「まァ、きれい !!」
その朝、狭い庭に咲いていた一輪の小さな茄子の花を見て、母は両手をひろげて大きな歓声を上げました。母の袂にぶらさがっていた幼いわたしは、母の感動をその袂を通して全身に浴びました。
それ以来わたしは、茄子の花の美しさにひかれ、自然の美しさに感動するようになりました。そして、そのことがわたしから子供へ伝わり、子供から孫へ伝わってゆきました。
今では初夏の茄子の花を見ると、幼い孫までが「わァ、茄子の花 !!」と、歓声をあげるようになりました。
美しいものを見たら、素直に感動するにんげんに育てることが大切だと思います。
その昔、僕にも子供のころがあったような気がする。埼玉の農村で育った僕は、近所の悪ガキと共に、野山の自然が遊び相手であった。
春の野に咲くれんげやタンポポ。道端に咲くオオバコの白い花。空にさえずるヒバリの声。風になびく青い麦の穂や、唇を真っ赤にして食べた畑の桑の実。
夏の夜、蚊帳の中に放った蛍の光。夏休みが終わりに近づく頃の夕暮れ時、悲ししげに鳴くひぐらしの声。
秋の夕暮れ時、山並みに沈む夕陽に染まった真っ赤な空。夕焼け空に群れ飛ぶ赤とんぼ。
親父に叱られ、裸足で飛び出した雪の降る日、泣きながら、足の感覚が無くなるまで外を歩き続けた冬の朝。
セピア色の思い出は、時として鮮やかな色付きで蘇ることもある。
白いチューリップの花言葉は「思い出」
美しいものを見たら、美しいと感動するのが子供本来の心。子供の心を育てるのに、むずかしい理屈や学問はいりません。美しいものを見たら、お母さんが「まァ、きれい!!」と、感動することです。美しいものに感動する心は、醜悪なもの、不正なものを拒絶する心ともなります。
2007.04.09
その朝、狭い庭に咲いていた一輪の小さな茄子の花を見て、母は両手をひろげて大きな歓声を上げました。母の袂にぶらさがっていた幼いわたしは、母の感動をその袂を通して全身に浴びました。
それ以来わたしは、茄子の花の美しさにひかれ、自然の美しさに感動するようになりました。そして、そのことがわたしから子供へ伝わり、子供から孫へ伝わってゆきました。
今では初夏の茄子の花を見ると、幼い孫までが「わァ、茄子の花 !!」と、歓声をあげるようになりました。
美しいものを見たら、素直に感動するにんげんに育てることが大切だと思います。
(人間教育家・和田重正さんの言葉だそうです)
その昔、僕にも子供のころがあったような気がする。埼玉の農村で育った僕は、近所の悪ガキと共に、野山の自然が遊び相手であった。
春の野に咲くれんげやタンポポ。道端に咲くオオバコの白い花。空にさえずるヒバリの声。風になびく青い麦の穂や、唇を真っ赤にして食べた畑の桑の実。
夏の夜、蚊帳の中に放った蛍の光。夏休みが終わりに近づく頃の夕暮れ時、悲ししげに鳴くひぐらしの声。
秋の夕暮れ時、山並みに沈む夕陽に染まった真っ赤な空。夕焼け空に群れ飛ぶ赤とんぼ。
親父に叱られ、裸足で飛び出した雪の降る日、泣きながら、足の感覚が無くなるまで外を歩き続けた冬の朝。
セピア色の思い出は、時として鮮やかな色付きで蘇ることもある。
美しいものを見たら、美しいと感動するのが子供本来の心。子供の心を育てるのに、むずかしい理屈や学問はいりません。美しいものを見たら、お母さんが「まァ、きれい!!」と、感動することです。美しいものに感動する心は、醜悪なもの、不正なものを拒絶する心ともなります。
-相田みつをさん-
2007.04.09