で、岡崎城!
犬山城と同様、小さいお城のように思えます。
天守閣から下を見たところ。
落ちたら絶対死ぬ!落ちたら絶対死ぬ!高所恐怖症的には、高いところから下を見ると、恐怖感しか思いつかない・・・
でも、安心してください、落ちませんよ!
何故か、天守閣最高層に、このようなご案内が・・・
そして、天守閣の石垣前の桜。
で、岡崎城!
犬山城と同様、小さいお城のように思えます。
天守閣から下を見たところ。
落ちたら絶対死ぬ!落ちたら絶対死ぬ!高所恐怖症的には、高いところから下を見ると、恐怖感しか思いつかない・・・
でも、安心してください、落ちませんよ!
何故か、天守閣最高層に、このようなご案内が・・・
そして、天守閣の石垣前の桜。
雨も降らず、天気的には最高の展開であったのだが・・・
咲いているところは咲いているものの、気持ち的には1分咲きってところだろうか?でも、ところどころ、日光がよく降り注ぐところは桜が咲いている。
日光の温かさの下、咲いている桜はこのような感じ。
案の定と言うか・・・
岡崎公園前という駅で降りたにもかかわらず、岡崎公園を見つけることができない・・・人っ子一人いない道を通りながら、いったい自分はどこにいるのだろうと、現在地と目的地の間で自分自身を見失っていた。
そんなとき、どこからともなく、太鼓の音が聞こえてきた。その音にいざなわれるように進路を変更したところ、岡崎城が見えてきた!
岡崎城に至る前の川沿いには「岡崎の夜ざくら」のボンボリがあるが、桜はほとんど咲いていない。
川沿いの桜は全くダメ・・・
で、太鼓の音につられて行ってみると、太鼓の実演がされていた。
岡崎城に行くために名鉄線に乗った。
「岡崎」「西岡崎」「北岡崎」「中岡崎」「東岡崎」岡崎のつく駅はたくさんあるので、どこが最寄り駅か判断に苦しむのだが、「岡崎駅」は「岡崎城」の最寄り駅ではないことだけはお伝えしておきたい。私が降りたのは「岡崎公園前駅」である。
到着した瞬間、失敗したと後悔しきりである。なんせ、駅のホームから見える桜が全然咲いていない・・・
これでは桜の期待はできない。でも、よくよく調べてみると、ちょっとは咲いている桜。
とりあえず、駅を出てみることとする。振り返ると、なんと小さな駅なのか。これで、本当にお花見シーズンを耐えることができるのだろうか。そもそも、各駅停車しか止まらないし・・・
駅前のロータリーには「オカザえもん」が!
岡崎公園へと足を向けるが、駅前の桜並木も、まだほとんど咲いていない・・・
まあ、仕方がない。前々から岡崎城は行きたかったから、桜無しでも行かねばならぬ。
ネットで調べても、どうしても検索しきれないおぞましき物体。
いや、いきものなのだろうか?西別院に腰かけようの椅子があったのだが、そこに描かれていたのが「ごんごんさん」だ。
この腰掛椅子自体、椅子と言っていいのか、それとも、特殊なアートなのか判断不明なのだが、その真ん中に鎮座する「ごんごんさん」自体が、全く不明なのである。
ひょっとして、お寺の鐘をイメージして、「ごんごんさん」としているのかもしれないが、お寺の鐘なら「ゴーンゴーン」だから「ゴンゴンさん」となってしかるべきである。名古屋特有のキャラクターなのかもしれないが、誰にも聞くことができない。ひょっとして、この「ごんごんさん」を知らずして、名古屋市民を名乗ることはNGだったらどうしよう・・・
また、名古屋の恐るべき点を見つけてしまったのかもしれない。これから、「ごんごんさん」の正体を追求する旅が始まるのかもしれない。無論、正体がわかればご報告するが、知っている方がいたら、「ごんごんさん」のとは何かを知らせて欲しい。
「西別院」とは何か?
「西別院」とは「浄土真宗本願寺派の本願寺名古屋別院」のことである。「西別院」ということで、反対の方角の「東別院」というのもある。西本願寺は浄土真宗本願寺派。東本願寺は(浄土)真宗大谷派であることを知っていれば、「東別院」は真宗大谷派の別院ということとなる。ちなみに、「東別院」は名古屋市営地下鉄名城線の駅名にもなっている。
寺院は一般の寺院と違い、「古代印度中天竺様式」だそうだ。
そいういえば、築地本願寺も変わった寺院だったな・・・
こちらの親鸞聖人の像は2つあり、一つがこちら。
「しんらんさま」となっており、親鸞聖人が仏道に入る前の時の像だろうか?
そして、こちらがもう一つの親鸞聖人。
今度、東別院に行ってみたいと思っている。仏教学を専攻し、学位を授与されたのは浄土真宗本願寺派(西本願寺)の武蔵野大学であるが、真宗大谷派なので、東別院の方に本来行くべきであろう。「浄土真宗」とか「親鸞聖人」とか語ったとしても、同じように見えて、主たるものは十派もある。
ただ、他の宗教とは違い、「真宗教団連合」として、極力、歩調を合わせているのは称賛に値する。その昔は、いろいろあったと聞いているし、そもそも、宗派が違うと、「着る物」や「念仏の唱え方」や「焼香の回数」とか、結構違うところがあるのだが、同じ「親鸞さま」の教えに沿った宗派なのだから、協調してしかるべきであろう。