遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

現川焼茶碗

2022年01月20日 | 古陶磁ー全般

唐津系現川焼の茶碗です。

現川焼は、江戸時代中期、長崎県現川において、60年程の短期間、主に茶陶を焼いた窯です。薄い陶器の肌に、白泥で模様がつけられています。京風の瀟洒な絵付けがなされた品もあります。生産期間が短かったこともあり、品物は少なく、珍重されています。

今回の品は、もちろん発掘品です(伝世完品は高価(^^;)。

径 11.1-8.3㎝、高台径 4.2㎝、高 6.8㎝。江戸中期。

 

内側には、全面に打ち刷毛目が施されています。

高台は肥え痩せが激しく、俗にいう三日月高台です。

中央に向かって、白泥で渦模様がダイナミックに描かれています。

高台中央には兜巾(ときん)があります。

外側には、全面に櫛目模様が波うっています。

実は、この品は入手時、大きな疵があちこちにあったことはもちろんですが、刷毛目模様もはっきり見えませんでした。というのも、器の表面は発掘時の土で覆われていました。土中が長かったせいでしょうか、上釉と土とが堅くくっついた状態だったのです。とても口で触れられるような物ではありませんでした。やむなく粗目のサンドペーパーから、順に研磨をしていきました。最終的に、ファインセラミックのコンパウンドで磨きました。その結果が上の写真なのです。この作業に、1か月もかかってしまいました(^^;

やはり、手間をかけただけのことはあります。刷毛目模様がくっきりと出ただけでなく、表面は艶々、手にシットリと馴染み、違和感がありません。

次は、欠けの修理です。

漆パテ(刻苧漆(こくそうるし))で欠けを補修しました。

問題は、刷毛目模様をどうやって描くかでした。

どうしても、筆先が震えてしまうのです(^^;

模様をよく見ると、櫛目模様の起点、終点がわかります。ためらいなく、一気に引かれているのですね。ところが、実際にやってみると、このような線は、一朝一夕で引けるものではないことがわかりました(^.^)

まあ、素人修理はこんなものでしょう。

せっかくの小服茶碗です。けっこう手に馴染むので、コロナ下の一服を味わってみることにしましょう(^.^)

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大皿・大鉢・壷27 三島唐津大平鉢

2022年01月18日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

今回は、三島唐津の大鉢です。

径 43.1㎝、高台径 14.8㎝、高 14.1㎝。江戸前期。

どっしりと、存在感のある大鉢です。無疵完品と言ってよい状態です。

唐津焼には日用品から茶道具まで、いろいろな物がありますが、今回の品は大型の雑器です。この様な物が、どうして無疵で伝わったのか、不思議な気がします。古くから大切にされてきたのでしょう。時代や大きさが似た物に、美濃の笠原織部鉢があります。笠原鉢は、ほとんどが発掘品、しかも疵だらけです。この差はどこから生じるのか、謎です(^.^)

この大鉢のウリは、何といってもびっしりと施された象嵌三島模様です。唐津焼のルーツは朝鮮半島にあります。ですから、白い象嵌模様が唐津焼に受けつがれるのは自然です。

 

器の表には、印花でびっしりと模様が施されています。半乾きの器体に小さな印を押して凹の模様をつくり、そこに白泥を入れ、上釉を掛けて焼成されたものです。

白象嵌模様がびっしりと表面を埋めているのですが、くどさやどぎつさは感じられません。全体に柔らかな印象です。和様化した三島手といえるのではないでしょうか。

 

上釉の掛けはずしも、アクセントを添えています。

鉢の中央には、重ね焼きの際にできた大きな目跡が8個ほどついています。一個の大きさが4-5㎝もあります。土塊を置いたのでしょうか。

裏面を見てみます。

釉薬は、上方、三分の一くらいまで、豪快に掛かっています。

がっちりとした高台が、器全体の安定感をもたらしています。

陶工の指跡が残っています。

この品は、巨大な桐箱におさめられていました。表には、「唐津焼大皿 花生用」とあります。

前所有者は、この大平鉢を花生けに使っていたのです。

それならということで、大剣山を据え、アヤメの葉ばかりを、70本生けました(花人、川瀬敏郎さんのマネ(^^;)。我ながら、お主できるな、の出来でした。来訪者は、床の間に出現したアヤメ林にビックリ。この唐津大平鉢は、重量級の生け花を可能にする力をもっているのですね。

ps。この大鉢に花(葉)を生けたのは、20年ほど前です。以来、一度も使っていません。その理由は、大作に挑むには、気力、体力が必要(^.^)

