『納札 東西名物名所合せ』の続きです。
すべて、縦長の一丁札が、折帳に2枚ずつ貼られています。
【年の市】
年末に神社やお寺の境内で立つ市で、正月飾りから日用品まで、様々な物が売り出されます。江戸時代、各地で開かれましたが、もっとも有名で人を集めたのは12月20、21日の神田明神境内の浅草観音市です。一方、日本橋の年の市は25-30日に行われ、納めの歳の市と呼ばれました。
【諫鼓鶏】
江戸時代、江戸の二大祭(神田祭、山王祭)の時に大伝馬町(東京都中央区日本橋)から出た山車が諫鼓鶏(かんこどり)です。諌鼓に鶏が止まっているのは善政が行われて世の中がうまく治まっていることを表しています。江戸時代、山車行列は、1番が大伝馬町の諫鼓鶏、2番が南伝馬町の御幣をかついだ猿と決まっていました。なお、納札に書かれている「閑鼓」は当て字でしょう(閑古鳥?(^^;)
【明神柴崎納豆】
江戸時時代、納豆が、庶民の間に急速に普及しました。なかでも、神田明神名物 「芝崎納豆」は、多くの人々に愛好されました。今も、神田明神鳥居横の神田天野屋で求めることが出来ます。川柳にも、納豆売りがよく登場します。納札には、納豆売りが描かれ、川柳が添えられています。「朝製の 柴咲なつとう めしませ 納豆のよくねて おきるたおやかに はたらくことを 人めわするな」
【よし原の獅子】
吉原には、8月1日から晴天30日間、芸者、幇間が、仮装をして凝った踊りの新曲を披露した年中行事がありました(吉原俄)。吉原俄(よしわらにわか)と獅子舞を組み合わせて舞踊化したものが長唄「俄獅子」です。
【住吉竹馬とごろごろせんべい】
住吉大社(大阪市住吉区)の北側付近は住吉新家といわれ、紀州街道に面して、料亭や茶店、売店が軒を連ね、旅人や参拝客相手に商売をしていました。名物として、竹馬、ごろごろせんべい、蛤、麦藁細工などが売られていました。
この納札も、一丁札の上部が少しだけおりまげられています。
それを伸ばすと・・・
馬のたてがみが出てきます。出る部分は小さいながらも、一応、飛び出す納札です。よく見ると、竹の下部には車が付いていて、納札の枠の上にまたがって描かれています。竹馬をもう少し小さく描けば、たてがみも車も枠内におさまるのですが・・・・・どうしても遊んでみたかったのですね(^.^)
【住吉千疋猿】
大阪の住吉大社で授与されていた猿の人形が千疋猿です。住吉で製作された土製の人形(住吉人形)の一つで、お守りとして作られました。現在では手びねりの伝統技が途絶え、復刻品が授与されています。しかし、昔の品には遠く及びません。
『伝統の郷土玩具』より
13匹の猿を底辺にしたピラミッドの頂上で、三番叟猿が手をかざしています。縁起物らしい楽しげな雰囲気が特徴的で、家内和合のお守りです。このような物を手びねりで作る技には驚嘆します。現存する品は数少なく、貴重な資料です。
私も根気はある方ですが、これが仕事となるととても耐えられません。
私の場合はある目標に向かって次々にクリエティブなアイディアを数多く出して、ああでもない、こうでもないと根気よく挑戦することは大好きなのですが、同じものの繰り返しには向いていません。
住吉竹馬の納札は、どうしても遊びたかったんですね(^_^)
遊び心を失わない心の余裕のようなものを感じますね(^_^)
もし、そこへhighdyさんのクリエィティブなアイデアを加えることができれば、最強でしょうね(^.^)
諫鼓鶏の方は中国由来。霊獣と同じく善政の象徴ですから、今の日本には来てくれそうにもありません。山車の諫鼓鶏はカラスに変えた方がよさそうです。カラスも迷惑か?(^.^)
どうでもいいことですが、気になります(^.^)
すごい!手びねりなんですね。
保存がいいのかお札の方もどんどんカラフルになっていきます。
大伝馬町、神田明神、吉原。ダウンロードした江戸地図が頭にはいっているので、それでも楽しみが増えました。
納札自体は、いい大人たちが粋がって交換した遊び札ですが、今となってみれば、庶民の歴史資料としての価値もでてきていますね(^.^)
最初は何であるのか分りませんでしたが
翌々見れば猿の軍団。
でも、きっと楽しみながらつくった物なのでしょうね。
手日練の良さが出てますねぇ、素晴らしい!
今の技術では、10匹ほどだと思います。
ピラミッド型で安定なのでしょうか。でも、大きさが増すと困難度は幾何級数的に大きくなると思われます。ここまでの品になるとアートですね(^.^)