勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

タンゴ

2007-10-16 00:27:19 | Weblog
 一年間の練習の成果を発表する日が来た。古希を迎えたお客様にとって、時には厳しい要求だったかもしれない。しかし彼女は、ご主人の励ましもあり、音を上げることもなく頑張ってくれた。きついレッスンの後などは、必ず「楽しかったわ」と言ってくれる。その話を聞いた後輩の教師「彼女、おとなですねぇ」と言って笑う。そういうことか・・・♪
 今宵は、ご主人や妹さん、お友達の声援のなか、見事に踊りきってくれた。ダンス教室に通うご主人は、いつの日か奥様と踊ることが夢だという。だが、彼女はそれをあまり歓迎していない様子。
 踊り終わったあとのこの笑顔は、おとなの彼女が、子どもにかえったようでもあった。視線の先にはご主人がいる。

別れの香り

2007-10-15 00:09:54 | Weblog

◇ それは ◇

それは窓に射す日の光のなかにある
それはキンモクセイの木の影のなかにある
それは日々にありふれたもののなかにある
Tシャツやブルージーンズのなかにある
それは広告がけっして語らない言葉
嘘になるので口にしない言葉のなかにある

それは予定のないカレンダーのなかにある
時計の音が聴こえるような時間のなかにある
誰のものでもないじぶんの一日のなかにある

それは、たとえば、ちいさなころ読んだ
「シャーロットのおくりもの」のなかにある
あるいは、リンダ・ロンシュタットの
スペイン語のうつくしい歌のなかにある
名づけられないものが、そのなかにある
それが何か、いえないものがある

-長田 弘さん-

 生涯忘れることのできない別れが3つある。そのひとつ、それは、夏の陽射しと秋の風が交錯した晴れた日、「ありがとう」の言葉を遺して旅立った人との別れ。
 悲しみに時が止まっていたある日、時計の音が聴こえるような時間のなか、秋の風とともに漂う甘い香りに気がついた。ベランダから覗いた植え込みにキンモクセイがあることを始めて知った。
 その日からキンモクセイの香りは、悲しみの香りになった。窓に射す日の光のなかに香るキンモクセイが、予定のないカレンダーをあの日に呼び戻す。僕にとってキンモクセイは別れの香り。誰のものでもない自分の一日のなかで・・・。今年も、あのキンモクセイが狂おしく香る季節がやってきた。

オジギビト

2007-10-14 00:00:04 | Weblog
あなたのことではありません。どうぞお入りください。
ただいま工事中ですので、気をつけてゆっくりお進みください。
こちらでは、暮らしを支える下水道工事をしています。
これから先は、美男美女だけお通りください。
ようこそおいでくださいました、美男の貴方と美女の貴女♪
 
 街角のあちこちで見かける、工事現場の看板の人物像。この漫画の人物を「オジギビト」というそうだ。みなオナジビトに見えていたが、気をつけて見ると多種多様なキャラクターがあって面白い。

 世の中オジギビトで溢れている。角界、政界、老舗の店。はじめは知らぬ存ぜぬで通しても、言い訳がきかなくなるとオジギビト。そのキャラクターも様々だが、あのオジギには心がこもっているのだろうか?

 国会の答弁では、なにを言われても低姿勢、オジギビトを貫くトボケビトもいる。「正直申し上げて私もいい年だから正確に覚えていない」。そんな人に国を任せていいの?

オジギビト パフォーマンス だけのヒト
-角界ツキビト-

それもまたよし

2007-10-13 00:25:26 | Weblog
 『テッペンカケタカ』と鳴くのはホトトギス。『鳴かぬなら鳴くまで待とう』と言ったのは徳川家康。『テッペンハゲタカ』と泣くのは僕。
 咲かぬなら咲かせて見せよう、と秀吉が言ったかどうかは知らないが、ホトトギスの花が、その花びらに美しい紫点模様を描いて咲いている。
 名前の由来は、鳥のホトトギスの羽の斑紋に見立てて名付けたという。
“♪卯の花の匂う垣根に ホトトギス早も来鳴きて 忍び音洩らす夏は来ぬ”
 と歌われるように、鳥のホトトギスは夏の鳥だが、花のホトトギスは、秋に咲く。

◇ 呼べば答えて ◇
(ホトトギス)

呼べば
答えてくれる人がいる
苦しくても
寂しくても
誰もいなくても

名を呼べる人がいる
しあわせ

-星野富弘さん-

 寂しいとき、悲しいとき、苦しいとき、嬉しいとき、あの人の名を呼んでみよう。そばにいなくても、呼んでも答えてくれなくても、たとえこの世にいなくても、名を呼べる人がいるしあわせ。そばにいればなおしあわせ。あなたにとってあの人は誰?