 

 

 

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大皿・大鉢・壷26 デルフト銅版転写染付田園風景スープ皿

2022年01月16日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

このところ、明治の大皿をいくつか紹介してきましたが、やはり時代が下がると味わいが乏しくなることは否めません(^^;

そこで今回は、グッと趣を変えた品を紹介します。

古い箱の中から出てきたのは・・・

軟陶の皿、5枚です。

径 27.0㎝、底径 12.1㎝、高 4.1㎝。19世紀。

オランダのデルフト焼です。薄造りのクリーム色の柔らかい地に、銅版転写で田園風景が焼き付けられています。

当時の農村の風景でしょうか。

大きな木の下に少年が腰を下ろし、その周りで牛や羊が草を食んでいます。

遠く、家の傍にも、人と動物たち。

 

皿の外周は、花々で美しく飾られています。

デルフト焼の特徴は、透明上釉に低温で融解する錫を用いている事です。

その結果、表面には全体に規則的なジカンがみられます。

上の写真で明るく反射している部分にモザイク状の凸凹をクッキリと見ることができます。

拡大すると、規則正しくモザイクが並んでいることがわかります。

銅版転写は、銅板に鉄筆で絵を描いた後、酸で腐食させて銅版をつくり、紙に印刷する技術です。この絵(銅版画)が印刷された紙を陶磁器の素地に貼り付けて、模様を生地に写し取り、上釉をかけて焼成すると印版陶磁器ができます。明治期、美濃や瀬戸で大量に焼かれた印判手の陶磁器では、絵の濃淡は斜線の集まりで表したので、多くの絵柄を簡単に描く事は出来ましたが、繊細な絵付けは不可能でした。結果として、日本の印判染付は、下手の雑器に留まらざるを得ませんでした。日本で印判手の陶磁器が定着しなかった大きな理由はそこにあったと思います。

一方、ヨーロッパでは、18世紀末、イギリス、スポード社が転写紙を用いた画期的な方法を開発しました。日本で多用された斜線ではなく、銅板上に微小な点を無数に穿ち、それで形や濃淡を表したのです。この手法によって、非常に繊細な絵付けができるだけでなく、絵に奥行きや遠近感を出すことが可能となりました。

今回の品は、そのような銅版転写で、田園風景が描かれています。

皿外周、花模様の間を埋める地模様の拡大写真です。

1㎜の間に、数個の点が打たれています。このような点の集まりが、穏やかで繊細な画面を作り上げているのですね。

 

この品は、重ね焼きによって焼成されているようです。

皿の裏の外周を注意して見ると、非常に小さな目跡(1㎜程)が正三角形に並んでいます。裏面には、このような正三角形の目跡が、3組あります。

皿の表側はどうでしょうか。

裏面の三角形目跡がある場所の表側を注意して見ると、非常に小さな目跡が1つあることがわかります(写真中央の枝のまん中あたり)。この目跡は、裏側の三角形目跡に対応しており、表面には全部で3つあります。

デルフトでは、品物を裏向きにして、片方が3本、反対側が1本のピンを備えた窯道具を用いて、皿の外周近くの3カ所に置き、その上に別の皿を置いて重ね焼きをしたのでしょう。

 

さて、このような品がどうして伝世したのでしょうか。

箱の表には、「阿蘭陀焼平鉢五枚」と書かれています。

阿蘭陀は、オランダ。和蘭陀とも書かれ、阿蘭陀焼はずいぶん珍重されたようです。近年、阿蘭陀焼と呼ばれる品物のうちかなりの品は、京焼を中心として、日本国内で作られた和製阿蘭陀焼ではないかといわれるようになりました。それはそれで、日本陶磁史上、興味深い出来事ですが、いわゆる阿蘭陀焼の中で、実際に招来された品数は、少ない事になります。

今回の品は、19世紀、オランダで焼かれたデルフト焼です。

「和製阿蘭陀焼平鉢」とあります。この品の形は・・

日本では見られません。ましてや、スープ皿とは思いもつかなかったことでしょう。そこで、やむを得ず「平鉢」とした(^^;

