今回は、お馴染みの『高砂』です。
全体、48.1㎝ x 173.8㎝。本紙(紙本)、38.2㎝ x 73.8㎝。江戸時代後期。
虫食いが多く、ボロボロに近い状態の掛軸です。薄い彩色は、退色がすすんでいます。
老松の下に、熊手をもった尉と箒を手にした姥が立っています。うっすらと波も描かれています。
能画としては、『高砂』の舞台から想像される情景を描いたA型タイプです。
松の精である老夫婦は、夫婦円満や長寿の象徴です。
この図は、定番中の定番の絵柄です。現在私たちが最もよく目にする能画といってよいでしょう。
明治以降、能画が盛んに描かれるようになりました。そのほとんどが能舞台の一場面を捉えた図(Bタイプ)です。しかし、『高砂』は例外的に情景画(Aタイプ)で、広く普及し、能を代表する絵柄になりました。
一方、江戸時代には、この図柄は、案外少ないです。その理由はよくわかりません。
絵の作者、東山は不明です。
さて、この絵には、賛があります。
高砂住のえの
松は非精(情)のものた(だ)
にも
相生の名は有そ(ぞ)かし
ましてや
生ある人として
年久布(しく)も
住吉より通ひ馴たる
尉と姥は
松諸友に此の年まて(で)
相生の夫婦と
なる物を
これは、『高砂』の前半、ワキ、阿蘇宮神主と従者たちが、高砂の浦で出会った老夫婦に、高砂と住吉とに遠く離れた松を相生の松という理由や松のめでたい謂われなどを尋ねたことに対する二人の答えです。
「高砂、住吉の松には心が無いにもかかわらず、相生の名がつけられています。ましてや、生ある人間として、長年の間、住吉より通いなれた尉と姥は、松と一緒に、この年まで、相生(相老)の夫婦となるのですよ」
賛を書いた重安なる人物の詳細は不明です。
文政庚辰は、文政3年(1820)です。晩年近く、76歳になってしたためた『高砂』画讃には、仲睦まじい老夫婦の人生の重みがそこはかとなく漂っているようです(^.^)