きっかけは可愛かったから・・

中国語を始めたきっかけは発音が可愛かったから。あれから33年。寄り道もしたけどやっぱり中国語に戻ってくるんだよね

ホームシック

2009年11月03日 | 日本語指導
日本語教師の仕事が始まって2ヶ月。

毎回、飽きさせない為にいろいろ試行錯誤をしているのですが、私のその苦労はなかなか感じてはくれないようです

欠伸なんて当たり前。

机にだら~んと上半身を伏せることもしょっちゅう。


少し前、あまりにも欠伸ばっかりするから10分ほど早く終了して、「眠いなら寝ていいよ」と言うと、ほんとに寝ちゃったよ


ありえない


「日本語教師」と言うものの実際は「精神面」のサポートや学校の連絡事項の伝達ということも多い。


10月中旬には、土曜日に学校の男の子と喧嘩したからその内容を詳しく知りたいと先生から言われ丸々2時間つぶれたし、


前回は、クラブと委員会を決めるというので1時間つぶれ・・ 


しかも、これを決めるのに人数が決まっているから好きなものに参加できるとは限らないよというと


日本の学校はめんどくさい、と言われてしまった


そして、昨日は担任の先生が来て「こんな手紙があったんですけどなんて書いてあるんですか?」

見てみると、まぁ、怒ってる怒ってるってな内容ですよ。


「死ね」とか、「今に見てろよ」とか「アホ」とか・・・


で、このことを聞こうとしたらいきなり涙目になり、そして大泣きに

聞くと、話はこう。


彼女が針で遊んでいたところ近くの席の男の子が「遊ぶな、なおせ」みたいなことを言ったらしい。何を言っているかわからないままもそんなことを言っているのだろうと彼女は片付けたんだと(先生によるとレコーダーに刺したらしい)

私は片付けたのにあいつが先生にチクった、だから腹が立った。

らしいです。


大人の私からすると大したことじゃないのですけど、この「チクられた」ということはどうも子供にはこたえるようです。


そういえば「せ~んせいにいうたろう」なんて歌があったような・・・


針で遊んでたことに関しては先生は怒ってないよと言っても涙は止まらず挙げ句には「中国へ帰りたい」を連発。


もう何を言っても「中国へ帰りたい」しか言わなくなってしまいました


きっと、なにかこらえていた物が一気に爆発したんでしょうね


自ら好きで日本にきたわけじゃないからおもしろくないもの当然なのかも


言葉も通じず、なかなか友達もできないとなるとホームシックになるもの無理はない。


もうこうなっては私と先生と彼女で話してもなにも解決しない。


後はお母さんに来てもらって話をするしかない。


妹は中国で祖父母と暮らしているそうなので彼女も帰ろうと思えば帰れるのではないかな~


ということで、昨日はそれで終了。


結果は来週です。



というか、来週、もう帰国してたらどうしよう。


私の仕事、なくなっちゃうぞ。


今月から保育所が決まって入園させたのに・・・


この仕事で支払えると思っていたのに