大空と大地の中で。

大自然を相手に駆け回ってます。

ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部周遊♯6日目 AM オランダ中部・オッテルロ―

2015-05-22 23:55:24 | ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部

6日目 平成27年4月8日(水) AM

アムステルダム近郊 オッテルローへ→ゴッホの森とクレラーミューラ美術館→国境を越え 
ドイツ・ケルンへ→ケルン観光→マインツ泊


モ―ニングコ―ル 6:30

 朝食 7:20 今朝もバイキンでたっぷりと朝食を頂く。

荷物 7:30

出発 8:30


空はオランダ特有の霧のベ―ルに包まれている、さてツアーも終盤となり、オランダとも今日のAMでさよならとなる。

オランダ最後の目的地はアムステルダムがら東に100キロ、

オランダ中部オッテルロ―にあるクレラ―ミュラー美術館へとバスは走ってゆく。

高速道路は、朝の通勤ラッシュでノロノロ運転なのだ。ヨローッパも渋滞なんてあるのねぇ~。


☆クレラ―・ミュラー美術館

デ・ホ―へ・フェルウェ国立公園は、5500haにも及ぶ、オランダでも大きな自然保護地区のひとつ。

国立公園の真ん中に、クレラ―・ミュラ―の近代的な建物がある。

この建物と美術品の一大コレクションを、国に寄贈したクレラ―夫婦の名を残した美術館で、

世界的に知られるようになった理由は、多くのゴッホのコレクションが寄贈されたからだ。

クレラーミュラー美術館には、270点にのぼる世界最大規模のゴッホの作品があるのだとか。

『アルルのハネ橋』『糸杉』『ひまわり』『星空のカフェテラス』『郵便配達夫』『自画像』などだ。

アムステルダムのゴッホ美術館と並び二大ゴッホ美術館だそうですよ。

 緑一杯の中に佇む素敵なガラス張りの美術館。

自然と芸術が共存しているかのような素敵な美術館です。

美術館の中はフラッシュ撮影以外、写真OKなので撮り放題でした。

フラッシュ撮影禁止の理由は、強い光を浴びせると絵の色があせるからだそうです。

美術館ではガイドさんと一緒に説明を聞きながら回ります。

フィンセント・ファン・ゴッホ ジャガイモを食べる人々」

画家として活動を始めた時期、オランダ時代のゴッホは農民を主題にこんな絵をいくつか残しています。

ゴッホが初めて完成させた絵だそうです。初期の絵は暗い色調で表現されています。

フランスに移り住むとゴッホの絵はガラリと変わり、明るく多彩な色の印象が強烈です。

フィンセント・ファン・ゴッホ 「四輪の枯れたひまわり」1887

 ゴッホといえば、太陽に向かって燃えるように咲く黄色のひまわりが有名ですが、

パリ時代から、ひまわりは好んで描いていましたが、アルルに来て一層ゴッホの

心を惹きつけて「炎の画家」と呼ばれるようになり、、素晴らしい作品の数々を残すことになりました。

この四輪の枯れたひまわりは、ひまわり初期の作品だそうです。

 初期のひまわりは、このように暗い色遣いだったようです。

 この絵がクレラー・ミュラーの一番気に入った絵であり、 1928年に最初に購入したもの。

 

そしてこの美術館で一番惹かれた絵は・・・。 

 フィンセント・ファン・ゴッホ 「夜のカフェテラス
                            1888・9月

 ゴッホが、フランスアルルの町に来た時に描いた一番最初の夜の絵。

アルルの星空の下、人でにぎわうカフェテラスが描かれています。

『天空に輝く星は、夜空の花びらのようだ』と、黒を使わずに描かれた夜空。

晩年のゴッホもよく通っていたというこのカフェは、

アルルの町で、今でもこのままの姿で「カフェ・バン・ゴッホ」の名で営業しているのだそうです。

フィンセント・ファン・ゴッホ 「アルルの跳ね橋」 1888年


                           そして、もう一つすっごく有名なゴッホの作品、「アルルの跳ね橋」です。

アルルへきたゴッホは、運河に架かっていた跳ね橋にとても惹かれて、

4枚の油絵と一枚の水彩、デッサンを2枚残しています。

ゴッホは日本の浮世絵に感心があり広重の橋の模写もしています。

そしてアルルの跳ね橋の風景は、浮世絵を連想させたみたいで気に入ったようです。

 フィンセント・ファン・ゴッホ 「種まく人」

1888

ゴッホが最も共感した画家が、ジャン・フランソワ・ミレーでした。

ミレーの「種まく人」は、ゴッホがくり返し模写した作品です。

この作品も、その中の一枚です。

すっかりゴッホの世界になっていて、とっても魅力的な作品です。

 

【フィンセント・ファン・ゴッホ】   (1853年ー1890年)

オランダの牧師の息子として生まれました。

1880年に画家になる決心をしてベルギーのブリュッセルでデッサンの勉強を始めました。

現在でこそ、高い評価を受けていますが、現存時代は不遇の生涯を送りました。

生前に売れた絵はたった一枚、≪赤い葡萄畑≫という作品だけだったそうです。

生活は、1872年から亡くなる迄の約20年間文通していた、4歳下の弟のテロ(画商)が援助していたという話は有名です。

そして、1890年7月27日にパリ近郊の、オーヴェール・シュル・オワーズで、銃で胸を撃って自殺したのです。

享年37歳という若さでした。弟のテロも、ゴッホが亡くなった翌年に後を追うように自殺。

しっかりと作品を守ってくれた弟家族。

そしてクレラー夫妻が買い取って、こうやって私たちに残してくれたゴッホの絵の数々。

 

館内で絵画の説明を聞いた後は、フリータイム。

 

この美術館の庭に出てあらためて、その空気の美味しさをも堪能させていただきました。

不安定な姿勢の緊張感。

きっとこのあと横になる動作の途中なのでしょうか? それとも誰かをキックするところなのでしょうか?

想像が膨らみ面白いです。

左の彫刻も想像すると面白いですね、亀にも見えますが・・・。

このクレラーミュラー美術館は、屋外彫刻美術が充実していることでも有名です。

アートと植物が融合し引き立てあって完成された屋外美術館、

まさに彫刻の森・・・

季節によってはたくさんの来場者があるようですが、

私たちが到着した時間がわりと早めだったので、入館もスンナリでした。

奇顔の彫刻。

 

朝 クレラーミューラ美術館に到着した時は、開館時間前だったので美術館の外で待っていました。

遠足に来ていた沢山の園児も一緒に。園児達は広大な広場で遊ぶそうで館内には入りません。

 

入館を待っている時に、現地ガイドが世界一幸せな子供が、オランダの子供だという話しをしてました。

 オランダの国は子供を凄く大切にする国であり、幼稚園では子供三人に対し保育士一人が就き面倒をみるそうです。 

なので1クラス18人のクラスならば、保育士が6人いるという訳です。

 

 そして白人の両親に黒人又はアジア人の子ども、という家族がよくあるそうで、

こちらでは養子を取ることは極めて一般的だそうです。

自分の産んだ子どもがいても更に養子を取るケースもあるとか。

 

さてさて、お腹もすいてきたところで昼食へ。

 

美術館を出て、一旦バスに乗り込み、デ・ホ―へ・フェルウェ国立公園内にあるレストランへ移動です。

バスの運転手さん、レストランの場所が分らなく美術館でガイドをしてくれた人が車で先導します。

とっても素敵な森の中の、ガラス張りのレストランでの昼食。

レストランで働いていたお姉さん達、縦も横もデカイ!身長175cmだって・・・。

でも、オランダでは普通です。さすが世界一体の大きな人が多い国だけあります。


12:50発
アムステルダムに別れをつげ、再び国境を越えてドイツ・ケルンへ。
3時間20分の移動。

 

 



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