クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

横浜富貴楼・お倉~関内散歩・6

2016-01-18 | クリン江戸散歩

 ヘボンがたてた、キリスト教会

そのよこに、

さんぎょう・しんこう(産業振興)センター

というビルが 

たっていますが、

さかのぼれば 明治時代、

 ここには 「富貴楼」という、ちょう(超)・有名な りょうてい(料亭)が

あったそうです


 大久保利通    

 伊藤博文

 井上かおる(馨)  

 むつ・むねみつ(陸奥宗光)

といった、

明治政府の大物や、

三井・みつびしなどの 財界人

団十郎や菊五郎といった芸のう(能)人


そんなセレブに

ひいきされ、

 明治初期、日本一・もりあがってた 会席りょうり(料理)屋、

それが 

ふうきろう(富貴楼)でした


そして、

そこを 切り回していたのが、

おくら(お倉)という 

おかみ(女将)です

 おくら(倉)は、江戸下町の とび(鳶)の娘でしたが、

絵草紙に 描かれるほどの

美ぼう(貌)と、

芸者をやって身につけた

客あしらいの上手さで、

 大官たちを 手玉にとりました

 開港地となった・ヨコハマに いち早く目をつけ、

パトロンに 

お金を出させて 

店をたて

てつどう(鉄道)や船でやってくる 

VIPを 

おもてなし。

天性のけいえい(経営)センスで

 ここ・おのえちょう(尾上町)の女王に なりました。


 政財界のサロンと化し、じゅうよう(重要)な 

みつだん(密談)や

外国のげいひん(迎賓)に

利用される、

とくべつな空間に 変化していった、

ふうきろう。。


 その 名物おかみ(女将)となった・おくら(倉)は、

水商売の女性・すべてから

そんけいされるように 

なります


ヨコハマすいたい(衰退)後は、すぐに店をたたみ、

 弟子たちに つきじ(築地)や しんばし(新橋)で

店を出させ、

「料亭文化」を 

けいしょう(継承)させた 

おくら(倉)


(弟子たちのお店は、

 昭和の政治家に あいこ(愛顧)されました


 そんな、世わたり・上手な おかみ(女将)の

おくらでしたが、

一人の女性としては、

若いころに

ホレた

かいしょう(甲斐性)なしの ダメ男に

ず~~っと よりそい

 てってい的に 入れあげて かせいだお金を

じゃんじゃん

男に

注ぎ込んでいきます


 まわりに、金も力も、みりょく(魅力)もある男たちが 

いくらでもいたのに

そっちに

のりかえもせず

 

うん、でもまあ・・

 そういうの、わかるけどね。

 周りの意見はどうであれ、

 自分は とにかく、これが好き

 っていうの、

 誰だって、あるじゃん。」

 

 と きようけん(崎陽軒)の シウマイ弁当を食べながら

チットが言いました。


・・・・・・・

そういえば、チットも、

このお弁当の中で

 シュウマイよりも、付け合せのタケノコが好きだね


(つづく)

















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする