五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

富士山

2013年05月02日 | 第2章 五感と体感
「あーたまーをくーもぉのうーえにだぁし~♪」

小学生のころ覚えた歌です。

四国~北陸と移り住みながら、東京へは親に連れられプロペラ機や出来たてホヤホヤの新幹線で帰京していた頃、子供ながらに窓から富士山を見るとどこからかエネルギーが溢れてきて、ワクワクした気分になることを未だに覚えています。
私は乗り物に乗ると静かに鎮座していた無口な子供でした。じぃーっとして、森羅万象を眺めるのが好きな子供でした。五感で感じたことを言葉にしない分、今になって体感の記憶としてたくさん蘇ってくるのかもしれません。

いつの頃からか富士山は私にとって無くてはならない活きるためのエネルギーの源になっていたようです。

小学校1年生から湘南茅ケ崎に住み、お天気の良い日は富士山を望み、見るたびごとに風情の違う姿を確認し、暮らしの中に溶け込んでいたように思います。

今でも仕事先の藤沢や鎌倉に行くと横浜からよりも大きく見える富士山にほっとした気分になり、実家から見える富士山も見えにくくはなったものの私にとっては大切な風景の形です。東横線の多摩川を越えるあたりは丹沢山系を見渡すこともでき、山々の向こうにそびえる富士山を確認した日は、得をしたような心持になります。

都内に住んでいた頃は、お隣の日本舞踊の大先生が毎朝、木戸を開け路地に佇み富士山に向かって手を合わせていらっしゃいました。

我が家の周辺では富士山の見える場所は富士塚という地名が付いており、そこには新横浜から我が家あたりまでの鎮守様である神社があります。

「…ふーじはにっぽんいちのぉやま♪」
唱歌の最後は、この歌詞で締めくくりです。
最初はモヤモヤと歌う子供達も、この部分だけは大きな声となっていたことをふと思い出しました。

富士山。自分が愛すべく存在であり、自分は富士山から愛される存在であるようにも思うのです。

源氏物語の中に登場する富士山は、けむくなるくらいの香の焚き方をすると、光源氏が「富士山の噴火ではあるまいし、そうもくもく焚くでない」と叱責したりします。源氏物語の中で私の好きなシーンの一つです。

富士山は、みんなのこころに住まうおやまです。

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