 松下幸之助さんは「鳴かぬなら それもまたよし ホトトギス」 と言ったとか。

 時鳥、不如帰、杜鵑、雀公鳥、子規、杜宇、沓手鳥、蜀魂。どれもホトトギスと読むらしい。植物のホトトギスは杜鵑草と書くと図鑑にある。僕が好きな字は「時鳥」。

ふたつの心

2007-10-12 01:51:49 | Weblog

◇ 松ぽっくり ◇

ひとつは
手に取って
静かに見ていたい こころ

ひとつは
“ぐさっ”
と踏みつけて
粉々にしたい こころ

道に落ちている 松ぽっくりが
ふたつのこころを 呼んでいる

-星野富弘さん-

 誰もが持っているふたつの心。陰と陽、善と悪、嘘と誠、明と暗、喜びと悲しみ、愛と憎しみ、勤勉と怠惰、謙虚と不遜、大胆と小心、強気と弱気、敏感と鈍感、希望と絶望。今日の心はどっちの心。ジキルかハイドか、どちらでもない無の心?

 出会いと別れ、逢いたい心と逢えない心、ふたつの心が揺れ動く、変わりやすいのは秋の空。後悔先に立たずというけれど、後悔の反対語はなんだろう?どなたか教えてくれませんか。

 松ぽっくりとは松のふぐりが変化したものだという。「へェ~」ですね♪“ぐさっ”と踏みつけたら痛そうだなぁ!

スポーツの秋

2007-10-11 00:12:02 | Weblog

 秋はスポーツの秋でもある。子どもの走る、跳ぶなどの運動能力は20年前と比べると、大きく低下しているという。しかし運動の少ないライフスタイルが定着したせいか、下げ止まりも考えられるという。

 運動会の徒競走などでは、一等賞などの賞を設けず、順位をつけないと聞くが、それも疑問。勉強が苦手でも、スポーツで力を発揮し、自信を持つ子もいるだろうが・・・。

 我が働き場所の厨房に並外れて体格のよい青年がいる。顔を合せると、歩を緩めほとんど立ち止まり、両手を横において直立不動の姿勢で「おはようございます」と、気持ちのいい挨拶をしてくれる。学生の頃、柔道をやっていたという。その礼儀正しさは、そんなところから来るのか、或いは彼の資質がそうさせるのか。

 彼に聞いた。「柔道の世界でも、相撲の世界のように“かわいがり”といわれるようないじめはあるの?」
彼は言った「強くなるにはそんなことしている暇はありません。そんなことをしている学校は強くなりません」

 彼の話によると、ある大学の柔道部の指導者は、オリンピックの元金メダリスト。その彼は、自分はオリンピックの金メダリストという自負と、自分では簡単にできることができないことに苛立ち、自らいじめに近いしごきをすると聞く。その学校からは強い選手は生まれないそうだ。

 常々疑問に思っていたことがある。あの厳しさがあったから強くなれたという。それは練習という厳しさであって、殴る蹴るなどのいじめによって強くなったのとは違うと思っていた。礼儀正しい彼の言葉が、それを確信させてくれた。

寒露

2007-10-10 02:42:44 | Weblog

秋を経て 蝶もなめるや 菊の露
-松尾芭蕉-
 10月9日は寒露にあたり、露が冷たく感じられる時期だという。あの暑かった夏はどこへ行ったのか、思い出とともに去った夏。昨日までの夏掛けをしまい、毛布を取り出し、窓を閉め、悲しみを閉じ込めて、部屋にひとり残された自分がいる。

 そんなセンチメンタリズムがあるわけもなく、秋はいやでもやって来る。秋の夜長を鳴き通す虫の声も、都会ではさっぱり聞かれなくなった。そんな秋の夜長は膝小僧を抱いて、ひとり寝の子守唄でも歌って寝るとしよう。明日はまたやってくるのだから。夢は何処へ・・・♪

旅寝して 我が句を知れや 秋の風
-芭蕉-

あかまんま

2007-10-09 01:30:24 | Weblog

◇ いぬたで ◇

かすかな 風にゆれ
さわれば ポロポロとこぼれる
私も この小さな花と
どこが 違おう

-ー星野富弘さん-
 

 蓼食う虫を蓼虫(たでむし)というそうだが、図鑑によると、タデ科の植物にもいろいろある。野原や森陰、林の中、土手に水辺に高原、高山と、広い地域に分布しているという。藍染の原料にもなる「藍」もタデ科の植物と知って驚いた。

 蓼虫が食う蓼は、辛味のある“真タデ”“本タデ”と呼ばれる「ヤナギタデ」をいい、似ているが葉に辛味がないので、“イヌ”を付けて「イヌタデ」と呼ばれるのが、通称 あかまんま。“イヌ”は“否(いな)”の意味だという。

