マンション管理士日記

地域を守る:マンションと地域の融合

2015年06月11日 | 喜働
『奇縁』を書いた続きとして『縁』について少し。
親鸞は『歎異抄』でこう言います。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
天地にあまねくみちみちる阿弥陀仏の救いの前では、善人であるとか悪人であるとかは問題ではない。本願(意志)は全ての人を漏れなく救ってくださるものだ。
世間の物差しでは、個々人が善人なのか悪人なのかは重要なこと。しかし、仏法では『どうだっていい』こと。縁によって悪人になっているのだから。
いたし方の無い縁によって悪を為す。
いたし方の無い縁によって善を為す。
悪をするのが縁であれば善をするのも縁である。
さらに人間とは、悪を働きながら良いことをする。
これも『歎異抄』から。
「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」
絶対的な善は無く絶対的な善も無い。
縁によって悪にも全にもなる。
司馬遼太郎さんの随筆などを読みながら『縁』について考えました。
妙な解釈があれば、当然に私の理解不足です。