★☆ 愛しき時間(とき) ☆★

2007年に乳がんと肺がんを克復しました。
現在 ACTH単独欠損症(特定疾患)、糖尿病の闘病中です☆

☆ クリスマスの準備 ☆

2005年12月18日 | クリスマス

もうすぐクリスマス・・・

きょうからblogのテンプレートも『聖夜』に模様替え・・・

ここ広島の街は、
今、外では雪がしんしんと降っている

12月の積雪で、17cmは記録的らしい。
こんな夜は「♪White Christmas」の曲がぴったり!♪♪

クリスマスはイエスキリストの誕生日。
2000年前にお生まれになったイエスさまのご生誕をお祝いする
大切な日だ。

もしもベビーちゃんが生まれるとしたら、
どこの家庭でも、
きっと、家族みんなでその日を楽しみに待つだろう。
ベビーベッドや可愛いお布団、
お花柄の肌着や小さな靴下・・・を準備して。

「男の子かしら?」
「女の子かしら?」

名前まであれこれ考えるかな?

クリスマスまで1週間。

ベビーちゃんを迎える気持ちで、
クリスマスを迎える準備をしたい。




 

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☆ ポインセチア ☆

2005年12月17日 | クリスマス

クリスマスイブまで1週間・・・

病気の話は少しお休みして、
もうすぐ迎えるクリスマスの話題にしようかな

今日はクリスマスを飾る華やかな「ポインセチア」のお花について・・・。

12月に入ると、
お花屋さんの店先はポインセチアがたくさん並んでいて、
この真っ赤な色のポインセチアを見ると、
「ああ、クリスマスだなー」と感じる。

そして「クリスマスの準備をしなくては・・・」と、
ポインセチアの花を飾ることから
毎年我が家のクリスマスの準備がはじまる・・・


ポインセチア
 原産地 メキシコ
 名前の由来 1825年当時、アメリカの初代メキシコ大使だった
      ポイントセット氏がメキシコに自在していたポインセチアを発見。
      これにちなんで「ポインセチア」と名づけれた。
       
 花言葉 「祝福」「博愛」「私の心は燃えている」
 和名 「猩々木」(しょうじょうぼく)
 日本への渡来  明治時代

クリスマス・カラーはとされているが、
はイエスキリストによって人類にあたえられている永遠の命
神の愛を示していると考えられている。

ポインセチアは、
クリスマスのちょうどこの頃に上部の笣葉(ほうよう)が赤くなり、
下部の尋常葉は緑色となって、
クリスマス・カラーになるので、
クリスマスの植物として用いられるようになったと、聞いている。
欧米では、「クリスマスフラワー」の別名もある程。

 原産地のメキシコにはこんな伝説もあるんだって

両親を失った貧しいマリアという名の少女は、クリスマス前夜に、
皆がキリストの像にささげ物もって寺院に出かけるというのに、
彼女には何もささげ物がなく、ひとり淋しくしていました。
そこへ親戚や友人がきて、たとえ道の草でも心をこめて捧げれば、
キリストは喜ばれるといって、彼女を連れて行きました。
寺院の中にはステンド・グラスを通して美しい光が満ちていました。
少女はおそるおそる、道すがら摘んだ草を、
心をこめて祭壇に捧げました。
すると驚いたことには、
その草の茎は緑に、上の草は美しい赤に変わりました。
彼女の貧しい捧げ物は、ほめたたえられ、
キリスト降誕の花、ポインセチアになったのでした。


私はこの少女に会いたくなりました。
「あなたの心はとってもきれいよ・・・ 」
と抱きしめてあげたい気持ちでいっぱいです

 

 

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** 乳癌 ** (その5・転移しやすい癌)

2005年12月16日 | 乳がん

8年前の乳癌の手術のことを、
当時の日記から書き綴っています(12/10から)。

乳癌は早く発見して早く治療すれば、
手術も簡単で、予後もいいので、

私はこのブログを通して皆さまに語りかけていきたいのです!

前回(12/14)は、
乳房温存療法手j術を実施したところまで書きました。
今日は、その続きです

☆★1997年の日記から☆★

【1997年5月22日・木】
15時にH病院の乳腺外科に行った。
14日に受けた手術の抜糸のため、
そして切除した癌の組織検査結果を聞くために。

気楽な気持ちで行ったのに、
そこでH医師から告げられた言葉はとても残酷なものだた。

組織検査の結果、
私の乳癌は、
「たちの悪い癌」「転移しやすい癌」
ということだった。

「入院してリンパ節郭清手術をしておいたほうがいいでしょう」と勧めれる。

希望した個室が空いていたので、明日の入院が決まった。
どうしよう・・・? 
「入院」なんて思ってもいなかった。

家族全員、組織検査の結果は良いだろうと勝手に考えていたから。

食欲もあるし、身体に変わったことは何もないし・・・。

私も家族も一変して、落ち着かないことに・・・。 
安易に考えすぎてたな。

帰宅して入院の準備をした。

「手術後元気で帰ってこれるのかしら?」 と、
ふと不安が頭をよぎった。


☆★ー☆★ー☆★ー☆★ー☆★ー☆★ー☆★

温存療法手術だけで終わるのかと思っていたのに、
大変なことになりました

それまで、私は乳癌検診は実施したことがありませんでした。
まさか自分が「乳癌」になるなんて思ってもいなかったからです。

「おかしいな」と思ったとき、すでに、

「しこり」も、あきらかにわかる大きさ(2.2cm)になっていました。

2cm以上は第Ⅱ期に入るし、
その上「たちが悪く転移しやすい癌」っていうことになると、
絶望的でした

一度でも検診を受けておくべきだった・・・と、             
             心から後悔しました・・・

 
 

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★ CT検査 ★ (結果)

2005年12月15日 | PET検査

先週7日(水)に実施したCT検査の結果を聞くために、
今日は病院に行ってきた。

わたしの場合、
肺癌は幸運にも早く発見できた。
(2001年乳癌手術入院時のCT検査で)

そのため、半年に1回のCT検査も、
再発や転移の不安もあまりなく、慣れっこになっていた。

・・・が、今回は違う。

11月のPET検査で、
右肺に異常がみられたから・・・(11/29のブログに詳しく書いている)。 

PET検査の結果報告書から引用すると、
「・・・CTAC(吸収補正用CT)上、
右S5に周囲血管束を引き込む結節影がみられます。」


なんだか私には意味がわからない。
呼吸器外科の担当のK医師が、
「CT検査をしてみましょう」 と言われたため、
7日に検査をしたわけである。

右S5というのは、右肺のどこかの部位?らしい。

わたしの番号を呼ばれ
(H病院では個人情報保護法のため4月から名前で呼ばれない)、
心臓をパックン!パックン!させながら、診察室に入った。

私 : 「おはようございます。」(震える声で・・・ )

K医師 : 「○○さん、CTの結果は異常ありませんでしたよ!」

私 : 「え~ 本当ですか うれしーい よかった 」

K医師 : 「よかったですね! 次は、3月に来てください」

私:「はい、ありがとうございます。」


すごく嬉しかった  
私も、もう少し生きることができるかな・・・

でも、この喜びは、いつまでも続かないかもしれない・・・。

だって、来週(22日)には内視鏡検査の結果が待っているから・・・
                 
そして、再来週には泌尿器科が・・・

 


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** 乳癌 ** (その4・温存療法手術 )

2005年12月14日 | 乳がん

現代の医学では早く発見して早く治療すれば、
「癌」は治る病気になってきているのではないかと私は思います。

8年前にはじめて乳癌の告知をうけたときは、
私自身も長くは生きれないだろうという覚悟でした。
8年前の日記を読み返しながら、
これまで3回にわたってブログに書き綴りました。 

1.乳癌の告知(12/10)・・・乳腺外科クリニックでエコーとマンモグラフィ検査>
2.穿刺細胞検査(12/11)・・・H病院でエコー、穿刺細胞検査、マンモグラフィ>
3.手術の段取り(12/13)・・H病院で温存療法を勧められる >

今日は昨日(13日)の続きです

☆★1997年の日記から★☆

【1997年5月12日・月】
H病院を受診して、
14日の手術のための検査をした⇒(血液検査、心電図、尿検査)

最近喘息がひどいので、そのことを医師に伝える。
呼吸器内科に紹介状を書いてもらって、2Fの内科へ。
11時に受付をして、済んだのは14時だった。 
疲れた・・・。

【1997年5月14日・水】
今日はいよいよ手術。 
大雨だった。(私は雨女・・・)

この前から打ち合わせをしてきたように、
癌の部分をとる温存療法の手術をした。
温存療法は、入院もせずに日帰りというのが気が楽だった。

10時に受付して10時30分から手術。
手術は10時35分から始まり、11時30分に終わった。
約1時間・・・。

手術前は、すごくドキドキしていたけど、
局所麻酔で痛みを感じることもないまま、
先生や看護師さんとおしゃべりしているうちに、
無事終了した。 
喘息もでなかった。

手術が終わって、
切除された部分を先生が私に見せてくださったが、
手術直後でわたしはまだ手術台に横になっていたので、
よく見えなかった。 
でも、ピンク色をしたような気がする。

心のなかで、「これが憎き癌なのだ!」とつぶやいた。

後から聞いたのだけど、家族にもていねいに説明があったみたい。
よい先生に出会えてよかったと思う。

手術がすんでまもなく
「降りて(手術台から)帰られていいですよ」
看護師さんが言われたので、私は驚いた。 

「もう歩いていいのですか?」と。

1Fで会計をすませ、
お薬(痛み止めと化膿止め)をもらって帰宅した。

思っていたより簡単な手術だった。 
これが温存療法手術なのか・・・・・。

「癌」という恐ろしい物体が、
いとも簡単に私の身体から取り除かれたので不思議・・・。

今日切除された検体を顕微鏡で詳しく調べて、
次のことを考えることになっている。

まず第1段階がすんだ。 

次は22日に抜糸の予定。


【1997年5月15日・木】
手術翌日。
朝起きると、かなり傷がよくなっていることがわかった。

昨日は右手を動かすのが難しかったけど、
今日は違和感がない。
そして昨日のズキンズキンとうずく感じがない。

結局、病院で出された痛み止めのお薬は、
一錠ものまずにすんだ。

でも今日は、身体がだるくて、
眠くて、
電話にも出ないで一日寝ていた。


☆★ー☆★ー☆★ー☆★ー☆★ー☆★ー☆★


乳房温存療法手術
は、
入院の必要もないし、
とても楽に手術を受けることが出来ました。


不幸にして乳癌になった方も、
早く発見したらこの方法で、
乳房を残すことが出来ます。

何度も書きましたが、
   とにかく症状が出る前に定期的に検査をしましょうね!

  

 

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** 乳癌 ** (その3・手術の段取り )

2005年12月13日 | 乳がん

突然,、乳癌の告知をうけて、
簡単に受け止めることはできない・・・っていうのは、
どんなに強い人でも当然のことだと思います。

8年前の日記を再び読みながら、
当時のことをブログに書き綴っていこうと思います。
今日の日記は、11日(ブログ)の続きです 


☆★1997年の日記から・・・★☆
 
【1997年4月29日・火】
25日に乳癌の告知を受けて、5日目・・・。
昨日はH病院で穿刺細胞検査をしたが、
その結果は12日に聞くことになっている。
たまらなく不安で仕方ない・・・。

【1997年4月30日・水】
乳癌の告知を受けて6日目・・・。
たくさんの人からお見舞いの言葉をかけていただくが、
私自身は、精神的には落ち込んでいるのに、
体調もよく、食欲もある。 

体重も減らない・・・。 不思議・・・。
「癌」って、痩せてくるイメージがあったのだけどな。
もしかして、今回の検査で「癌ではありませんでした」ということは、ないかな?

