ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

医師法21条の解釈

2006年03月12日 | 大野病院事件

************ 私見

当院の病院管理部門職員に確認してみたが、今回と同様のケースの場合は、院長に報告しておけば、院長が警察に届け出るかどうかを判断することになっているので、担当医は届け出なくてもよいとの回答だった。

癒着胎盤の診断は、分娩以前には不可能である。分娩後に胎盤遺残を認め、胎盤娩出促進法を行っても胎盤剥離徴候が認められない場合には癒着胎盤が疑われる。確定診断は摘出子宮または胎盤の病理組織学的な検索によってのみ得られる。

臨床的に問題となる癒着胎盤はきわめてまれ(1万分娩につき1件以下の低頻度)で、癒着胎盤の経験のある産婦人科医の方がむしろ少ない。

麻酔科医の管理、外科医の助手、輸血準備1000mlでも、万一に備えた準備が不十分な違法手術であったということであれば、日本で行われている帝王切開はほとんどすべてが準備不十分の違法手術ということになってしまう。

産婦人科医が2人いて、輸血準備量が2000mlであったのなら適法だったということなのだろうか?その程度の準備では結果は全く同じだったろう。これからは、結果が悪ければ、万一に備えた準備が不十分と言われてすべて断罪されてしまうのだろうか?

また、胎盤の剥離が非常に困難な場合であっても、ほとんどの場合は強引に用手剥離すれば実際は子宮温存が可能な場合が多い。患者さんが子宮温存を望んでいる場合は、まず胎盤の剥離を試みるのが一般的だと思う。事故報告書の記載内容からは、今回の加藤医師の実施した処置は決して無謀なトライアルには当たらないと私は考える。今回の事例ように胎盤を剥離したとたんに大量出血となるケースは数万分娩に1件という非常にまれな頻度である。

私自身は今まで胎盤を剥離しないで子宮摘出を試みたことは一度もない。私の少ない経験でも、通常の胎盤用手剥離で全く剥離できなかった症例で、止むなく、強引に胎盤をばらばらに引きちぎって(「ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」という要領で)胎盤を子宮壁から無理矢理むしり取って、子宮を温存したことが何度か記憶にある。(そのような子宮を温存できたケースでは、子宮摘出病理標本がないため本当に癒着胎盤だったかどうかの証拠が全くない。)

しかし、今後は、「経験上、99%以上の確率で子宮温存が可能であろう」と判断したとしても、へたに子宮温存を考えると万が一でも逮捕される可能性があるということになれば、胎盤剥離困難例では子宮温存は一切考えずにすぐに子宮を摘出する産科医が増えることは間違いないだろう。

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(以下、3月12日付けの毎日新聞からの引用)

医師法21条の解釈

◇分かれる「異状死」の定義--「届け出」判断左右
 04年4月、最高裁判所で全国の医師が注目した裁判の判決が言い渡された。99年2月に起きた東京都立広尾病院での医療ミス隠し事件で、医師法21条(異状死体の届け出義務)違反などに問われた元院長に対し、被告側の上告を棄却した。
 医学界では、医師法21条が「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」と規定する憲法38条に違反しないか長く論議されてきた。最高裁は「公益上の高度の必要性に照らすと届け出義務を課すことは憲法に違反しない」と初めての判断を示した。
 県立大野病院の事故では、県が公表するまで県警には連絡がなかった。今回の事故は最高裁判決の8カ月後。重要な判断が示されたにもかかわらず、警察への届け出がなかったことが、逮捕のきっかけになったとみる医学関係者は多い。
   ◇   ◇
 ただ、医師法に定められる「異状死」の定義そのものの見解が分かれているのが現状だ。あらゆる診療行為に関連する予期しない死亡はすべて異状死とする法医学会に対し、外科系の学会は反発している。福島地検も法医学会の見解に沿う。届け出のための中立的な専門機関をつくろうという動きもある。
 一方、県病院局は学会でもばらつきのある異状死の定義にあえて踏み込まず、「医療過誤または、その疑いがある場合に施設長が届け出る」という立場だ。
   ◇   ◇
 医師が診療行為に絡み業務上過失致死容疑で逮捕されるのはきわめて異例だ。97年以降からデータをとっている警察庁によると、今回のケースを含め、01年3月の東京女子医科大学病院で起きた心臓手術、02年11月の東京慈恵会医科大学付属青戸病院で起きた前立腺がん摘出の腹腔(ふっくう)鏡手術の医療事故の3件に過ぎない。
 「今回(県立大野病院)の事件は『青戸』に似ている」と、県警幹部は指摘する。青戸病院の事故は、泌尿器科の医師3人が業務上過失致死容疑で逮捕された。千葉県の男性(当時60歳)に、前立腺摘出の腹腔鏡手術をした際、止血や輸血が不十分だったため、大量出血となり、1カ月後に死亡させた疑いが持たれた。
 当時、同病院でこの手術は初めてだった。逮捕された医師は調べに対し、「高度先進医療をやってみたかった。自分たちで研究して問題点を探したかった」と供述した。
 起訴された加藤克彦医師は癒着胎盤という症例の少ないケースの手術は初めてだった。ともに、経験のない症例の手術だった点では、共通点がある。ただ、加藤医師が難度の高い手術にあえて挑もうとしていたとは医療事故調査委員会の調査報告書や関係者の証言からはうかがえない。
 福島地検の片岡康夫次席検事は、手術について「一生懸命やっていたのは間違いない」としつつも「判断ミスがあった。手術には危険なものはいっぱいある。そういう手術をやるならやるで、万が一の備えをしなくてはならない」と指摘した。

