月の岩戸

世界はキラキラおもちゃ箱・別館
コメントはゲスト・ルームにのみお書きください。

プロキオン・2

2013-02-18 06:33:13 | 詩集・瑠璃の籠

その日 わたしは少し
気分が悪かった
机について書き物をする気にもなれない
寝床について 眠ろうとするが
頭の中を 黒い靄のようなものが渦巻き
とても眠れない

しづかな呪文など歌って
なんとかしばしの微睡を得たが
意識は夢とうつつの間を 狂おしく
奇妙な吐き気をまといながら ただよっている

お腹のあたりが
みょうに重い まるで
石でも孕んでいるように
それが 変にぐるぐると動く
わたしはあまりの不快さに
寝床から起き上がろうとした

しばしの間
意識を失ったかと思う
プロキオンの叫ぶような声を聞いた

ふと気づくと 大きな星が
わたしの顔をのぞきこんでいる
ああ プロキオン あなたでしたか
わたしは声にならぬ声でいったのだが
はたして なぜそういったのかわからない
見覚えのある顔だが
誰なのか見当もつかない
でもわかっているような気がする

星は わたしの口に手を入れると
わたしの喉の奥から黒いものを引っ張り出した
そしてそれを糸を巻き取るようにくるくると手にまいていった
静かな声が聞こえる

わるいものが あなたのお腹に棲んでいて
あなたを苦しめているのです
だいじょうぶ すぐとってあげますから

ああ プロキオン
わたしは言った

なぜあなたは なにもわからない
小鳥のようになって
わたしのそばにずっといてくれるのですか

プロキオンは笑った 悲しそうに
今にも涙を流しそうに
そして黒いものをまきとりながら
わたしに言うのだ

人々を たすけるためには
あなたを たすけねばならないからです

ああ そうでした
わたしは言った
そして目を閉じて また意識を失った

ちち ちち と 
プロキオンの声がする
目を開けると わたしはいつしか
床の上に倒れていて ぼんやりと天井を見ている
起き上がると すっかり気分はよくなっていて
お腹のあたりの重みも なくなっている

わたしはプロキオンの方を見た
こいぬの星は素知らぬ顔で
瑠璃の籠の中で ちるちると鳴いている
それがだれなのか わたしは一瞬わかったような気がしたが
夢の気分が潮のようにひいていくと同時に
それをすっかり忘れてしまった
プロキオンが鳴く ちるちると鳴く

そうだ わたしは生きねばならない



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルナ・3

2013-02-17 06:42:32 | 詩集・瑠璃の籠

あらためよ あらためよ
主が お怒りになっている

してはいけないことを してはいけない
やってしまったことを こくはくし
過ちを認め あらためなさい
してはいけないことは 決してしてはいけない

あらためよ あらためよ
主がお怒りになっている
あらためよ
あらためよ

主が お怒りになっている



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サビク

2013-02-16 03:44:07 | 詩集・瑠璃の籠

義指も使い良かったが
やはり自分の指はよい
文字を書く手の速さが違う
わたしは心より神に感謝した

そうやってわたしは
調子に乗って愛の歌をいくらも書いたのだが
途中で 少し不安になって書くのをやめた
アルギエバが怒っていることを思い出したからだ
あまり 甘い愛の詩など書いては
また獅子の星が怒鳴り込んでくるやもしれぬ
彼らもまた苦しいのだ
わたしと同じように いやきっと
わたしよりも ずっと

そうして筆をおいて少し休んでいると
ふとかすかな透き通った香りがして
わたしは小窓を振り向いた
そうしたら そこに星がいて
あまりにも青ざめた顔をして 
呆然とわたしを見ているのだった

どなたでしょう?とわたしが言うと
星は今初めて気づいたかのように
はっとして 名乗った
わたしは サビクと言います
ああ あなたには今 わからない
でもわたしは あなたを知っている
まさか まさかこんなことに なっているとは

そういうとサビクは
苦悶の顔を隠しもせずに涙をほろほろと流すのだった
わたしはあわてて言った
ご心配なさらずに ご心配なさらずに
すべては すべては わたしがわかっていてやったことです
なにもかも わかっています

するとサビクはかぶりをふりながら
いいえ と言った
あなたは 何も知らない
何もわからないように 鍵をかけられているのです
まさか こんなことになっているとは
大変なことになったとは聞いて やってきたのだが

わたしはどうこたえていいかわからずに
ただサビクの顔を見ていた
プロキオンが何かを知らせるように
ちちちちち としきりに鳴く

サビクは顔を覆い ただ涙を床に落としていた
なんということを なんということをしたのだ
サビクは言った それと同時に
サビクは目を刺すようなまぶしい光を放った
わたしはあっと声を飲んで目を閉じた
光は部屋の中に満ちそれは湯があふれかえったように熱かった
大きな翼の音がした
プロキオンが激しく きい と鳴いた

ああ サビクが怒った
彼の声が聞こえる
岩戸の女神を見て サビクが怒った
彼の声は 落ち着き払っているように聞こえたが
わたしは とんでもないことになると
彼が言っていることがわかった

翼の音が消え 部屋から光の気配が消えると
わたしはおそるおそる目を開けた
サビクはいない
プロキオンが点滅している
わたしは思わず瑠璃の籠に駆けより
プロキオンに呼びかけた

大丈夫です 少し目を回しているだけですよ
彼の声が言った
わたしは安堵しながらも 彼の声に言った
わたしを女神と呼ばないでください

岩戸の女神よ
わからずともわかるはずだ
どういうことになっているのかは
教えなくとも あなたにはぼんやりとわかっている
鍵をかけたのはわたしだが
あなたも同時に自分に鍵をかけた
わかるのがいやだったからだが
同時にそれはどうしようもなく わかってしまうということだ
どんなに鍵をかけようと

ああ そうです
わたしは 言った
いずれこうなることは うすうすとわかっていた
だがみたくはなかった しりたくはなかった
あなたがわたしを 女神と呼ぶわけも
ほんとうは わかろうと思えばすぐわかるのです
でも

サビクが怒った
怒るはずのないサビクが
その意味をきっとわたしはわかっている
でもどういうことになるかを 考えようとすると
それ以上わたしの想像力が働かない
それはたぶん

わたしがそれ以上考えようとしたとき
自分の心臓に刺さっている棘が
半分以上溶けてなくなっていることに気付いた
ああ サビクの光が溶かしてくれたのだと わかった

サ ビ ク

どこへ行ったのか



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テッラ

2013-02-15 05:37:53 | 詩集・瑠璃の籠

今日は岩戸の中を静かに散歩した
ふすまをあけ いくつもの部屋を通り過ぎた
時に珍しい調度品や古めかしい油絵の額など見つけることもある
絵はどれも技術を衒うことなく 素直で奔放で
色合いも優しく 美しい
みているだけで 胸の痛いものが溶けていくような気がする

いくつかのふすまをくぐっていくと 
ふとどこからか 海の音が聞こえた
わたしは その音に引き込まれるように
またふすまを開けた
かすかに潮の香りがするような気がする
海がどこかにあるのだろうか

わたしがそう思いながらふすまを開けると
そこには今まで見たこともないような
洋風のサンルームがあり
大きな硝子戸の向こうに青い海が広がっている
空はすきとおるほど青く
天の暖かき神は おしげもなく明るいまなざしを注ぎ 
部屋は金色の暖かな光に満ちているのだった
わたしはサンルームに入っていくと
硝子戸に近寄り そこから青い海を眺めた
硝子戸は決して開かなかったが 風はかすかに吹いてきて
潮の香りでわたしの髪をなでる

波の音がここちよい 
わたしは何かとても暖かなものに包まれているような気がして
しばし赤子のような気持ちで安らいでいた
そして笑いながらふと空に顔をあげると
そこに大きな女神がいらっしゃった
わたしは特に驚かなかった
驚くと言う情動を 制御されているからだ

女神は明るい色の髪を清楚に結い
白い簡素な服を着ておいでだった
その瞳はやさしくも憂いに満ちていた
わたしはただ呆然とそのお顔を見つめていた
美しいが青ざめたお顔が どこか自分に似ていると感じて
あわててわたしは自分の不遜をわびた
すると女神は 口の端をかすかにくぼめて微笑んだかと思うと
ゆっくりと空の向こうに消えていったのだ

右手を開いてごらんなさい
と 彼の声が言う
それに従い 右手を開くと
わたしはいつしか 瑠璃の十字架を握っていた
あ とわたしは思わず言った
白い義指が 花弁が落ちるようにほろりととれたかと思うと
わたしの指がいつの間にかよみがえっていた

女神の贈り物ですよ
あなたは 不遜を恥じる必要はありません
この地上に生きるものは あの神を見たとき
だれもが思うのです 自分に似ていると
何か 母のような 遠い親戚の親切な女性のような
どこかであったことのあるやさしいひとに似ていると
とにかく 何やら深い血脈で
あの方と自分がつながっているような気がすると

ああ わかります
とわたしは答えた しみじみとそう思ったからだ
そして同時に彼に言った
どうかわたしを 岩戸の女神と呼ぶのをやめてくださいませんか
とても恥ずかしい

すると彼は かすかな悲しみの吐息をわたしに聞かせた
だがそれ以上は何も言わなかった
わたしも 聞いてはいけないのだなと思った

わたしは 瑠璃の十字架を左手に持ち替えた
すると 何分かの時をおいて
また義指がはらりと落ち
わたしの指がよみがえった

十字架はそのまま わたしの手の中に沈んでゆき
しばし青いあざのような模様になったあと
ゆっくりと手にしみ込むように 消えて行った




コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルナ・2

2013-02-14 07:38:01 | 詩集・瑠璃の籠

しずかなる はるのきしべで
銀のすなを 編む
とおき きみたちに
文を よすために
紙を すかねばならぬ

紙を 銀のすなを
すきまぜた ひとひらの
蝶のごとき 文を
編まねばならぬ

あいしているぞ
いまでも

とおいはるかな 道であった
けれども
おまえたちは かえってくる
きっと

あいしているぞ 
いまでも



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルナ

2013-02-13 07:20:25 | 詩集・瑠璃の籠

苦い塩の星の 流す汗を
小さな切り子の碗にとり
すきとおった 水あめをとかし
こんぺいとうの 恥じらいを入れた

青い菫のまなざしと
凍った菊の微笑みと
雪の薔薇の沈黙と
静かな百合のかみしめる秘密

小さな青がえるの 清らかな祈り
珊瑚の蜘蛛吐く ガラスの針
細いトンボの 無関心
夢の上飛ぶ 鳥のかなしみ

すべて混ぜて つくりました
これをのめば 楽に死ねます
ほんとうに

これ以上は ああ なにも言えない
月が 痩せ衰えていく
青空の 月が

見えなくてもいると 
わかっていても
なくしたものの大きさが
だれかの喉を 静寂に割り
銅の壺の奥の 暗闇に溶かす

聞こえぬ風 見えぬ星
いてもいない ちいさな鼠



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フォマルハウト

2013-02-12 07:08:43 | 詩集・瑠璃の籠

アルファ・キグニが持ってきてくれた本は
あっという間に読んでしまった
新しい知識は心地よく素晴らしく
わたしの全身を暖かにすがすがしく
血のようにめぐって わたしを健やかな清らかさに
導いてくれる

ただしい知識とはすばらしい
わたしはしばし その知識の断片を
薄い小さな宝石の板のようにして
パズルのように組み合わせ
まるでブロック遊びのように
新しいものを作り出すのに熱中していた

まるで子供のようですね
と誰かが後ろから声をかけてきた
驚いて振り向くとそこにやはり星がいる
星はフォマルハウトと名乗った

あなたはそういう風に学ぶと言うことが大好きだ
わたしも好きだが あなたの学び方というのが
何とも面白くて いつも感心してしまう

わたしは恐縮して言った
いや単にわたしは 自分の好きなことを
自由にやっているだけです
するとフォマルハウトは笑って
みんなそうですよ でもあなたがあんまり珍しいので
みんな笑ってしまうのです
失礼だが 子供というより
今は幼女のようだと言った方がいいな
あなたがかわいらしくて わたしは少し困りますよ
いつものように ふざけたことを言えない

そうなのですか とわたしは言った
するとフォマルハウトは笑いながら
小さな青い光の塊をだし
アルファ・キグニがくれた本の中にそれを放り込むのだった

新しい知識を入れておきました
また読んでください
いろいろな薬や魔法があなたには必要だが
今のあなたを一番喜ばせるのは
やはり書物でしょう

それはもちろん うれしいです
とわたしは言いながら飛びつくように本を取った
さっそくめくると 白いページから
青い氷のような炎が燃え上がって
小さな風をともなってすぐにわたしの目から
わたしの頭に入ってきたのだった

目を閉じると 不思議な
どこまでもはるかに広い 黒いテーブルの天板が見える
テーブルの上には薄青いカードがたくさん並べられていて
どこからか ひたひたという音が聞こえる
探してみると テーブルのずっと向こうで
それは白くて美しいふたつの手が
忙しく動き回って カードを次々とひっくり返しているのだった
カードが返るたびに ひたひたという音がし
その向こうで かすかに 人間の痛い悲鳴が聞こえるような気がする

はいそこまで とフォマルハウトが言ったので
わたしは目を開けた
フォマルハウトは言った
それ以上は見ないでください
今のあなたには 少々薬が強すぎますから

わたしは なんとなくわかって 少し悲しくなった
フォマルハウトは笑ってわたしを見つめている
わたしは小さく息を吐いて フォマルハウトに尋ねた
これはもう 現実に起こっていることなのですね

フォマルハウトは答えた
ええ もちろん だが誰も知りません 人間は
それはそうでしょう とわたしは言った

わたしは 岩戸の外の人間たちのことを思った
そしてフォマルハウトにたずねた
わたしにできることは 何でしょう
するとフォマルハウトは悲しい目を伏せて
ゆっくりとかぶりを振り
なにもしてはいけません と言った
でもあなたが どうしても何かをしたいと思うなら
絶対に誰にもわからない隠喩で
秘密を明かしてください

それは許して下さるのですか
わたしが言うと フォマルハウトは
暖かな微笑みで わたしを包んで
まるで 少しだけなら先におやつをたべていいよと
幼女にいたずらを許すように 言うのだった

いいですよ



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013-02-11 07:20:52 | 人間の声

あきるほど きいた
あ い し て い る と

へんじも しなかったよ

いたいほど きいた
あ い し て い る と

どんどん とおくなる

かすかに きいた
あ い し て  い   る    と

どこにいる あいつ

きこえない こえが
きこえない

あ い し て い る と
いう あいつの こ え が



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソル

2013-02-10 07:39:22 | 詩集・瑠璃の籠

プロキオンの歌を聞いていると
時にある犬のことを思い出すことがある
わたしの夢に出てきた ある犬のことを

その犬の飼い主は 汚れた服を着た二人の子供だった
とても美しいとは言えぬ顔をしていて
頭もそうよくはなく たいそう行儀も悪かった
しかし 彼らにとって最も不幸だったことは
両親が 別れた折に どちらも彼らを引き取ろうとせず
古い家と犬と一緒に 捨てられてしまったことだった

いなくなった親の行方は知らない

その犬は ある日わたしの犬に懸想をしたことを
わたしの夫にとがめられて 保健所に連れて行かれ
殺された
その夜 その犬が わたしの夢に出てきたのだ
白衣を着た男に連れていかれながら
必死に私の方をふりむき
犬は何かを伝えようとしている 
たぶん 残していくあの二人の子供を
どうにか助けてくれと 頼みたかったのだろう

二人の子供は 噂によると
近所の善意ある主婦がしばらく世話をしてくれたあと
施設にひきとられていったそうだ

この世には あのように
子を見捨てていく親もいるのだと
わたしがうっすらと悲しみを感じながら思ったそのときだった

突然 背中に光を感じた 熱い光
だがわたしは瞬時に判断した
振り向いてはいけないと
プロキオンも黙り 岩戸の中は静寂に包まれた

あなたに問う あなたはどなたか

やさしくやわらかな声が わたしに尋ねた
わたしは礼儀を知っているので 背筋をのばし
目を閉じて 答えた

わたしは ある呼び名を 真実の天使と申します
そしてわたしは あなたがどなたかを わかります
ゆえにどうか なのらないでください

すると背中の気配が うっすらと悲しみを帯びた
彼は悲しんでいた それはわかった
だがわたしは自分の心を変えない
わたしがそういうものだということを 彼は知っている

あなたは なぜ いきなさるのか

彼はまた尋ねた わたしは目を閉じたまま答えた

愛する君よ あなたはわたしのこころを知っている
ゆえに言います
あの 汚れたふたりの子供を 捨てられる親と
同じ心に わたしがなれると思いますか

そのとおり あなたにできるはずがない

彼は答えた わたしはまた言った
そのとおり そしてそれは あなたも

ああ そのとおり だれが
すてられよう
だれが わすれられよう
いちどでも わが子と抱きしめた 子らを

愛の天使よ
わたしはいきます なんどでも
あなたの かわりに いえ
あなたと ともに

真実の天使よ
忘れないでほしい
いつもわたしは あなたとともにいると いや
あなたは わたしだと
わたしは あなただと
あなたが 子らを愛してくれる限り
あなたは わたしなのだ

