ばく(幕)末まで、わずか100戸くらいの 小さな・ぎょ(漁)村に
すぎなかった、ヨコハマ。
しかし、ぼうえきこう(貿易港)に 指定されたことで、
約2万人の
インターナショナル・シティへと
生まれかわったそうです
外国人を受け入れるにあたり、きょりゅう(居留)地
をつくる
ひつよう(必要)性から、
ばくふ(幕府)は、
もとの「横浜村」住民たちに
ほりかわ(堀川)に面した、細長い土地へのいじゅう(移住)を命じました。
すなわち、
「もとの住人が住む町」。それが、「元町」という名前の由来です
元町は、
右どなりに 山手きょりゅう(居留)地。
左どなりに、山下きょりゅう(居留)地。
という 立地から、
すぐに、外国人相手のお店が たくさん開店しました。
みやげもの
家具
洋酒・洋食
・洋品
を
あきなって
元町店主たちは、
外国人と したしんでいきます
その名ごりで、元町には今でも、バタくさいお店が けっこうあります。
たとえば、
日本で初めて 食パンを出した、ウチキパン
(※後述)
ポンパドウル(POMPADOUR)1号店
(※後述)
きくやようがしほ(喜久家洋菓子舗)
(※後述)
さらに
くつ(靴)のミハマ
バッグのキタムラ
カッターシャツのフクゾー
の、
「ハマトラ御三家」
(70・80年代の学生の、三種の神器)
90年代の学生が、みんなもってた、「スタージュエリー
」も、
ここ元町が はっしょう(発祥)で、
昭和21年に
外国人向け宝石店として スタートをきってます
そしてそして!ステキなレース小物の「近沢レース店」
洋食器の「タカラダ」
などなど・・・
トラディショナルに
お客をむかえる
これらの しにせ(老舗)を
のぞくだけでも、
よき・カスタマー体けん(験)となります
たくさんの絵皿にひかれて ふらっと入った、「タカラダ」で、
店員さんは、
明らかに 買いそうもない
チットやクリンや ジェマちゃんに対し、
すごく ていねいに
オールド・ノリタケの見分け方を
おしえてくれました。
元町ブランドには、かび(華美)なものは ひとつもありません。
でも、お客さんたちは ここで 買いものをすることにより、
「優雅な暮らしを作る大切さ」を学ぶのです
(つづく)