するネット資格を取得しまくればよいのである。最初は国家資格や公的資格を中心に資格を取得し続けてきた資格マニアが、数の魔力に魅入られてしまうと、生涯学習に対して全く意味をなさないネット資格を収集し始めることとなる。こうなると、もう、私としては生涯学習の同志と呼ぶことはできない。「数のために無意味な資格を取得する」と言った煩悩に、尊い生涯学習のマインドを失った「数の亡者」である。無論、研究のためにあえて、無意味な実践をしているのなら別ですが。

学位についても、どうように数は無言の圧力になるかもしれない。なんせ、学位は学校教育法という法令に縛られているため、「ネット資格」のような濡れ手で粟の取得法は存在しない。ゆえに、再現性の困難さがパワーとして印象付けられるわけである。

無論、「こんなの愚行でしかない」という人も多々おられることであろう。その価値を理解できるのは、その価値を共感できる人でしかない。以前、テレビで「バナナアート」として、バナナに上手に彫刻する人がいた。「そんな彫刻無価値だから時間のムダ!」「食べてしまえば一緒じゃん!」っていう人には、バナナアートは無意味でしかない。でも、それを凄いと感じる人もいる。自分では再現できないスキルに共感し、評価しているのである。学位もそれと同じである。

「バナナアート」か「学位」か・・・あるいは「それ以外」か?自分の人生、限られた時間を何に等価交換してゆくのか。人生80年だとすると、29,200日で死ぬ。同じく、700,800時間で死ぬ。あるいは42,048,000分で死ぬ。つまらぬネット資格を取るのに1時間かかったとしたら、1/700800だけ、命を粗末にしたのと同値だと、私は考える。いわば、1/700800の自殺である。常々言うように、何かにつけ、すべての決定権は自己責任なので、何に自分の命を削っていこうと他人がつべこべ言うことはできないのである。しかし、今一度、立ち止まって本当にそれでいいのかを考えてほしい。この言葉を、そのまま私に返されそうな気もするのだが、私の人生については、こういうのもアリかな~と思っている。
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レポート添削中・・・

2016年01月16日 06時29分55秒 | 武蔵野大学大学院
12月22日に提出した単位認定レポート。

これが私の、本学における最終のレポートとなるのですが、現在、「添削中」となっています。本当なら、1月15日までに添削されるものですが、まあ、仏教学専攻の学生なら、期限をオーバーするのも「避けることのできない定め」として受け入れるべきなのでしょう。

「レポートは必ず期限通りに返却されるもの」という「執着」を持つこと。それは、私の煩悩です。「ルールは必ず守られるべきだ!」と厳格に対応することは、それが守られなかったとき、大きなストレスとなります。私は法学部の学生ではなく仏教学を志す者です。特に、浄土教の科目なので、このような場合には「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」と、唱えるだけでよいと思っています。

そもそも、本学の先生方は、通学制の学生の指導をしたり、学会の仕事をしたり、執筆したり、研究したりと、本当にお忙しい合間を縫って、通信の学生の指導をされています。それも、通信の大学院だけでなく、通信の学部の学生の指導もされているのです。お金を払っている立場からすれば「ルールを守ってレポート添削をしてください!」って言いたくなるのもわかりますが、多忙な先生方の姿を思うと、「お手すきの時で結構ですので、よろしくお願いいたします」って気持ちでいっぱいになります。

あるいは、このレポートが期限通りに返却されないこと自体が、非常にありがたい教えなのかもしれません。浄土教は、絶対他力を基本とします。自分の力ではどうにもならない添削中のレポート。そのレポートに対する己の無力感を実感し、世の中には、充足されない我執だらけであるから、それを「諦める」という考えも大切なのですよと教えてくださっているのかもしれません。

釈尊の教えの、本当に初歩の初歩といわれるものに「四諦」というものがあります。簡単にフロー化すると以下の通りです。

         まずは現状を把握
「苦諦」 人生は思い通りにならない
  ↓      それはなぜ?
「集諦」 私たちにさまざまな欲求、煩悩があるからだ
  ↓      ではどうしたらいい?
「滅諦」 煩悩をコントロールすればいい
  ↓      具体的にはどうする?
「道諦」 「八正道」(八聖道)を実践しよう
         出典:『心の安らぎに出会える仏教の教え』

そう、人生は思い通りにならないのです。「期限内にレポートが、当然の如く返却される」はずがないと考えるべきなのです。そうすれば、レポート返却が遅延するという事象について「苦諦」とはならないわけです。

とはいえ、1日レポートの返却が遅れたことで、軽~く1,000文字を超える記事を書いていること自体、私が煩悩から解放されていない証拠なのでしょうね。もっと、精進しなければなりません。
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