では、誰が「平鉢」と呼んだのでしょうか。

箱裏に書かれていたのは「松峰 明壽院」。

これは、「松峰山 金剛輪寺、明壽院」を表していると考えられます。

金剛輪寺は、滋賀県にある天台宗の名刹。行基が開いたといわれるこの寺は、百済寺、西明寺とともに湖東三山とよばれ、紅葉の名所として有名です。金剛輪寺には多くの文化財と血染めの紅葉、そして、近畿地方でも有数の庭、明壽院の庭園があります。

今回の品は、そんな由緒ある寺院の什物だったのですね。おそらく、明治の廃仏毀釈で外部に流出したのでしょう。私の所へいらっしゃったのも何かの縁。無碍にはできないです(^.^)

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大皿・大鉢・壷25 瀬戸錦手花鳥図大皿(3枚)

2022年01月14日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

先回、先々回と、明治の大皿を紹介してきました。

実は、先回の伊万里錦手大皿を捜した時、さらに別の大皿が三枚出てきました。

 

径 39.5㎝、高台径 24.0㎝、高 5.7㎝。明治。

色釉で、全面に花鳥がにぎやかに描かれています。

キッチュな図柄ではありますが、ラフさは如何ともし難い(^^;

呉須を濃く塗っている場所には、ムラが目立ちます。発色も悪い(^^;

裏側面の図柄は、極めて簡略されたおめでた紋。

高台内は無銘です。目跡もありません。

作行きからして、先の2枚の大皿とは異なり、今回の大皿は瀬戸の品だろうと思います。伊万里の大皿を何枚も揃えるとなると金額がかさむし、近場で勃興しつつあった瀬戸のお手軽な品を買い求めたのでしょう。

今回の大皿には使用痕があちこちにあります。また、色絵が何カ所か剝脱しています。私の生まれる前には、結構使っていたらしい。元々は、5枚組だったのでしょう。破損して残った3枚が今回の品なのですね(^^;

さて、明治の品と思われる大皿が3種揃いました。

 

こうやって3枚を並べて比較してみるとよくわかります。ブログでは、この順で紹介してきましたが、期せずして時代順であったと思います(あくまでも、個人的意見です(^^;)

明治44年間は激動の時代です。十年ひと昔どころか、ふた昔以上のスピードで、物事が変わっていったことでしょう。陶磁器が変化をするのも必然。

中国に「陶は政なり」という言葉がありますが、日本では「陶は世(せい)なり」ではないでしょうか(^.^)

 

ps.  ここ数回、ブログで紹介してきた3種の皿は明治の品であることは確かでしょう。しかし、今回紹介した3枚の色絵大皿の産地は、瀬戸ではなく伊万里の可能性もあります(古伊万里コレクターDr.Kさんのコメント)。もしそうなら、うれしいのですが・・・・この辺には常滑の古壷ならいっぱいあります。これが丹波なら、もっとうれしいです(^.^)

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大皿・大鉢・壷24 伊万里輪花錦手大皿

2022年01月13日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

先回、もらい物の明治、ベロ藍大皿を紹介しました。

確か、ウチにも同じような物があったはず、と探しだしたのが今回の品です。

径 41.5㎝、底径 24.0㎝、高 6.5㎝。明治。

錦手の大皿で、にぎやかな色絵が皿いっぱいに描かれています。

松竹梅に鶴、牡丹。お目出た尽しの皿ですから、正月に飾るには良いですね(もう時期外れ(^^;)

濃いブルーに金彩は、盛期伊万里の錦手を思わせますが、動植物の描き方に生気が足りません(^^;

裏面の唐草紋も簡略化。

高台の畳付には、緋色が出ています。

3つの目跡の中には、先回の大皿と似た、「青」のような銘があります。

どうやら、今回の品は、先回のベロ藍大皿と同じく、明治の伊万里焼と思われます。

この品は、主屋を改修した時、屋根裏の一番奥に、他の大皿と一緒にあった物です。私も初めて見る物。一度も使われた記憶がありません。時代が若いので、展示するまでもないだろうと、物入の奥に入れてありました。ですから、じっくり眺めるのも今回が初めて・・・・やっぱり、展示するほどの品物ではありませんね(^^;

そうすると、同時期のベロ藍大皿だけ展示というのも不公平ですから、両者とも、故玩館奥の物入れの中で、静かに眠ってもらうことにしました。これで少しだけ展示スペースが空きました(^.^)

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