遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

五榜の掲示第一札『五輪道徳の尊守』

2023年04月18日 | 高札

先回のブログで、新政府の政策の骨子を載せた『太政官日誌第六』を紹介しました。五榜の掲示に示された5枚の高札を紹介するにあたって、まず、太政官日誌の中で、五榜の掲示の前文を見てみます。

【諸国高札の事】
諸国之高札、是迄之分、一切取除ケいたし、別紙之条々改而掲示披 仰付候、自然風雨之ため、字章等塗滅候節は、速に調替可申事
但、定三札ハ、永年掲示被 仰付候、覚札之儀ハ時々之御布令ニ付、追而取除ケ之 御沙汰可有之、尚御布令之儀有之候節ハ覚札を以、掲示可被 仰付候ニ付、速ニ相掲ケ、偏境ニ至るまで 朝廷御沙汰筋之儀、拝承候様可被相心得候事、追而 王政御一新後、掲示ニ相成候分は、定三札之後江当分掲示致置可申事
  三月

諸国の高札、これまでの分、一切取り除けいたし、別条の条々改めて掲示仰せ付けられ候。自然風雨のため、字章等塗滅候節は、速やかに調べ替え申すべきこと。
但し、定三札は、永年掲示仰せ付けられ候。覚札の儀は、時々の御布令につき、速やかに相掲げ、偏(辺)境に至るまで、朝廷御沙汰筋の儀、拝承候様相心得らるべき候事、追って、王政御一新後、掲示に相成り候分は、定三札の後へ当分掲示致し置き申すべき事。
    三月

これまでの高札は全部取り除いて、新しい高札を掲げよとの指示です。徳川の高札場は、そのまま利用する訳です。さらに、高札が劣化したら、直ちに取り替えるべきだと述べています。新政府は、高札制度を重視していたことがわかります。
第一~第三までの高札は定め札で永久に掲げよ、とまず述べ、さらに、第五、六は覚え札で、天皇の指示、命令であるから速やかに掲げよ、と指示しています。さらに追加があれば、定三札の後に掲げよと述べています。
このように、五榜の掲示は、徳川幕府の高札制度を利用して、新政府の方針(江戸時代と類似)を「定」札として人々に周知し、さらに、天皇の指示、命令を「覚」札として加えたものであったのです。

 

前置きが長くなりましたが、五榜の掲示の5枚の高札を順次紹介します。
今回は、第一札『五輪道徳遵守』です。

43㎝ x 60㎝、厚 1.5㎝。重 1.7㎝。慶応4年3月。        (故玩館高札、No.7)

駒形で、屋根と吊り金具がついています。裏木による補強もなされています。木部の風化はわずかです。これまで紹介してきた江戸期の高札とはことなり、墨書が少しかすれてはいますが、そのまま読めます。
                    
   定 
 一人多類もの五倫之道を
  正敷寿偏き事 
 一鰥寡孤独癈疾之ものを
  憫むへき事 
 一人を殺家を焼財を盗む
  等之悪業阿るましく事 

    慶応四年三月     大政官

慶應四年三月発行の『太政官日誌第六号』での第一札の記述と比較してみます(()内は、本文ではルビ)。
  
   
一人たるもの五倫(りん)之道(みち)を正(ただ)しくすべき事
一鰥寡孤独廃疾(くわんくわこどくはいしつ)のものを憫(あわれ)むべき事
一人を殺(ころ)し家(いえ)を焼(や)き財(ざい)を盗(ぬす)む等之悪業(あくぎょう)あるまじく事
 慶応四年三月 太政官

両者、文面は同じですが、『太政官日誌第六号』では実際に掲げられた高札よりもひらがなを多用し、漢字にはルビがふってあります。太政官日誌の段階では、人々になじみやすい表記が考えられていたようです。それが、実際の高札板では、漢字が多く、かなは少ないです。もちろん、漢字にフリガナはうたれていません。

第一札の文面を意訳すると次のようになります。
     定 
 
一、人は、五倫の道を正しくすべきである。
一、身よりのない人や体の不自由な人を憫みなさい。 
一、人を殺し、家を焼き、財産を盗む等の悪業を決して行ってはならない。 

    慶応四年三月     太政官

五倫の道:儒教が説く人の守るべき5つの徳目。父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。親、義、別、序、信を五教、五典、五常などとも言う。
鰥寡孤独(かんかこどく):身よりのないひと。
癈疾(はいしつ):身体に障害のあるひと。

五榜の掲示第一高札は、3つの項目から成っています。第1項目の内容は、徳川幕府治世の基本を記した正徳大高札の忠孝札に相当します。
また、「鰥寡孤独癈疾之もの」(身よりのない人や体の不自由な人)は律令制度下で、援護、救済の対象となりました。これにならって、王政復古の新政府は、第2項目を設けたものと思われます。実際、、明治7年、太政官布「恤救規則」で類似の救済制度を制定しました。
第3項目では、火付け、人殺し、窃盗の禁止をうたっています。これは、正徳大高札の火付け札に相当します。
したがって、五榜の掲示第一高札は、徳川幕府、正徳元年の大高札のうち、『忠孝札』と『火付け札』を合わせ、さらに、律令制度化の弱者への配慮を加えた道徳律の高札と言えるでしょう。

なお、発給主体は、太政官ではなく、点の無い大政官となっています。なぜ、「大政官」を使ったかわかりません。一般には、太政官と書かれる事が多いです。両者の違いに関しては諸説あり、定かではありません。  


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4 コメント

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1948219suisenさんへ (遅生)
2023-04-20 10:04:58
そうなんです、高札は今でいえば、町内会の掲示板です。ただ、他にメディアがほとんどなかった時代は、大きな意味を持っていたでしょうね。支配者にとって、情報が一方通行の高札は都合の良いものだったと思います。
ところが、興味深いことに、五榜の掲示と同じ時期に、反新政府側が新聞を発行するのです。幕末維新の情報戦ですね。これいついても、いずれブログで。
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Unknown (1948219suisen)
2023-04-20 04:10:25
新聞などなかった時代の高札の重要性が感じられますね。人々は高札に集まりお上のお触書を確かめたであろう情景が浮かんてきます。そして新聞が配達されるようになる以前の人々の素朴な様子まで彷彿されます。そういう意味でも、残された高札は貴重な歴史の語り部と思わせられます。
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Dr.Kさんへ (遅生)
2023-04-18 15:56:14
私も、はじめは恐る恐る、そのうち、何が何だか分からなくなりました。そして、気が付いてみると、集まったガラクタの中に、何やら結びつきができそうな物があり、パズルを解くようにすすんで来ました。ガラクタでも、パズルのピースになる場合が多いこともだんだんわかってきました。なかなか面白いです(^.^)
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遅生さんへ (Dr.K)
2023-04-18 15:28:51
このように、太政官日誌に書かれている五榜の掲示に関する前文と五榜の掲示文、五榜の掲示の高札とを並べて示されますと理解し易いですね。
しかし、太政官日誌とそれを示す高札の両方を見つけ出すのも大変なことですね。それを探し出した情熱に頭が下がります。
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