このブログを読んだ旧友から、驚きのメールが届きます。 別の人間だ、と。
とりわけ、PTAと民生委員に関しては、信じられない事のようです。 そうした活動からは、かけ離れた意識の人間でしたから。 昔の私だけを知る人にとっては、まさしく別人に思えることでしょう。
きっかけは、偶然の積み重ねです。
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三人の息子が通った幼稚園に、『父の会』 がありました。 園児の父親で構成されて、園の行事などのお手伝いをしていたのです。 長男の最初の運動会を手伝っていた 『父の会』 の進行がダラダラしているように思えて、とっても不満でした。 それで、『父の会』 の募集があったときに応募したのです。
もちろん、私が入ったからといって、運営が変わるはずがありません。 むしろ、「このダラダラ感が良いんだぁ」 などと言い出す有り様です。
それが、行事の度に催される飲み事が楽しみで続けてしまい、在籍期間が長いから会長まで引き受けさせられました。 会長時代には、当然のように飲み事の機会ばかりが増えていきました。 『父の会は、飲めないと参加できない』 とまで言われる始末。
そりゃあ、若干のポリシーは有りましたよ。 「出来るときに、出来る人が、出来ることを」 これが私の口癖でした。 だから、年に一回しか参加できないでも、それで良いんだ、と。 ただ、参加できるときは、一所懸命に園児と園のサポートをしようね、と。
まあ、飲み会だけの理由ではありませんでしたでしたよ。 園長の教育方針に惚れた、ということもありました。 更には、父の会で、YさんとMさんに出会ったことも大きな理由でした。 彼らは、それまで私が知らなかった世界を見せてくれたのです。 その辺の話は、また別の機会に。
これだけだったら、幼稚園の 『父の会』 だけで終わったはずです。 地域とは関わりもなく、長男が小学校に入学しても、PTAから声が掛かることもありませんでした。
ところが、ここで、転居したのがPTAへのきっかけになったのです。 その転居先は、幼稚園のある小学校区でした。 幼稚園 『父の会』 で少しは知られていた私は、誰かに推薦されPTAの選考委員さんから声が掛かったのでした。
さすがに、柄でもないと断っていたのですが、「ともかく会って話を」 と言われ続けていました。 そうした休日に、それこそ 『父の会』 メンバーと我家で酒盛りをしている所に、選考委員さんが来られたのです。
既に酔っぱらっていた 『父の会』 メンバーは、委員さんを家に上がらせるばかりか勝手に引き受けてしまったのです。
こうして、私の長いPTA歴が、酔っぱらった友人のお陰でスタートしたのでした。
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