そのとおり わたしは答えた
そして彼は 微笑みと沈黙を
一瞬の赤い珠玉にして わたしの胸に投げると
静かに 熱い光とともに 気配を消した

プロキオンが鳴き始めた
わたしは目を開けたが 振り向かなかった
ただ 心臓の棘が 大分少なくなっているのに 
しばらくして 気付いた




コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルファ・キグニ

2013-02-09 07:39:14 | 詩集・瑠璃の籠

今日もわたしは 小窓の部屋で
書き物をしていた
白い帳面に ことばを書いていくと
時々文字が緑色に光って
虫のように動きだし 帳面の紙から離れて
小窓をぬけてどこへともなく とんでゆく

一体どこへいくんだろうと
考えていると 小窓の向こうで
きれいなガラスの鈴のような
透き通った声がした

ごめんください
アルファ・キグニというものです

わたしはあわてて小窓に近寄り
窓を開けた
そこには静かな星がいた
薄い紺碧のヴェールをかぶり
自分の光をほんの少し押さえている
きっとそのままの自分の光を人に見せるのは
はしたないことだと思っているからだろう

アルファ・キグニは別の名をデネブという
だが星はデネブというより
アルファ・キグニと呼ばれるのを好むと言った

はくちょうの宮の中の 北十字の室で働いております

アルファ・キグニは小窓から中に入りながら言った
そして小部屋の真ん中に姿勢を正して座ると
青い表紙をした 分厚い本をわたしに差し出した
わたしがその本を受け取ると その表紙には
白い十字架が描かれてあり
その十字架の縦横の二本の線が交差しているところには
紫色の透き通った石がはめこまれていた

アルファ・キグニは言った
新しい知恵の本です
あなたはなにより学ぶことが好きですから
喜んでいただければと持ってまいりました

それはもう とわたしは嬉しく言った
よい書物を読むのは大好きだった
新しい知恵を心に食べることは何よりの喜びだった
これでまた おもしろいことを勉強できる

わたしは さっそく本を開いてみた
象牙色の上質の紙の上で
緑色の文字が行儀よく並んでいたかと思うと
文字は一斉に動き出し 小さなつむじ風に巻き込まれたように
舞い上がって いっぺんにわたしの頭の中に入って
わたしの思考の中に溶けてくるのだった

わたしは ああと言った
そしてしばらく
自分の中に起こった変化を注意深く見つめていた
沈黙が長く続いたが アルファ・キグニはじっと待っていてくれた

やがてわたしは 頭の中で
すきとおった言葉を編み
言ったのだ

あらたにも 宮に宿れる 玉の児の 瑠璃のおもひを かなしとおもふ

それをきいたアルファ・キグニはそっと笑い
小さな声で言った

あなたはもう 美しいものしかないところにいなさい
美しいことしか聞けぬところにいなさい
美しいことしか言えぬあなただから

そうなのですか とわたしは言った
けれども ああ 真実の子は産まれてくるのですね
この世に
どんな厳しい運命が待っていようとも
こどもたちは 生まれてきてくれるのですね

すべては 神の御心なれば
アルファ・キグニは言った
そして立ち上がり 別れの言葉を言うと
窓から去っていった

わたしはしばし本を抱いてじっとしていた
悲しみも喜びも わたしの心にはかすかにしか現れなかった
今のわたしは 必要以上に心を動かしてはいけないのだ
だから理屈でのみ理解せねばならない
悲しいことだが そう悲しくは感じない
喜ぶべきことだが そううれしくも感じない
ただ思う

これは真実なのだ

わたしはまた 本のページをぱらりとめくった
薄紅の桜のような文字が行儀よく並んでいた
文字は花吹雪のように紙の上から飛び出して
わたしの頭に飛び込んできた
かすかに暖かい光が わたしの思考の池を
鮒のように泳いでいる

しばしの沈黙のあと わたしはまた歌った

長き夜の 短きことを 君は知る 神は高くも 深きこと知る




コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする