今回の品は、『太政官日誌第六』が出た慶應四年三月の翌月、慶応四年四月に創刊された『内外新報』です。これは、戊辰戦争のさなか、佐幕派の橋本貫一らの海運会社が、薩長勢力に対して言論で一矢むくいたいとしてはじめた新聞です。粗末な和紙に木版刷り、3,4日毎に小冊子形式で出されました。
今回の品は、『内外新報』の四月分、1号~18号です。
一か月分の内外新報が糸で綴られ、簡易製本されています。「海運会社執事」となっていますが、「海運会社」の実態はよくわかりません。幕府側の組織であることは確かです。
ページを開くと・・・
りゃりゃ、第ニ号(四月十三日)から始まる?
内側に、「内外新報第一号」(四月十日)が別に入っていました。
紙縒りで綴じてあります。破損が酷い(^^;
なぜ、創刊号だけ別なのかわかりません。レイアウトは一緒です。しかし、紙の大きさが創刊号の方が少し大きい。何らかの事情があったのでしょう。
破れ、虫食いは仕方がないですが、印刷の不鮮明さが目立ちます。
『太政官日誌』と較べると、資金力の差が歴然です。
『太政官日誌』 『内外日報』
『内外新報』は、慶應四年六月一日第六十号をもって発刊禁止、廃刊となりました。3カ月足らずの寿命でした。
『内外新報』の内容に関しては、次回ブログで。
そういうものを見つけ、そっとひろい上げてやるのもガラクタ蒐集家の務めかと(^^;
でも、新政府側の発行した新聞は、れっきとした新政府側の発行した新聞と分かるのに対し、幕府側の発行した新聞は、発行主体がはっきりしませんね。それにお粗末ですね。
この情報戦においても、新政府側が優勢であったことが分かりますね。
それにしても、まぁ、よくぞ、流れをフォローして蒐集されていますね(^-^*)
他に、高札廃止時の県布告にも同じように偶然めぐり合いました。
よく骨董で、欲しいと強く念じれば物の方から寄ってくる、と言いますが、特に強く念じていたわけではありません。だいたい、そんな物の存在すら知らないわけですから。偶然にしては不思議です。見えない手に導かれる!?(^^;
それに、私としては、強く念じるといっても、それは、金に糸目を付けずに念じる場合だと思うんです。
強く念じても手に負えない金額では念じようがありませんものね、、、(~_~;)
この場合は、物の方から寄ってきたということでしょうか(^-^*)
「私も仲間にいれてくれ~」って、、、。
私の場合も、何回か、同じような体験をしています(^_^)
突然に、ひょいと眼前に現われるんですよね。
そんな時は、「あれっ、こんなのがあったのか」って思いますよね。
そんな時って、なんか、運命的なものを感じますよね(^-^*)
不思議ですよね。
まあ、大げさに言えば霊的体験。
何がどう転んでそうなるのかはわかりませんが、欲しかったものが芋ずる式に手に入ることも。
まあ、冷静に考えれば、アンテナの感度と守備範囲の問題なのでしょうが、ここはひとつ夢を大きくして、運命の女神が微笑んだことにしておきましょう(^.^)