(引用終わり)


今後、産科医療はどうなってしまうのだろうか?

2006年03月12日 | 地域周産期医療

人間が妊娠すれば、一定の確率で、母体死亡、子宮内胎児死亡、死産などが起こる可能性があります。どの病院でも、『妊娠管理した妊婦さん全員がすべて正常分娩で、すべての患者さんの満足度が100%』なんてことは絶対にあり得ません。医学が進歩し、昔と比べれば分娩もはるかに安全になりましたが、予測不能で、発症すれば、誰が主治医で、どの病院で管理していても、母体死亡となる可能性の高い産科疾患(羊水塞栓症、血栓性肺塞栓症、癒着胎盤の大出血、など)は未だに多く存在します。

人間誰しも、結婚して、妊娠して元気な子供を産んで、幸せに暮らしたいと願っています。母体死亡の危険を承知で妊娠する人なんていません。ですから、妊娠すれば「おめでとうございます」とみんなに祝福され、本人も家族もまさかそれが不幸のどん底の始まりになるかもしれないなんてことは全く考えていません。不幸にも分娩時に母体死亡となった時には、思い描いていた将来の幸福な家庭生活の夢が一瞬のうちに崩れ去り、不幸のどん底に突き落とされてしまいます。その現実を受け入れるのに時間がかかるのも止むを得ないことだと理解できます。怒りの感情の持って行き場が、一時的にでも、担当医に向いてしまうのも、人間の感情としては、止むを得ないことなのかもしれません。

どんな病院でもどうしても救えない命があります。必死で救命しようとして頑張りぬいた医師が、結果が悪ければ、通常の殺人事件と同様に殺人者として裁かれるということであれば、誰もそんな危険なギャンブルのような仕事に従事しようとは思いません。裁判ということになれば、無益な法廷闘争のために、莫大なエネルギーと時間を費やさねばなりません。弁護士や裁判官は、それがお仕事なので、いくらエネルギーや時間を費やしても全然惜しくはないと思いますが、医師にとってはそれは本来の仕事ではありません。そんなことのために無駄なエネルギーや時間を費やしたくありません。最終的に無罪を勝ち取ったとしても、最終的な判決がでるまでに10年以上かかってしまうようでは、それこそ人生台無しです。定年退職の年齢になってから無罪放免なんて言われても、人生やり直しはできませんから、もう手遅れでうれしくも何ともありません。

地域医療のために一生懸命に努力して、地域には多大な貢献をしてきたのに、たまたま極めてまれで治療困難な症例に遭遇して結果を出せなくて厳罰に処せられるとすれば、それは悲劇としか言いようがありません。

逮捕されるのも覚悟をして不十分な態勢で産科診療をやるなんてことはもはやこの国では到底考えられません。だとすれば、今後、どの程度、医師を集約化すればいいのでしょうか?理想を言えば、夜間でも最低2人は産科当直医がいて、当直回数も1週間に1回以下というような勤務体制ということになりますが、そこまで徹底的に産科医を集約化することになれば、地方によっては県内に1~2施設でしか分娩できないというような異常事態も十分にあり得ると思います。