【1997年5月1日・木 ~ 5日・月】
GW期間中5日間は、たくさんの思い出をつくっておこうと思って、
神戸に旅行に行った。
家族で十分楽しんだ。 
時々無性に悲しく、涙がでて仕方なかった・・・。

【1997年5月6日・火】
GWの疲れもでたのか、今日は身体がだるかった。
それとも、癌のために疲れやすいのか?
何をする気力もおこらず、一日中横になっていた。

夜、兄から電話があった。

「H病院の担当の先生から連絡があり、
先日の穿刺細胞検査の結果、やはりだったので、
12日の予約を早めて、8日に来てください」
とのこと。

乳癌が進行してるから、早められたのかと、不安がよぎる。
わざわざ電話があるなんて・・・!!

【1997年5月8日・木】
朝から大雨だった。 
風もあり、台風のような天候。
予定どおり、H病院に行った。

担当のH医師から、
先日の結果と今後の治療方針の説明があった。

「貴女の癌は、たちのいい癌だと思うので、
全摘出しなくてもいのではないか・・・」
と。

私は先日、先生に「全摘出を希望します」と言ってたし、
また、迷いが生じてきた・・・。

H医師はなるべく乳房温存療法で手術を、と考えておられる。 
で、H医師から兄と相談してもらった。 
その結果・・は、

まず外来(日帰り)で、
シコリ…癌のとそのまわり」のみ切除する手術をうけ、
その部分を顕微鏡で詳しく検査して(1週間~10日位)、
その結果で、全部切除するかどうかを決めることに決定。

今後の予定は12日(月) H病院受診 (手術前の検査)
         
14日(水) H病院 10:00~ 手術


☆★ー☆★ー☆★ー☆★ー☆★ー☆★ー☆★


8年前は、「癌」って聞くと絶望的でした。

でも今は、癌は早く発見して治療をすれば、
「治る」時代になっています

医学は、「日進月歩」です 
      
 「癌」で苦しんでいる方、頑張ってください・・・!
       わたしも、頑張りますから・・・

 

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*内視鏡検査*

2005年12月12日 | PET検査


先日のPET検査で、
「腹部(右外腸骨リンパ節)にFDGの集積がみられる」
という所見があり、
その再検査で、
今日は大腸の内視鏡検査をした

これまでいろいろな検査をしてきたが、
大腸の内視鏡検査は初めて・・・。

一言でいうと、とっても大変

検査当日(今日)はもちろん、
2日前から食事制限があるっ!

乳製品・海藻類・きのこ類・トマト・玉ねぎ・こんにゃく・みかん類・
繊維の多い食べ物ラーメンは食べいでくださいと。


そして検査前日(昨日)は、
エニマクリンPOという
検査用食事セット(朝食・昼食・間食・夕食)しか食べられない。
(自分でおかゆとか作ってもよいみたいだけど、
 殆どの人が買っている←1500円)


<エニマクリンPO>
朝食 おかゆ、お味噌汁、かつおふりかけ
昼食 ゼリーミール(ゼリー飲料)、エネルギー補給飲料(レモン味)2袋
間食 ビスケット2枚、飴1個
夕食 ポタージュスープ(パンプキン味)


そして今日は、もちろん絶食(水分補給程度はよい)。

2、3日前から検査のことが心配だったし、
昨日のエニマクリンPO検査食も半分くらいしか食べなかったので、
問診表に体重を書こうと思って、
体重を測ったら 38、2kg だった。

9時30分までに来院してくださいとのことで、
この寒い時期に朝から大変

放射線科で受付をして、
内視鏡検査室(中待合)に案内された。

「あーどうしよう・・・」と、急に不安がこみあげてきた。

これまでたくさんの検査をしたが、
「異常はなかったですよ」という言葉はあまり経験していなくて、  
いつも何か異常が見つかっているから・・・。

テーブルの上に、1、8リットルの腸洗浄液が見えた。

「あ、これなんだ!」 とひとり言。

内視鏡検査を経験した人のほとんどが、
これを飲むのがつらい・・・って言っている。
ポカリスエットのような味だった。( ちなみに私はポカリは嫌い  )

