先回のブログで、大徳寺444世諦道宗當の禅語『且坐喫茶底』を紹介しました。茶を嗜みもしない私はこんな書とは無縁なのですが、筆者の名、諦道にひかれて求めました(^^;
さて、今回の品はアメリカ土産の小品です。
『You can't build a reputation on what you are going to do.』
あの自動車王、ヘンリー・フォードの言葉です。
日本語のサイト(それほど多くはない)を見ると、ほとんどが、『まだやっていないことでは、名声は築けない。』と訳してあります。
でも、この訳は、入試ならペケですよね。
ビジネス格言のいろんな記事でこの日本語訳が出てくる理由を探しました。けれど、さっぱり見つかりません。ただ、この訳が付いているだけです。きっと、誰かが最初にこのように訳し、それを皆が踏襲していったのでしょう。
ならばということで、英語のサイトをあたりました。あるわあるわ、この言葉に関する記事がゴマンと出てきます。これだけ多くあるのは、ヘンリー・フォードのこの格言の解釈が多様になされているからでしょう。
そのうちで一番多いのが、ビジネスで成功(success)をおさめ、名声(reputation)を得るには、夢や計画、さらには、あることをやろうとしている(be going to do)だけではダメなんだ、事柄を成し遂げる行動(action)が必要だ、というものです。
要するに、実際にやって結果を出せ、というのです。だから日本では、『You can't build a reputation on what you are going to do.』を、『まだやっていないことでは、名声は築けない。』との日本語に置き換えたのでしょう。
しかしこれは、スポーツ番組などでよく解説者が口にする『結果を出す』に通じる精神論ですね。なぜなら、何かをやろうとしなければ、そしてそれが、一見、夢のような荒唐無稽なことがらで、失敗を重ねなければ、成功や名声へ至るはずもないからです。
一方、これと対照的な論考もあります。我々がreputationを得るには、"what we are going to do" を通してしかできない。そして、reputationは常に先、つまり未来にある。なぜなら、reputationはひとたび得られても、失われやすく、作られ続けなければならないから。だからこそ、人は常に夢、それを実現するための計画、さらにはやろうとする意志をもたねばならない。つまり、reputationに終わりはなく、常にそれを追い求め続けなければならない、というのです。
これは、世阿弥の言葉『初心忘るべからず』があらわす永久精進に通じる考えですね。
実際の所、ヘンリー・フォードが、どのような文脈で『You can't build a reputation on what you are going to do.』の言葉を残したのかわかりません。
このアフォリズムは、各人がそれぞれに解釈すれば良いのでしょう。
ひょっとして、彼はほんの軽く冗談気味に、あるいは皮肉を込めて言ったのかも知れません。
『そんなんではあきまへんで』
私は、彼のこの警句を、文字通り、『あなたは(そして私も)、やろうとしている事で、名声を得ることはできない』と訳しました。そして、whatを限りなくwhateverに近く解釈しました。つまり、『人は何をやろうとしてもダメだ』。
これは、まさに『諦道』ですね(^.^)
ps.英語の論考をあたっているうちに、ヘンリー・フォードの格言の原型と思われるものを発見しました。
"You can't build a reputation on what you are going to do. You can, however, build a reputation on how much you procrastinate." - Henry Ford
procrastinate:(やらねばならぬ事を)先延ばしする。ぐずぐずする。
「君がやろうとしていることで、名声を得ることはできない。しかしながら、ものごとを先延ばしし、ぐずぐずしていれば、名声は得られるだろう。」
これはもう、皮肉を越えて、反語として解釈するしかありませんね。少なくとも、巷にあふれる日本語の解釈には決してならないでしょう(^.^)
しかし、遅生さんもお書きのように、本人は軽い気持ちで言ったのかもしれません。成功を納めた人が言ったから、そういうふうに様々に読まれるのかもしれません。日本ではサントリーの創業者、鳥井信治郎さんの言った「やってみなはれ」が有名です。これはフォードさんの言った言葉と逆のことを言っているようで、しかし同じことを言っているのでしょうね。何事もやってみないと始まらないですから。成功は倦まず弛まず続けてこそあるのでしょう。
こんなビッグが言っているのだから何かある、と考える人が多いのしょう。
言葉が一人歩きし始めるとなかなか止められません。
実際は、案外、軽いジョークなのかもしれません。外人さんはジョークを飛ばすのが好きですから。
もう遅生さんの解釈を忠実に読みました。
でも分からないです。
いつどこでどんな時に話されたのでしょうね。
英語の特有の言い回しというのは良く判らんのですが
思えば中高生の時代に洋楽の歌詞を翻訳しようとして
あっと言う間に挫折したのを思い出しました。
昔、何かの本で読んだんですが、英語のテストで「He left alone」を訳せというのがあって
「彼はひとり左翼だった」という珍答があったとか。
それを言葉から読み取るのは、どの言語でも同じ。
ヘンリー・フォードさんの今回の格言のように、いろいろに解釈できるのが言葉の面白さだと思います。
私も、中学、高校時代、アメリカ映画とミュージックにいかれてました。そのころから、何も進歩してません(^^;
「ひとり左翼」は名訳ですね(^.^)
遅生さんのブログは、古今東西、洋の東西を問わず、時空を問わず、いろいろと登場してきますね。
英語など、はるか遠い昔の出来事で、このブログ記事も、ネットで調べて、なんとか意味が分かりました(~_~;)
でも、今では、辞書をひかなくても、ネットがありますから楽ですね(^_^)
確かに、このヘンリー・フォードの言葉も、『諦道』に通じるものがありますね。
だんだんと年をとってきますと、ますます、人間の辿る道など、すべて『諦道』と感じるようになってきました。
何事も、『初心忘るべからず』で、ただただ、黙々と初心を貫くのみなのかもしれません、、、。
確かに、年々、諦道さんの重みが増していきますね。人生の終局に向かうための知恵かも知れません。