 タデ科には、「桜蓼(さくらたで)」という可愛い花もあれば、「イヌタデ」のように、道端にひっそりと咲き、人の眼にも留まらずに、寂しく秋の風にその身を散らす花もある。

あかまんま
我が身に似たり
そのまんま

-ワスレナグサ-


座布団チョウダイ、山田君♪
 

蓼食う虫

2007-10-08 03:49:18 | Weblog
◇ 蓼食う虫も好き好き ◇

 というが、蓼(たで)の仲間は多く、どれも小さく目立たない花が咲き、諺にもあるようにあまり好かれていないようだ。
 しかし、秋に咲く「サクラタデ」という花は、桜に似た淡いピンクの小さな花が咲き、これならどんな虫も好きになるだろう。白い花が咲く「シロバナサクラタデ」という花もあるそうだ。
 
◇ 蓼の虫は蓼で死ぬ ◇
 
 ともいい、人間も好みのために身を滅ぼすことが多いという。こんな可愛らしく美しい花のためならば、身を滅ぼしてみたいものだ。

 
◇ 蓼の虫 葵に移らず ◇

 といって、蓼の葉を食う虫は、葵に移って葵の葉を食うということはしないという。好みに従い、他に心を移さないことの例えにも使われる。そんな一筋の愛を貫く友もいたっけ。

 葉の辛(から)さから、嫌われ者の代表のようにいわれる蓼は、葉が柳に似ていることからその名がついたという「ヤナギタデ」のことをいうそうだ。鮎の塩焼きには、この蓼の葉をすり潰した“蓼酢”が欠かせないが。

 「蓼食う虫も好き好き」、蓼のような僕だが、愛の塩妬きに添うてみたいなぁ♪

光タワー

2007-10-07 01:32:36 | Weblog
 2011年に墨田区に完成する新東京タワーは、高さ610㍍、現在の東京タワーの2倍近くになり、4本の光が交錯する地点の高さになる。
 建設予定地の、押上・業平橋地区では、タワーの完成後の姿を光で表現する「光タワープロジェクト」によって、6日の夜、光のタワーが出現した。
 真上に聳える光タワーは、晴れ上がった夜空に、青く輝く光のオブジェを描き出し、見るものを圧倒する迫力がある。
 下町の夜空を彩る、2時間半に及ぶ幻想的な光のページェントは、天国への懸け橋のようでもあった。

忘却

2007-10-05 23:54:34 | Weblog
忘却とは忘れ去ることなり 
忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ


君の名は?と 尋ねし人あり その人の名も知らず・・・

 菊田一夫さんの書き下ろしたドラマ「君の名は」は、ハリウッド映画「哀愁」をモチーフにしたと聞く。今は昔、ラジオから流れる主題歌とともに、「忘却とは・・・」の来宮良子さんのナレーションが印象的だった。古きものへの回顧は歳をとった証拠か・・・?
「君を忘れず」
 という花言葉を持つ野草、紫苑(しおん)のうすむらさきが、秋の陽射しを受けて眩しい。

 
黒百合は恋の花 愛する人に捧げれば 二人はいつかは結びつく

と“君の名は”では歌われたが、この紫苑の花、誰に捧げようか?
 
◇ しおん ◇

ほんとうの ことなら
 多くの言葉はいらない

野の草が 風にゆれるように
 小さなしぐさにも 輝きがある

-星野富弘さん-
 昔のことは良く覚えているのに、昨日のことはすぐに忘れる。数年前までは、一ヶ月先の予定まで頭に入っていた。ところが数日前に約束したお客様の予約時間を間違えた。携帯に記録するのも忘れていた。確認の電話が入ったので事なきを得たが、どうも最近集中力に欠けている。いや、それは何かの始まりか・・・?

夢去りぬ

2007-10-04 23:59:21 | Weblog
 買い物に、仕事に、遠出のときの駅までと、足代わりに毎日使う自転車は、僕にとってなくてはならないもの。前籠にバッグを入れて出かけた。人通りの多い場所だった。前籠のバッグはそのままにして自転車を停め、ちょっとだけその場所から離れた。何のためにそこを離れたのか記憶がない。どこへ行ったのかも覚えがない。それは僅かの時間だった。

 自転車を置いた場所に戻って慌てた。前籠のバッグがない。周りの人に聞いてみた。誰も知らないという。バッグには、財布も、部屋の鍵も、携帯電話も入っている。いつもは携帯と鍵の付いた小銭入れは、ズボンのポケットに入れるのに・・・。

 携帯電話には僕にとってすべての情報が入っている。友人知人、お客様、その他のすべての電話番号は携帯が頼り。また最近、もの忘れが激しくなって、時々失敗もくり返している。そこで予定はすべて携帯に記録することにした。約束事はその場で打ち込むことができるから。

 困った、どうしよう。何もかもがわからなくなってしまう。絶望感に襲われた。なぜか息苦しい。息苦しさの中でぼんやりとしていた意識がはっきりしてきた。枕元の携帯に手を伸ばしてそこにあることを確認した。ホット一息ついて、また眠りに入った。

◇ 夢去りぬ ◇


夢いまだ覚めやらぬ
春のひと夜
君呼びて微笑めば
血汐おどる
あぁ~
若き日の夢
いま、君にぞ通う
この青春の夢も
さめて散る花びら

過ぎし夢は儚く
消えて悲し いまはただ
君がやさし 面影
胸に描き 今日もまた
ギターを弾きて歌うは
君の大好きな あの歌
いまも切なくひびく
恋の思い出よ

 若い方はご存じないと思うが、僕の 愛唱歌 と言ってもいい、服部良一さん作曲の古(いにしえ)の歌である。夢は散るもの醒めるもの。睡眠不足が続き、夏の疲れも出たのか、ちょっと体調不良。睡眠をとろうと、滅多に飲まない睡眠薬に頼った昨夜の夢。携帯(ケッタイ)な夢だった。

思い草

2007-10-03 18:43:04 | Weblog
道の辺の 
尾花が下の思ひ草  
今さら更に 何をか思はむ

-万葉集-

 ススキやミョウガ、キビなどの根に寄生する植物、南蛮煙管(ナンバンギセル)。その姿が、南蛮人の「煙管」に似ていることからこの名がついたという。わかりやすい♪

 その花言葉のように『物思い』にふけるが如きうなだれて、ススキやさとうきびなどの根元にひっそりと咲き、見過ごしてしまいそう。別名を「思い草」

身の丈に 
及ばぬ君(キビ)に 思い草 
棄せる(キセル)涙の 幾、何晩(ナンバン)

≪落とす涙は 幾夜の嘆き≫

-詠み人知らず-
 寄生植物はそれ自体では生きられず、葉のないこの南蛮煙管も、自ら光合成ができないため、宿主から養分を補給するという。思いは届かぬとも、キビ(君)なしでは生きられないとは、悲しい運命(さだめ)だなぁ♪

お祭り小僧

2007-10-02 17:16:12 | Weblog

◇ お祭りマンボ ◇
karaoke



私のとなりのおじさんは
神田の生まれで チャキチャキ江戸っ子
お祭りさわぎが大好きで
ねじりはちまき そろいのゆかた
雨が降ろうが ヤリが降ろうが
朝から晩まで おみこしかついで
ワッショイワッショイ 
ワッショイワッショイ




おじさんおじさん大変だ
そんなとこでおしっこしちゃ~ダメですよ~♪


おしっこなんかしてないよ
元気な君を見ていたら 寂しくなってきたんだよ~♪


おじさん、元気出してね~♪


お祭りすんで 日が暮れて
つめたい風の 吹く夜は
家を焼かれた おじさんと
ヘソクリとられた おばさんの
ほんにせつない ためいきばかり
いくら泣いても かえらない
いくら泣いても あとの祭りよ

 江戸天下祭で楽しいひとときをご一緒したお祭り男・禰里吉さんの凛々しい鉢巻姿。この鉢巻にもこだわりがあるようだが、祭りの余韻は今も続いている。

神無月

2007-10-01 14:43:07 | Weblog
これは僕ではありません、似てはいますが・・・。

◇ かかし ◇

いっぽんあし かかし
おめかし かなし
なけなし かんざし
あまざらし

いっぽんあし かかし
やどなし ななし
ひぐらし あてなし
たちばなし

-谷川俊太郎さん-

 実りの秋、食欲の秋、芸術の秋、読書の秋、スポーツの秋。秋を形容する言葉は多い。清少納言は「秋は夕暮れ」がよいという。吉田兼好は「折節の移り変はるこそ、ものごとにあはれなれ」という。

「秋冬」という好きな歌がある。


しゃれた日焼けに
涙が流れる
あぁ~ 秋ですね



季節の変わり目を
あなたの心で知るなんて




あなたは、何で秋を知りますか?

 
 八百万(やおよろず)の神は出雲大社に集まり、神がいなくなることから、10月を神無月(かんなづき)ともいうそうだが、出雲の国では神有月(かみありづき)というらしい。

◇ 宿題 ◇

目をつぶっていると
神様が見えた

うす目をあいたら
神様は見えなくなった

はっきり目をあいて
神様は見えるか見えないか
それが宿題

-谷川俊太郎さん-