懐かしの余部風景も最終回です。
今回は余部集落と駅、鉄道を紹介したいと思います!
余部橋梁が完成してから1950年代まで、余部集落の住民は山陰線を利用するために、
列車の合間を縫って徒歩で余部橋梁を渡って、トンネルをくぐって隣の鎧駅まで行く
必要がありました。
昭和30年に地元住民が駅設置に向けて国鉄に強く働きかけたり、小学校児童が
県知事に駅設置を願う手紙を書くなどの行動が効を奏して余部駅の設置が決定しました。
建設の際は住民たちも駅造りに協力することとして石を運ぶ様子を描いた看板が
ホーム傍に立てられていましたが、新橋梁建設工事開始後は周辺案内板等と共に撤去されたようです。
その他、地上から見た余部橋梁は聳え立ち、赤い鉄骨群の余部橋梁の雄大な勇姿を思い起こします。
また余部橋梁の下では日々、集落の住民が生活の場としての生活の営みが見受けられました。
駅の建設を手伝うために石を運ぶ様子を描いた看板
余部橋梁を下から見上げると聳え立つ!
民家の頭上を行くDC
小学校の校庭から橋梁を望む(左端には二宮金次郎の像が)
駅から橋梁を望む!
橋梁の下では童が遊んでいる風景は微笑ましい!
橋梁の下の道を行く地元のお婆さん
コブシの花が咲く余部の集落
新しく建設されたPC製の橋梁を行く181系カニかにはまかぜはですが、赤い鉄骨の橋梁でないので何か物足りない感じ?
(しかし、181系DCは廃車されてこの姿ももう見られない風景ですよね!)