「1時間くらいを目安に飲んでください」と、説明があった。

中待合には、私と同じ検査をする人が7名いらした。
その方たちと励ましあって飲んだが、
何とかクリアすることができた。

その後、検査着に着替えて、
左腕(何故か)に留置針を入れられる。

この留置針は、検査の直前に鎮静剤を入れたり、
途中で気分が悪くなった時に注射をするため。

また検査直前には、腸の働きを止める筋肉注射もされた。

こうして午後1時から検査が始まり、順番に呼ばれた。

検査室は、とてもひんやりして、寂しい空気だった。

結局、私の場合、
小さなポリープが一つあり、
それを検査中に切除された。

そのポリープが良性か悪性かの結果は、
22日に腹部外科で聞くことになった。

検査時間は、私の場合は30分くらいだった。 

病院で渡された説明書に、費用は3割負担で1万円前後、
ポリープをとった場合は3万円前後と書いてあったが、
私の場合は2万円余りだった。


今は、気になっていた検査を終えた安堵感はあるが、
     やはり、ポリープの結果がこわい・・・

 



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** 乳癌 ** (その2・穿刺細胞検査 )

2005年12月11日 | 乳がん

☆★1997年の日記から・・・★☆

8年前の日記を見ながら、
当時の日記を綴っていこうと思います。
今日の日記は、昨日(10日)の続きです 

【1997年4月26日・土】
昨日「乳癌」の告知をされ、あまり眠れなかった。

何故私が「癌」になったのだろう・・・と、

何が原因だったのかしら・・・と、
悩んでも仕方ないことで一日中苦しんだ。

まわりの人たちが、涙ぐんで心配してくれる。
その度に、私も涙がでた。

家族で話し合って、H病院で手術をすることに決定。
その旨を、○○乳腺外科クリニックに連絡した。
「紹介状を書いておきますから、都合のよいとき取にきてください」 と。

食欲もないまま一日が過ぎた。
夜、喘息の発作がでた。

【1997年4月27日・日】
今日は日曜日。
もうすぐ入院だと思うと、
何か片付けていかなければ・・・という気持ちはあるのに、
なかなか・・・。

朝9時にMさんからお花が届いた。
『少しでも和やかな気持ちで過ごせますように・・・』
というメッセージがついていた。

すごくすごく嬉しくて、涙がとまらなかった。
Mさん、ありがとう!

【1997年4月28日・月】
今日はH病院の受診日。 
朝から雨・・・。

いろいろな思いで乱れている心を落ち着かせながら、
近くのクリニックと、○○乳腺外科クリニックと、兄の紹介状をもって、
受付時間の11時ぎりぎりに、
H病院にタクシーでかけつけた。

患者さんがとっても多く、
診察が始まったのは14時、終わったのは15時過ぎ・・・。

H病院で、またマンモグラフィとエコーの検査をした。
エコーの時、穿刺細胞診をされた。

担当のH先生から、

「おそらくおとなしい癌だと思います。」 
「一週間くらい細胞の結果がでるまで待って、
それから入院と手術のことは考えましょ
う・・・」 と、説明があった。

5月の連休があるため、
12日に細胞診の検査結果を聞きに行くことになった。

夜、Sさんがケーキとお守りを持ってきてくださった。 
ありがとう!

「乳癌」の告知をうけて3日目・・・。

すでに癌と闘っていく気力を失いかけている自分がこわい。

病院で長く待たされたり、
いろいろ痛い検査をしたり、費用もかかる。

癌って、どっちみち長くは生きれないのだから、
死にたいな・・・・・と考えたり・・・


☆★ー☆★ー☆★ー☆★ー☆★ー☆★ー☆★


当時私は、「癌=死」 と考えていました。

まわりの人の慰めも、
何故か私にとっては慰めになりませんでした。

その上1990年から10年位、喘息で苦しみ、
壮絶な人生を歩んでいる私・・・

この8年の間に「肺癌」も患いましたが、
今、私は生きています

現在「癌」で苦しんでいる方も、
きちんと定期的に病院で検査をして早く治療をすれば、
「癌」は治ると思います  
  希望をもって頑張ってくださいね

 

 

 

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** 乳癌 ** (その1・乳癌の告知 )

2005年12月10日 | 乳がん

☆★1997年の日記から・・・★☆

これから何回かにかけて、
当時の日記をブログに書き綴っていこうと思います。

【1997年4月23日・水】
3、4日前から右乳病のしこりが気になり、
今日は近くのクリニックで診てもらった。(エコー検査)

専門の乳腺外科で再検査をするようにと、紹介状を書いてもらう。

紹介状の病名は
「右乳腺腫瘤」(2、2×1、6×0、8cm)
「内部エコー不整、血栓クリア、可動性あり」
・・・と、書いてあった。

大きさのことは理解できるが、後のことはわからない。
25日に再検査に行く予定。 
すごくドキドキしてきた。

【1997年4月25日・金】
今日は、予定どおり紹介状をもって、N乳腺外科に行った。
そこで再び、エコーとマンモグラフィの検査をして、
10分くらい待たされた後、
「貴方が心配していたように、やはり乳癌ですね・・・」と、

いとも簡単に、私は乳癌の告知をうけた。

「エーッ、本当ですか?」と、私は先生に何回もたずねた。

「今のはまちがいですよ」と先生に言ってほしかった。
でも、そんなことを言ってもらえるはずがない。

私が茫然としていたら、先生が、

「待合室で何分も泣いて帰られる方も多いですから、
ゆっくり休んで帰ってくださいね」
と。

私にとって、そんな言葉は耳に入らなかった。

どうでもいいことだから・・・。

どんな言葉より、「乳癌」という言葉を取り消してほしかった。

「手術の必要がありますが、
大きな病院のどこにされますか?紹介状を書きますから・・・」 

○○病院、○○病院、○○病院と、選択肢を言ってくださった。

「兄が医者なので相談して、お電話します・・・」そういい残して、
クリニックを出た。

クリニックを出て、まず家族に電話をした。
妹が電話の向こうで泣いている・・・。
私は、「残された時間を、大切に生きるから大丈夫よ」と、慰めた。

先生の前でも泣かなかった私が、
そう言いながら、
崩れるように泣いた。

「乳房がなくなるの?」
「癌なの?」
「ほんとに癌なの?」


頭の中が真っ白になった状態で、
どのように家にたどりついたのかわからない・・・。

気がついたら、
家のソファーに座り込んで、泣いていた・・・

これからどうすればいいのだろう?
どのように乗り越えればいいのだろう?


☆★ー☆★ー☆★ー☆★ー☆★ー☆★


この日から、私の「癌」との闘いが始まりました。

8年前の日記を読み返しながら、
今、またあの日のことが鮮明によみがえってきます。

私は、一人で病院に行き、一人で告知を受けました。

これ以上つらいことはないと思うので、
     それ以来、私は少しだけ強くなったかな?


そして、たくさんの人に支えていただきながら、
8年間生きることができました・・・

今、癌で苦しんでいる方も、
希望をもって頑張ってほしいと思います・・・

 



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♪ パソコン教室 ♪

2005年12月09日 | 日記


私は昨年9月からパソコン教室に通っている
(2、3日前も書いたかな?

初心者コース → Word基礎 → Word本科 → Word応用 →

ネット基礎 → ネット本科 → ブログ・・・と学習してきた


今日は「リンク」と「トラックバック」について教わった。

これまでは何とかついて来れたけど、
リンクとトラックバックは(そして前回の写真挿入も)、
メカに弱い私にはちょっと難しく感じる

私は、何か欠けているのかもしれない・・・と、
自信を失いそう・・・

これって、理解力  
それとも、ちょっと頭が・・・

いやいや気を取り直して・・・。
リンクとトラックバックは、
コピーと貼り付け操作が関係あるので、
そのあたりから、復習した方がいいかな・・・と感じている

先生に教わった時は、何となく理解を示したが・・・。

家に帰って、今思うことは・・・、
やっぱりあまり解っていない・・・

先生、ごめんなさい・・・

 

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